国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
船迫窯跡
ふりがな
:
ふなさこかまあと
船迫窯跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
24
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
1999.01.28(平成11.01.28)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
福岡県
所在地(市区町村)
:
築上郡築上町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
船迫窯跡
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
船迫窯跡
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船迫窯跡
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詳細解説
船迫窯跡群は,英彦山系から北へ延びる支脈に連なる丘陵北端に位置する。昭和35〜45年頃の分布調査により広く存在が知られていたが,県営圃場整備事業に伴う平成6年度以降の発振調査により,須恵器窯跡や瓦窯跡・工房跡等が確認されたため、圃場整備地区から除外され保存されることとなった。 遺跡は茶臼山東窯跡,堂がへり窯跡,堂がへり遺跡からなる窯跡群であり,大字名をとって船迫窯跡群と総称している。なお,既に失われているが,宇土窯跡もこの窯跡群に含まれる。茶臼山東窯跡は丘陵斜面に5基の窯があり,1〜3号窯と5号窯が6世紀後半の須恵器窯で,4号窯が7世紀中頃に須恵器と瓦を焼成した兼業窯である。いずれも地下式ないし半地下式の窖窯とみられる。茶臼山東窯跡の東方約200mの丘陵には、4基の窯からなる堂がへり窯跡がある。斜面中腹に構築された1・2号窯 では8世紀後半に豊前国分寺所用瓦を焼成し,裾部の3・4号窯でほ6世紀末から7世紀初頭に須恵器を,7世紀後半に瓦を焼成している。いずれも地下式の窖窯である。2号窯はいわゆる有階有段床式で全長10mあり,燃焼部側壁を貼り直している。 4号窯は全長9.6m,いわゆる無階有段床式で,前庭部は広く平坦な作業面となっている。 堂がへり遺跡は堂がへり窯跡の北に広がる平坦面に設けられた工房跡である。6世紀末〜7世紀初頭の遺構には、粘土溜めと考えられる長径4m前額の楕円形の土坑などがあり,堂がへり3・4号窯での須恵器生産に関連するとみられる。8世紀後半の遺構は豊前国分寺所用瓦製作工房と考えられ,桁行10間(約30m),梁間・2間(約6m)の身舎に南北に庇の付く大型の掘立柱建物2棟などがある。2棟の大型掘立柱建物は,約6mの間隔で柱筋を揃えて南北に並んでおり,瓦の製作・乾燥等に使用された施設と考えられる。 出土品には,須恵器,百済系単弁八葉蓮華文軒丸瓦,鴻臚館系複弁七葉蓮華文軒丸瓦,法隆寺系忍冬唐草文軒平瓦,鴟尾,鬼瓦,平瓦,丸瓦,粘土のほかに,ミニチュア土器,須恵質の有孔円盤などがある。茶臼山東4号窯と堂がへり3・4号窯からは,供給先は不明ながら,北部九州地方では初現期に相当する丸・平瓦が出土している。 なお,宇土窯跡では9世紀前半の国分寺補修用瓦が出土している。 本窯跡は,6世紀後半の須恵器の焼成開始から7世紀中頃の初期瓦生産を経て豊前国分寺に瓦を供給するに至るまでの変遷を辿ることができ,北部九州地方の窯業史を知る上で重要である。また,掘立柱建物等の工房跡と窯跡とが一体となって,全体の構造が明らかな数少ない窯跡として極めて貴重なものであり、瓦生産の実態を知る上できわめて重要である。よって、史跡に指定し保護しようとするものである。