国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
十五郎穴横穴群
ふりがな
:
じゅうごろうあなよこあなぐん
十五郎穴横穴群(指渋支群) ひたちなか市提供
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
7世紀前葉~9世紀前葉
年代
:
西暦
:
面積
:
56781.9 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
12
特別区分
:
指定年月日
:
2024.02.21(令和6.02.21)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
茨城県
所在地(市区町村)
:
茨城県ひたちなか市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
十五郎穴横穴群(指渋支群) ひたちなか市提供
解説文:
詳細解説
茨城県の県央部に所在する、総数500基以上と推定される東日本最大級の横穴墓群。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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十五郎穴横穴群(指渋支群) ひたちなか市提供
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十五郎穴横穴群(指渋支群) ひたちなか市提供
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解説文
茨城県の県央部に所在する、総数500基以上と推定される東日本最大級の横穴墓群。
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詳細解説
十五郎穴横穴群は、関東平野の北縁、太平洋に東流する那珂川(なかがわ)の支流である大川(おおかわ)と本郷(ほんごう)川(がわ)に挟まれた舌状台地南端部に位置する横穴墓群である。崖面に造られた横穴墓群は、大きく3つの支群に分けられ、北端台地は「指渋支群(さしぶしぐん)」、南側台地は「館出支群(たてだししぐん)」、西方台地は「笠谷支群(かさやしぐん)」と呼ばれている。 横穴墓は、これまでの調査で274基が確認されており、未知のものも含めると、総数500基以上と推測されている。各支群の造営が7世紀前葉に始まったことが玄室構造から判明している。また、7世紀前葉から8世紀まで造られた横穴墓が、9世紀前葉まで追葬で使用されていることも確認された。古墳時代終末期から平安時代初頭に至るまでの集団の展開過程を知る上で重要である。 各支群の台地上には、首長墳が横穴墓と密接な関係をもって展開する。指渋支群では、台地上で最初の前方後円墳である史跡虎塚古墳の築造とほぼ同時期に横穴墓が造られるのに対し、館出支群では古墳は築造されず、後背墳丘をもつ横穴墓が造られる。笠谷支群では最初の前方後円墳である笠谷第6号墳に後続する笠谷第7号墳とほぼ同時期に横穴墓の造墓が開始する。この多様さは、横穴墓の造墓集団と首長層の関係や、造墓集団間の関係を考える上で重要である。 十五郎穴横穴群は、7世紀前葉に造営が始まり、9世紀前葉まで追葬で使用された東日本最大級の横穴墓群であり、古墳時代終末期から平安時代初頭の東日本社会を考える上で重要である。