国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
太田の大トチノキ
ふりがな
:
おおたのおおとちのき
太田の大トチノキ
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種別1
:
天然記念物
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
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特別区分
:
指定年月日
:
1993.04.06(平成5.04.06)
特別指定年月日
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追加年月日
:
指定基準
:
(一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県
:
石川県
所在地(市区町村)
:
白山市白峰
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
太田の大トチノキ
解説文:
トチノキは、トチノキ科トチノキ属に属する我が国の固有種で、本州と四国には広く、北海道では道南地方に、また九州には極く稀に分布する落葉高木である。トチノキは、主として冷温帯の沢沿いに成立する渓谷林を構成する主要樹種のひとつである。本種は大高木で、目通り幹周が5メートルを越える巨木が珍しくない。大高木であることに併せて、灰褐色の樹皮が鱗状の厚い片となって剥離してできる特異な紋様がいっそう人目を引く。
サポニンを含むトチノキの大粒の堅果は、直ちに食用とすることはできないものの、いわゆるアク抜きを施せば効率よく澱粉を得ることができ、乾燥の後は長期貯蔵にも耐えるなど、山間部では重宝な保存食料として古くから広く利用されてきた。
本州中部の多雪地帯に位置する白山の麓にも、このトチノキは多い。加賀平野を北流して日本海に注ぐ手取川は、上流部で幾本もの支流をもつ。それらの支流はさらに大小の枝谷を幾本ももつが、そのひとつが石川県白峰村大道谷地区の太田谷である。この谷の林道脇に、「太田の大栃」の名で土地の人の間で親しまれかつ敬われてきたトチノキの巨木がある。この巨木は目通り幹周が13メートル、高さ25メートルあって、威風を放っている。主幹上部はすでに失なわれて久しいが、地上10メートルほどの位置で分岐する5本の太い幹からは太い枝が垂直に伸び、その樹勢はなお衰えていない。残る巨幹の内部は大人が20人も入ることができる洞となっている。かつてこの地方では焼き畑を中心とする出作り耕作が盛んであったが、「太田の大栃」の周囲でも昭和30年代中頃まで耕作が営まれ、その後は杉が植栽され現在に至っている。明治初期には太田谷で45軒もの出作り農家があったことが確認されている。当時トチノキが食料源として大切であったことは先に記したとおりであるが、そのトチノキの巨木である「太田の大栃」はシンボルでもあり、大切に崇められ、保存されてきた。この樹にまつわるいくつかの説話からもそのことが容易にうかがえる。
昭和63年(1988)度に環境庁が全国を対象に実施した巨樹・巨木林調査の結果、「太田の大栃」はトチノキでは最大の目通り幹周を有することが判明した。本種の成長限界の指標として学術的価値は高く、天然記念物に指定して保存しようとするものである。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
太田の大トチノキ
太田の大トチノキ
写真一覧
太田の大トチノキ
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太田の大トチノキ
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解説文
トチノキは、トチノキ科トチノキ属に属する我が国の固有種で、本州と四国には広く、北海道では道南地方に、また九州には極く稀に分布する落葉高木である。トチノキは、主として冷温帯の沢沿いに成立する渓谷林を構成する主要樹種のひとつである。本種は大高木で、目通り幹周が5メートルを越える巨木が珍しくない。大高木であることに併せて、灰褐色の樹皮が鱗状の厚い片となって剥離してできる特異な紋様がいっそう人目を引く。 サポニンを含むトチノキの大粒の堅果は、直ちに食用とすることはできないものの、いわゆるアク抜きを施せば効率よく澱粉を得ることができ、乾燥の後は長期貯蔵にも耐えるなど、山間部では重宝な保存食料として古くから広く利用されてきた。 本州中部の多雪地帯に位置する白山の麓にも、このトチノキは多い。加賀平野を北流して日本海に注ぐ手取川は、上流部で幾本もの支流をもつ。それらの支流はさらに大小の枝谷を幾本ももつが、そのひとつが石川県白峰村大道谷地区の太田谷である。この谷の林道脇に、「太田の大栃」の名で土地の人の間で親しまれかつ敬われてきたトチノキの巨木がある。この巨木は目通り幹周が13メートル、高さ25メートルあって、威風を放っている。主幹上部はすでに失なわれて久しいが、地上10メートルほどの位置で分岐する5本の太い幹からは太い枝が垂直に伸び、その樹勢はなお衰えていない。残る巨幹の内部は大人が20人も入ることができる洞となっている。かつてこの地方では焼き畑を中心とする出作り耕作が盛んであったが、「太田の大栃」の周囲でも昭和30年代中頃まで耕作が営まれ、その後は杉が植栽され現在に至っている。明治初期には太田谷で45軒もの出作り農家があったことが確認されている。当時トチノキが食料源として大切であったことは先に記したとおりであるが、そのトチノキの巨木である「太田の大栃」はシンボルでもあり、大切に崇められ、保存されてきた。この樹にまつわるいくつかの説話からもそのことが容易にうかがえる。 昭和63年(1988)度に環境庁が全国を対象に実施した巨樹・巨木林調査の結果、「太田の大栃」はトチノキでは最大の目通り幹周を有することが判明した。本種の成長限界の指標として学術的価値は高く、天然記念物に指定して保存しようとするものである。