国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
箸墓古墳周濠
ふりがな
:
はしはかこふんしゅうごう
箸墓古墳周濠(箸墓古墳と三輪山 遠景)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳前期
年代
:
西暦
:
面積
:
15055.25 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
7
特別区分
:
指定年月日
:
2017.02.09(平成29.02.09)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
奈良県
所在地(市区町村)
:
奈良県桜井市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
箸墓古墳周濠(箸墓古墳と三輪山 遠景)
解説文:
詳細解説
奈良盆地の東南部,大和政権成立に係わる遺跡としてその一部が史跡指定されている纒向(まきむく)遺跡の中に位置する。東から派生する標高75m前後の低い尾根を核として墳丘が築かれ,墳丘の大部分は宮内庁により第7代孝霊(こうれい)天皇皇女の「倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことのおおいちのはか)」に治定され,良好な状態が保たれている。
墳丘規模は,墳長290m前後,後円部径約165m,前方部長135m前後,前方部前面幅約158mであり,築造時期は3世紀中頃から後半と考えられている。墳丘及び周辺の発掘調査によって,墳丘の周囲には,幅約10mの周濠がめぐり,その外側に堤状遺構や外濠が存在する可能性が指摘されるなど,古墳の全体像が明らかになりつつある。
突出した規模をもつ出現期の古墳であり,定型化した巨大前方後円墳の出現だけでなく,大和政権の誕生と発展過程及び当時の社会状況を知る上で重要である。
今回,箸墓古墳の前方部墳端や周濠の存在が推定されている範囲の一部を史跡に指定する。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
箸墓古墳周濠(箸墓古墳と三輪山 遠景)
箸墓古墳周濠(全景)
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箸墓古墳周濠(箸墓古墳と三輪山 遠景)
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箸墓古墳周濠(全景)
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解説文
奈良盆地の東南部,大和政権成立に係わる遺跡としてその一部が史跡指定されている纒向(まきむく)遺跡の中に位置する。東から派生する標高75m前後の低い尾根を核として墳丘が築かれ,墳丘の大部分は宮内庁により第7代孝霊(こうれい)天皇皇女の「倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことのおおいちのはか)」に治定され,良好な状態が保たれている。 墳丘規模は,墳長290m前後,後円部径約165m,前方部長135m前後,前方部前面幅約158mであり,築造時期は3世紀中頃から後半と考えられている。墳丘及び周辺の発掘調査によって,墳丘の周囲には,幅約10mの周濠がめぐり,その外側に堤状遺構や外濠が存在する可能性が指摘されるなど,古墳の全体像が明らかになりつつある。 突出した規模をもつ出現期の古墳であり,定型化した巨大前方後円墳の出現だけでなく,大和政権の誕生と発展過程及び当時の社会状況を知る上で重要である。 今回,箸墓古墳の前方部墳端や周濠の存在が推定されている範囲の一部を史跡に指定する。
詳細解説▶
詳細解説
箸墓古墳は、奈良盆地の東南部、大和政権成立に係わる遺跡としてその一部が史跡指定されている纒向遺跡の中に位置している。箸中微高地上に立地し、東から派生した標高75m前後の低い尾根を核として墳丘が築かれている。墳丘の大部分は宮内庁により第7代孝霊(こうれい)天皇皇女の「倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことのおおいちのはか)」に治定され、良好な状態が保たれている。 墳丘規模は、墳長290m前後、後円部径約165m、前方部長135m前後、前方部前面幅約158m、くびれ部幅約72mで、陵墓に治定されている範囲よりも更に外側にも墳端が広がっていることを確認している。築造時期については諸説あるものの、墳丘で採集された特殊器台・特殊器台形埴輪や周濠から出土した土師器の年代などから概ね3世紀中頃から後半と考えられており、我が国における出現期古墳の中では、突出した規模を持つ前方後円墳である。 宮内庁による陵墓治定地内における維持管理のための発掘調査、宮内庁や奈良県立橿原考古学研究所、桜井市教育委員会による墳丘周辺における開発に伴う発掘調査が行われている。こうした発掘調査はこれまで20次を超える。これらの発掘調査の中でも、平成6年度に古墳に北接するため池の農地防災工事に先立って奈良県立橿原考古学研究所が行った第7次調査では、葺石が施された前方部の基壇、もしくは基底と見られる墳丘の一部などを検出している。 また、この調査では墳丘の周囲を取り巻く幅約10mの濠と堤となる盛土遺構を検出し、更にその外側で土取り跡や外濠の可能性が指摘される大規模な落ち込みの存在を確認した。これらの遺構は、第11・12・19次調査などでも検出している。さらに平成10年度に桜井市教育委員会が墳丘の南側で個人住宅建設に先立って行った第11次調査では、葺石を持った渡土堤(わたりどて)を検出している。 こうした一連の発掘調査と、後円部の東側に残る丘陵を切断した痕跡などの周辺地形や地割りから、箸墓古墳は墳丘周辺に幅約10mの周濠が巡り、その外側に堤状遺構や外濠が存在する可能性が指摘されるなど、古墳の全体像が明らかになりつつある。 箸墓古墳は突出した規模を持つ出現期の古墳であり、その後は奈良盆地東南部に大型前方後円墳が継続的に造られる。こうした状況は、定型化した巨大前方後円墳の出現だけでなく、大和政権の誕生とその発展過程及び当時の社会状況を知る上で重要である。今回、箸墓古墳の前方部墳端や周濠の存在が推定されている範囲において、大規模な商業施設の建設が計画されたことを受けて、建設予定地とそれに近接する土地の一部を史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。