国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
新治廃寺跡
附 上野原瓦窯跡
ふりがな
:
にいはりはいじあとつけたりうえのはらかわらがまあと
新治廃寺跡 伽羅現況
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1942.07.21(昭和17.07.21)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡,六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
茨城県
所在地(市区町村)
:
筑西市、桜川市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
新治廃寺跡 伽羅現況
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
新治廃寺跡 伽羅現況
新治廃寺跡 東塔跡
新治廃寺跡
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新治廃寺跡 伽羅現況
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新治廃寺跡 東塔跡
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新治廃寺跡
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詳細解説
臺地ノ緑辺ニ位セル地域ノ畑中ニ金堂阯ト認メラルヽ土壇アリ高サ約四尺五寸東西約六十尺、南北約四十尺稍楕圓形ヲ呈シ花崗岩繰出アル約三尺内外ノ礎石十個舊位置ニ存シ其ノ一部ニ■ヲ敷詰メタル遺構ヲ存セリ 金堂阯ノ東側ニハ土壇アリテ高サ約四尺略三十尺ノ方形ヲ成シ其ノ中央ニ縱約五尺五寸横約四尺五寸ノ塔心礎ヲ存セリ花崗岩自然石ノ表面ヲ削平シテ中央ニ直徑一尺八寸二分、深サ七寸四分ノ圓孔ヲ刻セリ又西側ニモ一個ノ土壇アリ高サ約四尺東西約十七尺南北約十二尺、略々中心地点ニ塔心礎ノ阯ト認メラルヽ凹所アリテ其ノ傍ニ硬砂岩自然石ノ表面ヲ削平セル礎石一個ヲ存ス即チ前者ハ東塔阯ニシテ後者ハ西塔阯サルベシ更ニ金堂阯ノ北方約九十四尺ヲ距テテ講堂阯ト認メラル、土壇アリ高サ約二尺五寸東西約六十尺、南北約三十尺及至三十七尺、略々長方形ヲ成セリ礎石ハ殆ド取除カレタルモ尚西側ナル南北両隅ニ舊位置ニアリト認メラルヽモノ二個ト畑中ニ顛落セルモノ一個トヲ存シ共ニ花崗岩自然力ノ表面ヲ削平セルモノナリ 各土壇ハ周囲ヨリ鑿取セラレテ縮小セルモ畑ノ地中ニ地固メノ遺構ヲ存スルニ依リテ其ノ基壇周辺ヲ偲ビ得ベシ又金堂阯、塔阯及講堂阯ヲ中心トセル周囲ノ畑ノ地中ニモ略長方形ニ囲繞セル廻廊阯ノ地固メト認メラルヽ遺構アリ講堂阯土壇ノ北方地區ニモ亦地固■遺構ヲ存シ各其ノ地域内ヨリ奈良時代ノ様式ヲ備フル古瓦ヲ出ダセリ此ノ如ク遺構完備シ伽■配置ニ特色アル廃寺阯ハ類稀ナルモノナリ 尚寺阯ノ東方約五百米、西茨城郡岩瀬町大字上野原新田字上野原ノ山林中ニ大小四個ノ瓦窯阯アリ低平ナル丘ノ上ニ築カレタル平窯ニシテ内大ナル分ハ天井、左右両壁ハ破壞セルモ窯底ハ完存シ通火構ハ幅約一尺二寸、深サ約一尺三寸、井桁状ニ設ケラレ前方及左右両側面ニ炊口部アリ廃寺阯ト近距離ニアリ且又出土ノ瓦モ廃寺阯発見ノ瓦ト略々同一ナレバ主トシテ新治発寺ニ使用セル瓦ヲ焼成セシ窯阯ト認ムルヲ得ベシ S50-12-059[[新治廃寺]にいはりはいじ]跡[[附]つけたり][[上野原瓦窯]うえのはらがよう]跡.txt: 昭和17年7月21日指定されていた本遺跡のうち、上野原瓦窯跡は新治廃寺跡の創建時の屋瓦を供給した瓦窯であり、平窯4基が確認され指定されていた。近時、竪穴住居跡や堀立柱建物など造瓦工房とそれに関連する遺構を発見したので追加指定する。
関連情報
指定等後に行った措置
1977.02.03(昭和52.02.03)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
1977.02.03(昭和52.02.03)
異動種別1
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追加指定
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
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