国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
臥龍山荘庭園
ふりがな
:
がりゅうさんそうていえん
臥龍山荘庭園
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種別1
:
名勝
種別2
:
時代
:
明治時代
年代
:
西暦
:
面積
:
6764.4 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
165
特別区分
:
指定年月日
:
2021.10.11(令和3.10.11)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
所在都道府県
:
愛媛県
所在地(市区町村)
:
愛媛県大洲市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
臥龍山荘庭園
解説文:
詳細解説
明治後期に実業家河内(こうち)寅(とら)次(じ)郎(ろう)(1853~1909)が肱(ひじ)川(かわ)沿いの景勝地に造営した庭園。淵(ふち)に臨む崖の上に書院や茶室が配置され、対岸には蓬(ほう)莱(らい)山(さん)と名付けられた島が浮かぶ。
周囲には肱川、亀(かめ)山(やま)、冨(とみ)士(す)山(やま)などが広がり、それらも景観の要素として取り込む。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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臥龍山荘庭園
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臥龍山荘庭園
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解説文
明治後期に実業家河内(こうち)寅(とら)次(じ)郎(ろう)(1853~1909)が肱(ひじ)川(かわ)沿いの景勝地に造営した庭園。淵(ふち)に臨む崖の上に書院や茶室が配置され、対岸には蓬(ほう)莱(らい)山(さん)と名付けられた島が浮かぶ。 周囲には肱川、亀(かめ)山(やま)、冨(とみ)士(す)山(やま)などが広がり、それらも景観の要素として取り込む。
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詳細解説
臥龍山荘庭園は大洲の旧城下町東部の外れに位置する。この付近は蛇行しながら北へ流れる肱(ひじ)川(かわ)が淵(ふち)と瀬(せ)を形成しており、庭園はその淵に面する左岸の崖の上にある。 臥龍山荘庭園は、新(にい)谷(や)(現・大洲市新谷)出身の貿易商河内(こうち)寅(とら)次(じ)郎(ろう)(1853~1909)が明治後期に造営したもので、建物と庭園のある崖、その東側にある「蓬莱山(ほうらいさん)」と呼ばれる島、それらの間にある渓谷「臥(が)龍(りゅう)の淵(ふち)」の3つの部分からなる。崖の上の平場は南北に細長く、北側に臥(が)龍院(りゅういん)、南端に懸(かけ)造(づくり)の不老(ふろう)庵(あん)などの建築物が造られている。臥龍院から不老庵までは飛石(とびいし)や延段(のべだん)の園路がのび、不老庵の座敷からは、肱川が大きく方向を変えて淵をなし、眼下を流れゆく様が見える。蛇行する肱川の向こうには、冨(とみ)士(す)山(やま)、梁(やな)瀬(せ)山(やま)、亀(かめ)山(やま)等が周りを取り囲むように裾を重ね、壮大な景観が広がる。また、臥龍の淵近辺は人々の観賞の対象になっており、現在まで大洲を代表する景観の一つであり続けている。 臥龍山荘庭園は、周辺の景観を大きく取り込んで空間を構成している点が極めて独創的で、また周辺から見える姿も人々の観賞の対象となっており、芸術上及び観賞上の価値、日本庭園史における学術上の価値が高い。