国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
久喜銀山遺跡
ふりがな
:
くきぎんざんいせき
久喜銀山遺跡
久喜製錬所跡 水抜坑(坑口)跡と復原トロッコ
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
戦国時代~近代
年代
:
西暦
:
面積
:
444194.91 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
164
特別区分
:
指定年月日
:
2021.10.11(令和3.10.11)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
所在都道府県
:
島根県
所在地(市区町村)
:
島根県邑智郡邑南町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
久喜銀山遺跡
久喜製錬所跡 水抜坑(坑口)跡と復原トロッコ
解説文:
詳細解説
中国山地に位置する、銀を含んだ鉛鉱(なまりこう)石(せき)(方(ほう)鉛鉱(えんこう)等)を産出した戦国時代から近代にかけての鉱山遺跡。戦国から江戸初期と推定される
露頭掘(ろとうぼり)跡(あと)、鉱石を加熱する焼(やき)竈(がま)跡、製錬(せいれん)炉(ろ)跡、近代の精錬所(せいれんじょ)跡などがある。数少ない方(ほう)鉛鉱(えんこう)を産出する鉱山の調査例として貴重。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
久喜銀山遺跡
久喜製錬所跡 水抜坑(坑口)跡と復原トロッコ
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久喜銀山遺跡
久喜製錬所跡 水抜坑(坑口)跡と復原トロッコ
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解説文
中国山地に位置する、銀を含んだ鉛鉱(なまりこう)石(せき)(方(ほう)鉛鉱(えんこう)等)を産出した戦国時代から近代にかけての鉱山遺跡。戦国から江戸初期と推定される 露頭掘(ろとうぼり)跡(あと)、鉱石を加熱する焼(やき)竈(がま)跡、製錬(せいれん)炉(ろ)跡、近代の精錬所(せいれんじょ)跡などがある。数少ない方(ほう)鉛鉱(えんこう)を産出する鉱山の調査例として貴重。
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詳細解説
久喜銀山遺跡は、中国山地脊梁部(せきりょうぶ)の北斜面に広がる山地帯に立地する、方(ほう)鉛鉱(えんこう)等を産出した戦国時代から近代にかけての鉱山遺跡である。方鉛鉱にはほとんどのものに少量の銀を含んでいる。久喜銀山の初見は16世紀末で、江戸時代には石見銀山と共に天領(てんりょう)となり、18世紀初頭には操業は停止した。その後、明治時代には堀家経営の鉱山として活況を呈したが、明治42年に製錬(せいれん)を停止した。 東西3km、南北2kmの範囲に、西から久喜(くき)岩屋(いわや)・床屋(とこや)・大林(おおばやし)の3つの鉱脈群に1536箇所の採掘跡が確認され、多くが江戸時代以前の露頭(ろとう)掘(ぼ)りであった。久喜(くき)岩屋(いわや)鉱脈群(こうみゃくぐん)の南端の縄手吹所(なわてふきしょ)跡(あと)では16世紀後半頃の銀の製錬(せいれん)炉(ろ)が検出された。床屋吹所(とこやふきしょ)跡(あと)では銀生産の工程として焼(やき)竈(がま)→鉛吹(なまりふき)床(どこ)→灰吹(はいふき)→ろかす吹(ふき)床(どこ)が想定され、このうち灰吹を除く各段階の17世紀後半頃の遺構が検出された。近代の遺構である久喜製錬所跡では、採掘された鉱石を乾燥、焙(ばい)焼(しょう)、製錬(せいれん)する遺構が検出された。また、久喜銀山は石見銀山で行われた灰吹法に必要な鉛を供給したとみられる。 銀や鉛を産出する鉱山の採掘から製錬までの過程に使用された遺構等の調査例はなく、久喜銀山遺跡での調査例が初見とみられ、中世から近代における日本の銀生産技術を示す優れた数少ない遺跡である。