国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
佐田谷・佐田峠墳墓群
ふりがな
:
さただにさただおふんぼぐん
佐田谷・佐田峠墳墓群
佐田谷1号墓全景
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
弥生時代
年代
:
西暦
:
面積
:
12190.07 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
164
特別区分
:
指定年月日
:
2021.10.11(令和3.10.11)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
所在都道府県
:
広島県
所在地(市区町村)
:
広島県庄原市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
佐田谷・佐田峠墳墓群
佐田谷1号墓全景
解説文:
詳細解説
弥生時代中(ちゅう)期末(きまつ)から後期(こうき)前葉(ぜんよう)にかけて築造された、四隅突出型墳(よすみとっしゅつがたふん)丘(きゅう)墓(ぼ)3基、方形(ほうけい)台状(だいじょう)墓(ぼ)4基、方形(ほうけい)周(しゅう)溝(こう)墓(ぼ)1基からなる墳墓群。弥生時代における墳丘築造と埋葬の関係、埋葬施設の配置、墳墓祭祀の変遷を知ることができる
事例として重要。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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佐田谷・佐田峠墳墓群
佐田谷1号墓全景
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佐田谷・佐田峠墳墓群
佐田谷1号墓全景
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解説文
弥生時代中(ちゅう)期末(きまつ)から後期(こうき)前葉(ぜんよう)にかけて築造された、四隅突出型墳(よすみとっしゅつがたふん)丘(きゅう)墓(ぼ)3基、方形(ほうけい)台状(だいじょう)墓(ぼ)4基、方形(ほうけい)周(しゅう)溝(こう)墓(ぼ)1基からなる墳墓群。弥生時代における墳丘築造と埋葬の関係、埋葬施設の配置、墳墓祭祀の変遷を知ることができる 事例として重要。
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詳細解説
佐田谷・佐田峠墳墓群は、弥生時代中(ちゅう)期末(きまつ)から後期前葉(紀元前1世紀~1世紀頃)にかけて西城(さいじょう)川(がわ)左岸の標高約300mの低丘陵の頂部に築造された、四隅突出型墳(よすみとっしゅつがたふん)丘(きゅう)墓(ぼ)3基、方形(ほうけい)台状(だいじょう)墓(ぼ)4基、方形(ほうけい)周(しゅう)溝(こう)墓(ぼ)1基の8基からなる墳墓群である。おおよそ東西250mの範囲に3群にまとまる形で造られている。 弥生時代中期末には古相(こそう)の四隅突出型墳丘墓を含む多様な形態の墳墓が、墓坑(ぼこう)の掘削・埋葬(まいそう)と墳(ふん)丘(きゅう)の盛土(もりど)を繰り返すことで徐々に構築されている。また、墓坑は並列に配置され、主に在地(ざいち)系(けい)の土器が周(しゅう)溝(こう)に据えられる。その後、弥生時代後期初頭以降には墳形は方形(ほうけい)台状(だいじょう)墓(ぼ)が主となり、墳丘の構築後に墳頂部から墓坑が掘り込まれるようになる。また、大型墓坑を中心に周囲に他の墓坑が配されるなど、明確な中心埋葬がみられるようになる。それに加えて吉備(きび)系(けい)の土器が使用され、墓坑上に土器が供献されるようになる。 以上より、日本列島において首長墓が出現する弥生時代中期から後期にかけて、墳丘築造と埋葬の関係、埋葬施設の配置、墳墓祭祀の変遷が同一の墳墓群の中で明らかになった事例であり、地域間関係の展開と有力者集団内の構造の変化の実態を知る上で重要である。