国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
韮山城跡 附 付城跡
ふりがな
:
にらやまじょうあと つけたり つけじろあと
韮山城跡 附 付城跡・俯瞰写真
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
15世紀末頃
年代
:
西暦
:
面積
:
540660.56 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
78
特別区分
:
指定年月日
:
2025.09.18(令和7.09.18)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
静岡県
所在地(市区町村)
:
静岡県伊豆の国市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
韮山城跡 附 付城跡・俯瞰写真
解説文:
詳細解説
伊勢盛時(いせもりとき)(宗瑞(そうずい))により伊豆国(いずのくに)の要衝に築かれ、後に北条領国西側の拠点となった城郭跡
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
韮山城跡 附 付城跡・俯瞰写真
韮山城跡 附 付城跡・垂直写真
韮山城跡 附 付城跡・西側俯瞰
韮山城跡 附 付城跡・本丸近景
韮山城跡 附 付城跡・本丸頂上部
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解説文
伊勢盛時(いせもりとき)(宗瑞(そうずい))により伊豆国(いずのくに)の要衝に築かれ、後に北条領国西側の拠点となった城郭跡
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詳細解説
韮山城跡は、15世紀末頃に小田原北条氏の祖である伊勢盛時(いせもりとき)(宗瑞(そうずい))が伊豆国(いずのくに)へ進出した後に本拠となり、後に北条氏の領国西側の拠点となった城郭跡である。標高128mの天ヶ岳(てんがだけ)にあり、眼下に狩野川(かのがわ)と下田(しもだ)への陸路があり、駿河(するが)湾と相模(さがみ)湾をつなぐ東西陸路との結節点である交通の要衝に位置する。北条氏の本拠が小田原に移った後は、境目の城として、駿河の今川氏、甲斐(かい)の武田氏に相対(あいたい)する位置にある重要な拠点であった。 天ヶ岳山頂周辺と南西尾根と北東尾根に曲輪や堀切を設け、北西に伸びる尾根の先にある龍城山上(りゅうじょうさんじょう)の幅約100m、長さ約400mの範囲には、本丸、二ノ丸、権現曲輪、三ノ丸とよばれる曲輪が残存している。南東尾根筋には出城的な遺構があり、北東尾根筋には史跡韮山役所跡(にらやまやくしょあと)を含んだ範囲で城郭遺構群が確認できる。山塊の西側には2時期にわたる堀跡が確認されており、文献史料における「大構(おおがまえ)」との関連が指摘されている。 天ヶ岳周囲には、天正(てんしょう)18年(1590)の豊臣秀吉(とよとみひでよし)による小田原攻めの際に、韮山城包囲のために豊臣方が築いた付城跡(つけじろあと)が残っており、参陣者を記した文献資料と合わせることで戦闘の様子が判明する。戦国時代の築城の様子や、その終焉期の戦闘状況を知る上で重要な遺跡である。