国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
高野参詣道
町石道
三谷坂
京大坂道不動坂
黒河道
女人道
ふりがな
:
こうやさんけいみち
ちょういしみち
みたにざか
きょうおおさかみちふどうざか
くろこみち
にょにんみち
高野山町石
写真一覧▶
地図表示▶
詳細解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
145
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
1977.07.14(昭和52.07.14)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2016.03.01(平成28.03.01)
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡,六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
和歌山県
所在地(市区町村)
:
橋本市、伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
高野山町石
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
高野山町石
高野山町石
高野山町石
高野山町石
写真一覧
高野山町石
写真一覧
高野山町石
写真一覧
高野山町石
写真一覧
高野山町石
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
詳細解説
S40-5-064高野山[[町石]ちょういし].txt: 文永2年(1265)発願、弘安8年(1285)完成。山下慈尊院から山上弘法大師の御廟所に至る参道沿いに220本(鎌倉時代のもの179本、他は後補)の町石と里石が並ぶ。一石五輪で、後嵯峨上皇、北条時宗等から庶民に至るまで寄進している。代表的な町石である。
関連情報
指定等後に行った措置
1997.03.06(平成9.03.06)
2015.10.07(平成27.10.07)
2016.03.01(平成28.03.01)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
1997.03.06(平成9.03.06)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2015.10.07(平成27.10.07)
異動種別1
:
名称変更
異動種別2
:
追加指定
異動種別3
:
異動内容
:
追加指定・名称変更(旧名称:高野山町石)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2016.03.01(平成28.03.01)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
高野山参詣道は高野山への参詣道の総称である。壇上伽藍を中心に慈尊院から奥院に至る約24kmにわたり、220基もの町石と里(り)石(いし)が残されているが、それは高野山遍照院覚斅(かくぎょう)が文永2年(1265)に発願し、後嵯峨上皇、北条時宗等から庶民に至る寄進を得て、弘安8年(1285)までに建立された花崗岩製の五輪卒塔婆で、代表的な町石として、参詣道とともに高野山町石の名称で昭和52年に史跡指定がなされた。平成9年には、第四町石の建立時点の位置が明らかとなったことから、建立時の原位置を追加指定し、その移設を行った。さらに、平成27年には、高野山金剛峯寺への参詣道のうち、遺存状況の良好な箇所が明らかとなった4本のルートについて、道及び関連する神社・石造物等を既指定の高野山町石に追加指定するとともに、名称を高野参詣道とし、保護の万全を図った。
4本のルートは、町石道から派生するルートとして、12世紀には成立していた丹生都比売神社を経由あるいは直接丹生酒殿神社に至る三谷坂のルート、鎌倉時代後期以降、庶民による熊野参詣の盛行により、紀ノ川沿いから不動坂口に至る京大坂道が利用されるようになり、近世には町石道に代わって主要な参詣道となっていく、京大坂道のうち旧態をとどめている不動坂部分、同じく16世紀にはすでに利用されていた紀ノ川沿いから黒河口に至る黒河道、さらに、金剛峯寺伽藍地区を中心とする境内地への女人禁制の区域を明示する高野七口の各口に設置された女人堂巡りの道として、あるいは、奥院の背後に所在する転軸山(てんじくざん)、楊柳山(ようりゅうざん)及び摩尼山(まにさん)に祀られる菩薩像を巡拝するための三山巡りの道として使われた女人道、の4つのルートである。
今回、黒河道と女人道の条件の整った箇所について追加指定を行い、保護の万全を図るものである。