国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
奄美大島要塞跡
ふりがな
:
あまみおおしまようさいあと
指定16_奄美大島要塞跡 西古見砲台第2砲座跡及び第1砲側庫跡(瀬戸内町提供)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
大正~昭和
年代
:
西暦
:
面積
:
677135.37 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
14
特別区分
:
指定年月日
:
2023.03.20(令和5.03.20)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
鹿児島県
所在地(市区町村)
:
鹿児島県大島郡瀬戸内町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
指定16_奄美大島要塞跡 西古見砲台第2砲座跡及び第1砲側庫跡(瀬戸内町提供)
解説文:
詳細解説
大正12年(1923)に開庁した、大島海峡防備のため設置された陸軍の要塞跡。
小笠原諸島の父島要塞等とともに設置。奄美大島の要塞司令部近くに置かれた手安弾薬本庫跡、海峡西口の西古見砲台跡及び加計呂麻島の海峡東口の安脚場砲台跡からなる。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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指定16_奄美大島要塞跡 西古見砲台第2砲座跡及び第1砲側庫跡(瀬戸内町提供)
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指定16_奄美大島要塞跡 西古見砲台第2砲座跡及び第1砲側庫跡(瀬戸内町提供)
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解説文
大正12年(1923)に開庁した、大島海峡防備のため設置された陸軍の要塞跡。 小笠原諸島の父島要塞等とともに設置。奄美大島の要塞司令部近くに置かれた手安弾薬本庫跡、海峡西口の西古見砲台跡及び加計呂麻島の海峡東口の安脚場砲台跡からなる。
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詳細解説
奄美大島要塞跡は、奄美大島と加計呂麻島に挟まれた大島海峡東西口を中心に、大正10年(1921)から建設が開始され、その後断続的に建設された陸軍の要塞跡である。 大正7年(1918)に帝国国防方針が改定され、海軍は全艦隊を奄美大島付近に集中させ、小笠原諸島を哨戒線とすることを方針とした。これに呼応して陸軍は、小笠原諸島の父島等とともに要塞建設を開始した。しかし、大正10年~11年(1921~1922)のワシントン海軍軍縮会議の結果、工事は中止された。その後、昭和6年(1931)頃より弾薬庫や砲台が順次建設され、同15年度には奄美大島西南端の西古見砲台に榴弾砲が配備された。徳之島等に飛行場が整備されるに伴い、昭和19年(1944)に要塞司令部は事実上解消され、代わって奄美大島重砲兵連隊が駐屯した。 西古見砲台跡では4基の砲座、砲側庫、砲台弾薬庫等と、2基の観測所が、加計呂麻島東端の安脚場砲台跡では、陸軍建設の砲座4基、砲側庫等と海軍が建設した衛所等が残る。要塞司令部のあった奄美大島の古仁屋近くには手安弾薬本庫跡があり、ここから弾薬等が各砲台へ供給された。 奄美大島要塞跡は、大島海峡付近に遺構が集中的に残存し要塞全体の理解が可能であり、ワシントン海軍軍縮会議や太平洋戦争の開始など、近代日本の国防施策と密接に関連する遺跡群であることから重要である。