国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
尾高城跡
ふりがな
:
おだかじょうあと
尾高城跡 南大首郭の現況(米子市提供)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
中世
年代
:
西暦
:
面積
:
41499.8 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
12
特別区分
:
指定年月日
:
2024.02.21(令和6.02.21)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
鳥取県
所在地(市区町村)
:
鳥取県米子市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
尾高城跡 南大首郭の現況(米子市提供)
解説文:
詳細解説
西伯耆の交通の要衝に築かれた城館で、中世から近世における改修等の状況が良好に残る。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
尾高城跡 南大首郭の現況(米子市提供)
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尾高城跡 南大首郭の現況(米子市提供)
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解説文
西伯耆の交通の要衝に築かれた城館で、中世から近世における改修等の状況が良好に残る。
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詳細解説
尾高城跡は、出雲と西伯耆を結ぶ東西交通と、山間部と日本海をつなぐ南北交通の結節点に築かれた中世城館である。13世紀から14世紀の有力な在地領主の住居跡と考えられる四面廂付礎石建物から始まり、15世紀には方形単郭や群郭の平城が築かれ、16世紀には大型の堀と土塁を巡らせた曲輪(が整備され、さらに本丸、二の丸といった山城が整備されるなど増築を重ねた城郭である。16世紀前半の城主は、山名一族の系統に連なる有力国人で西伯耆一帯を勢力下に置く幸松氏であった。尼子氏の侵攻により幸松氏は退去するが、尼子氏と毛利氏の攻防の地となり、尼子氏滅亡後は吉川広家が家臣に命じて、本丸の土塁と切岸を改変し石塁と北堀に石垣を設けた。関ケ原の戦い後は、中村一忠が米子城の完成まで尾高城に入る。慶長20年(1615)の一国一城令により廃城となるが、転落した築石、崩落し堆積した栗石が本丸北堀の堀底に散乱しており、破城の痕跡を伝える。 城主の変遷と各段階での改修状況等が良好に残り、交通の要衝に位置し、空堀や土塁で形成される土の城から、一部に石垣を築いて築地塀を導入するなど近世城郭へ移行する様子、また、一国一城令による破城の状況も判明する重要な城郭である。