国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
物集女城跡
ふりがな
:
もずめじょうあと
物集女城跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
中世
年代
:
西暦
:
面積
:
7568.45 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
12
特別区分
:
指定年月日
:
2024.10.11(令和6.10.11)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
京都府
所在地(市区町村)
:
京都府向日市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
物集女城跡
解説文:
詳細解説
「乙訓惣国」の一員であった物集女氏の城跡。京都近郊に現存する数少ない中世城館
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
物集女城跡
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物集女城跡
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解説文
「乙訓惣国」の一員であった物集女氏の城跡。京都近郊に現存する数少ない中世城館
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詳細解説
桂川右岸に位置する山城国乙訓郡(おとくにぐん)、葛野(かどの)郡(ぐん)一帯は西岡(にしのおか)と呼ばれ、数多くの中世城館が分布しており、そのうちの物集女城跡は、乙訓郡の国人が統一的な意思を示した「乙訓惣国」の一人物集女氏の居城である。物集女城跡に東接する物集女街道は北で山陰道と接し、南で西国街道と接する重要な交通路であった。物集女氏が最初に史料に現れるのは、応仁の乱後の長享元年(1487)で、西岡に本拠を持つ物集女光重ら6名が「惣国大儀」であるから東寺に銭を出すよう東寺領荘官に送った文書である。この中世史上著名な「乙訓惣国」は15世紀末までは続いた。織田信長の上洛に際して細川藤孝が西岡に入ったが、天正3年(1575)にその藤孝の命により物集女忠重が謀殺され、物集女氏は滅亡する。物集女城跡は、南北約75m、東西約70mのほぼ方形で単郭式の城館で、幅11から12m前後の堀、高さ2.1mの土塁に囲まれている。出土遺物から城の廃絶は物集女忠重が殺害された頃とみられる。京都近郊に残る中世城館は数少なく、畿内近国の中世の政治経済状況を知る上で重要である。