国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
鍋倉城跡
ふりがな
:
なべくらじょうあと
指定10_ 鍋倉城跡 本丸・二の丸・三の丸遠景
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
戦国時代
年代
:
西暦
:
面積
:
107902.42 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
14
特別区分
:
指定年月日
:
2023.03.20(令和5.03.20)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
岩手県
所在地(市区町村)
:
岩手県遠野市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
指定10_ 鍋倉城跡 本丸・二の丸・三の丸遠景
解説文:
詳細解説
岩手県内屈指の大規模な中世山城の遺構を良好に残し、近世期も大きく改変せずに使用して、盛岡に次ぐ政治経済の中心地であった遠野南部家の拠点となった。戦国期から明治期まで存続し稀有な城郭である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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指定10_ 鍋倉城跡 本丸・二の丸・三の丸遠景
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指定10_ 鍋倉城跡 本丸・二の丸・三の丸遠景
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解説文
岩手県内屈指の大規模な中世山城の遺構を良好に残し、近世期も大きく改変せずに使用して、盛岡に次ぐ政治経済の中心地であった遠野南部家の拠点となった。戦国期から明治期まで存続し稀有な城郭である。
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詳細解説
鍋倉城跡は遠野市の市街地南端の標高344mの鍋倉山に展開する岩手県内屈指の大規模な多郭構造の中世山城である。遠野地方は北上高地最大の盆地であり、北上川流域の内 陸部と三陸沿岸部との中間に位置し、交通の要衝として経済的、政治的に重要な場所であ った。 鍋倉城は天年間(1573~1592)に阿曽沼広 郷によって築かれたと伝わる。阿曽沼氏が居城した時代の曲輪や土塁、空堀、堀切等の遺構が良好に残る。慶長5年(1600)、家臣の謀反により阿曽沼氏は遠野を追われ、城代が治めることとなったが、寛永4年(1627)、盛岡藩主南部利直の命により筆頭家老の南部(八戸)直義が八戸の根城から遠野に移封され、1万2千余石を知行して明治に至る。直義入部以降も曲輪の大規模な改変はなく、中世山城の曲輪が近世期もそのまま利用された。 本丸の発掘調査では、慶安4年(1651)の火災後に建てられた本丸屋敷と推定される礎石建物 、御玄関に至る通路の石垣等が検出された。本丸屋敷と推定される礎石建物は「鍋倉城本丸屋敷絵図」(安政3年<1857>以降の作成)と符合する。 このように、鍋倉城跡は岩手県内屈指の大規模な中世山城の遺構を良好に残し、それをほとんど改変することなく近世城郭として利用し、戦国期から明治期まで存続した稀有な城郭である。