国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
永原御殿跡及び伊庭御殿跡
ふりがな
:
ながはらごてんあとおよびいばごてんあと
永原御殿跡及び伊庭御殿跡(永原御殿跡)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
江戸時代
年代
:
西暦
:
面積
:
35120.77 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
17
特別区分
:
指定年月日
:
2020.03.10(令和2.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
滋賀県
所在地(市区町村)
:
滋賀県野洲市,東近江市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
永原御殿跡及び伊庭御殿跡(永原御殿跡)
解説文:
詳細解説
徳川家康,秀忠,家光が上洛(じょうらく)の際に利用した宿泊所や休憩所跡。両御殿とも中山道(なかせんどう)の脇街道(わきかいどう)である朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)付近にある。永原御殿跡は本丸,二の丸などからなり本丸には堀と土塁(どるい)が残る。伊庭御殿跡は単郭(たんかく)で石垣が残る。江戸初期の政治状況を知る上で重要。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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永原御殿跡及び伊庭御殿跡(永原御殿跡)
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永原御殿跡及び伊庭御殿跡(永原御殿跡)
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解説文
徳川家康,秀忠,家光が上洛(じょうらく)の際に利用した宿泊所や休憩所跡。両御殿とも中山道(なかせんどう)の脇街道(わきかいどう)である朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)付近にある。永原御殿跡は本丸,二の丸などからなり本丸には堀と土塁(どるい)が残る。伊庭御殿跡は単郭(たんかく)で石垣が残る。江戸初期の政治状況を知る上で重要。
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詳細解説
徳川家専用の宿泊及び休憩施設跡のうち,朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)に近接する二つの遺跡である。家康(いえやす),秀忠(ひでただ),家光(いえみつ)らが将軍宣下,慶長(けいちょう)19年(1614)から元和(げんな)元年(1615)にかけての大坂冬の陣・夏の陣,寛永(かんえい)3年(1626)の後水尾(ごみずのお)天皇二条城行幸(にじょうじょうぎょうこう)に際しての上洛の途中で御殿が利用された。 永原御殿跡のある野洲郡(やすぐん)は,関ヶ原の戦いまで家康の最も西方の領地であった。御殿は本丸,二の丸などからなり,本丸は歪(いびつ)な四辺形を呈し,西辺の南北長136m,南辺の東西長が128.5mの規模で,周囲には高さ約3mの土塁,その外側に幅16~20mの堀が残る。発掘調査では,指図(さしず)に示された古御殿や御亭と考えられる礎石建物が検出された。 伊庭御殿跡は,彦根城(ひこねじょう)と永原御殿の中間に位置し,南北約90m,東西約35mの規模を持つ。発掘調査により石垣,石列,井戸が見つかり,石垣の位置が指図と一致する。主に食事や休憩のための施設であったと考えられる。これらは,幕藩制確立期に将軍の権威を示すために行われた上洛の実態を具体的に示した,全国的に見ても貴重な遺跡である。