国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
北谷城跡
ふりがな
:
ちゃたんじょうあと
北谷城跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
中世
年代
:
西暦
:
面積
:
32133.22 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
44
特別区分
:
指定年月日
:
2021.03.26(令和3.03.26)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
沖縄県
所在地(市区町村)
:
沖縄県中頭郡北谷町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
北谷城跡
解説文:
詳細解説
13世紀後半から16世紀前半にかけて,沖縄本島西海岸沿いの舌状(ぜつじょう)丘陵に営まれた,中山地域の拠点となった城(グスク)跡。東西約500m,南北約165mの範囲に5つの曲輪(くるわ)等が配置され,琉球石灰岩を用いた切石積み・野面積みの石垣で城壁を築く。殿舎跡のほか,威信財である貿易陶磁器等も出土。三山時代から統一に至る琉球史を理解する上で貴重。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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北谷城跡
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北谷城跡
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解説文
13世紀後半から16世紀前半にかけて,沖縄本島西海岸沿いの舌状(ぜつじょう)丘陵に営まれた,中山地域の拠点となった城(グスク)跡。東西約500m,南北約165mの範囲に5つの曲輪(くるわ)等が配置され,琉球石灰岩を用いた切石積み・野面積みの石垣で城壁を築く。殿舎跡のほか,威信財である貿易陶磁器等も出土。三山時代から統一に至る琉球史を理解する上で貴重。
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詳細解説
北谷城跡は,沖縄本島西海岸沿いの北谷町にある東西約500m,南北約165m,標高約44mを最高所とする丘陵に築かれたグスク時代の城跡である。かつては麓まで海が迫っており,防衛と交易に適した立地であったと想定されている。城の造営に関わった按司(あじ)に関する明確な記録はないが,金満(かにまん)按司,大川(おおかわ)按司,谷茶(たんちゃ)按司の三系統の興亡があったとの伝承がある。城跡は丘陵中央の最高所の一の曲輪をはじめ,5つの曲輪と2つの平場からなり,各曲輪は主に琉球石灰岩を用いた石垣の城壁で囲まれ,石垣がない場所は切岸(きりぎし)であった。北谷町教育委員会による発掘調査の結果,一の曲輪では平場と切石積みの石垣を,二の曲輪では平場を囲む石垣と殿舎に伴う基壇を,四の曲輪の南東側では石垣と城門等が検出された。出土遺物として,中国産陶磁器や在地産土器(グスク土器)を主体に鉄鏃や石弾等の武具がある。城跡の変遷は,曲輪内が造成された前期(13世紀後半~14世紀),石垣や殿舎が築かれた中期(14世紀~15世紀中頃),廃城となった後期(15世紀中頃~16世紀前半)と考えられる。このように,北谷城跡は,自然の地形を巧みに取り込みながら堅牢に築かれ,沖縄本島内のグスクが収斂されるなか,中山地域における北方の要として琉球王国成立後まで存続し,その成立過程の一端を解明できる拠点グスクとして貴重である。