国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
臼杵城跡
ふりがな
:
うすきじょうあと
⑦B-3 丹生島エリア周辺(報道提供写真)(臼杵市提供)
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地図表示▶
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
中世~近世
年代
:
西暦
:
面積
:
65852.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
23
特別区分
:
指定年月日
:
2025.03.10(令和7.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
大分県
所在地(市区町村)
:
大分県臼杵市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
⑦B-3 丹生島エリア周辺(報道提供写真)(臼杵市提供)
解説文:
詳細解説
臼杵川河口の丹生島に大友義鎮が築き、退転後、石垣等が造営され砂州を三の丸として拡張された城郭。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
⑦B-3 丹生島エリア周辺(報道提供写真)(臼杵市提供)
⑦B-1 指定地全景(報道提供写真)(臼杵市提供)
⑦C-2 天守台石垣(報道提供写真)(臼杵市提供)
⑦C-15 現存建物(畳櫓)(報道提供写真)(臼杵市提供)
⑦C-16 絵図①(報道提供写真)(臼杵市提供)
写真一覧
⑦B-3 丹生島エリア周辺(報道提供写真)(臼杵市提供)
写真一覧
⑦B-1 指定地全景(報道提供写真)(臼杵市提供)
写真一覧
⑦C-2 天守台石垣(報道提供写真)(臼杵市提供)
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⑦C-15 現存建物(畳櫓)(報道提供写真)(臼杵市提供)
写真一覧
⑦C-16 絵図①(報道提供写真)(臼杵市提供)
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解説文
臼杵川河口の丹生島に大友義鎮が築き、退転後、石垣等が造営され砂州を三の丸として拡張された城郭。
詳細解説▶
詳細解説
臼杵城跡は、有力戦国大名の大友義鎮によって弘治2年(1556)に臼杵川河口にある東西約420m、南北約100mの丹生島に築かれた島城で、大友氏退転後に石垣、枡形、瓦葺建物等が造営され、祇園洲と呼ばれる砂州を三の丸として城域を拡張した城郭跡である。丹生島西側からは大友氏期の政治執行空間である「御殿」と想定される遺構が検出され、築城当初は海側を大手とし西半を主郭としていたと考えられる。大友氏の後に入った太田一吉は、城郭の石垣化を進め、主郭と副郭を反転させ丹生島東側を本丸として天守を築いた。丹生島西岸と砂州を橋で結び、架橋場所の古橋口を大手とし、祇園洲を三之丸として造成し始めた。関ヶ原合戦後に入部した稲葉氏は、本丸と二之丸を連郭式縄張に整え、三之丸の拡張整備を進め、三之丸との通路として今橋口登城路を新たに設けた。17世紀中葉には天守の改修を実施し、延宝3年(1675)に城主居館を本丸から西之丸(二之丸)へ移した。天然の要害としての地形的特徴を生かして築かれた中世城郭が、城主の変遷とともに内部構造や空間構成を変えながら、織豊系城郭、近世城郭と発展し、度重なる改修を経て、明治期の廃城まで利用された城郭の変遷を物語る重要な遺跡である。