国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
高遠城跡
ふりがな
:
たかとおじょうあと
高遠城跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1973.05.26(昭和48.05.26)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
長野県
所在地(市区町村)
:
伊那市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
高遠城跡
解説文:
高遠の地はもと諏訪一族(藤沢・高遠・保科)の支配にあり、武田氏が進出して高遠城を築き、その後、保科・鳥居氏の居となり、元祿年間には一時幕領となったが、内藤氏が摂津富田より入部すると、幕末まで城主の地位にあった。
城は三峰川・藤沢川の合流する段丘先端部に位置する平山城で、本丸を中心とした三重式の築城形式をとっている。さらに本丸南に南郭、法幢院郭、その下に[[腰郭状]こしぐるわ]の笹郭、勘介郭が配され、各郭は深い空堀で隔てられ、郭の外周は高い土塁をめぐらされている。また郭の外方には一部武家の屋敷割が遺存しているなど、高遠城はきわめて戦国的な城郭の構えをとどめている。
三の丸には、万延元年、藩重役の屋敷を改築して学問所とした藩校進徳館も残るが、すでに旧規を失っている。しかし城内に遺存する藩校の例は少なく、これも含めて指定する。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
高遠城跡
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高遠城跡
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高遠城跡
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解説文
高遠の地はもと諏訪一族(藤沢・高遠・保科)の支配にあり、武田氏が進出して高遠城を築き、その後、保科・鳥居氏の居となり、元祿年間には一時幕領となったが、内藤氏が摂津富田より入部すると、幕末まで城主の地位にあった。 城は三峰川・藤沢川の合流する段丘先端部に位置する平山城で、本丸を中心とした三重式の築城形式をとっている。さらに本丸南に南郭、法幢院郭、その下に[[腰郭状]こしぐるわ]の笹郭、勘介郭が配され、各郭は深い空堀で隔てられ、郭の外周は高い土塁をめぐらされている。また郭の外方には一部武家の屋敷割が遺存しているなど、高遠城はきわめて戦国的な城郭の構えをとどめている。 三の丸には、万延元年、藩重役の屋敷を改築して学問所とした藩校進徳館も残るが、すでに旧規を失っている。しかし城内に遺存する藩校の例は少なく、これも含めて指定する。