国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
朝夷奈切通
ふりがな
:
あさいなきりどおし
既指定地(鎌倉市十二所字七曲550番)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1969.06.05(昭和44.06.05)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2007.07.26(平成19.07.26)
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
神奈川県
所在地(市区町村)
:
鎌倉市十二所、横浜市金沢区
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
既指定地(鎌倉市十二所字七曲550番)
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
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既指定地(鎌倉市十二所字七曲550番)
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既指定地(鎌倉市十二所字七曲550番)
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詳細解説
朝夷奈切通は、鎌倉市の北東端部、横浜市との市境をまたいで所在する、鎌倉と東京湾側の外港、六浦(横浜市金沢区)とを結ぶ峠道である。鎌倉七口の一つとして昭和四十四年に史跡指定され、平成十五年に切通道の西側出入り口部付近の納骨堂跡が追加指定された。横浜市金沢区の現行地名は「朝比奈町」であるが、貞享二年(一六八五)刊行の地誌『新編鎌倉志』では「朝夷奈切通」と表記している。 『吾妻鏡』によれば、仁治二年(一二四一)四月から執権北条泰時の監督のもとで開削工事が進められ、建長二年(一二五〇)六月には補修工事が行われた。既指定地は東西延長一キロメートル、南北幅約四〇メートルの範囲と納骨堂跡の平場で、周辺部にはやぐら群や切岸、削平地等の遺構が広がり、往時の景観をよくとどめている。 平成十一~十二年度に神奈川県教育委員会、鎌倉市教育委員会が切通周辺部の詳細分布調査、遺構確認のための発掘調査を実施し、多数のやぐら群、切岸、削平地等の遺構を確認した。今回、旧地形をとどめ、遺構の確認された東西約一・四キロメートル、南北約一〇〇~一五〇メートルの範囲のうち、条件の整った鎌倉市域部分を追加指定し、保護の万全を図ろうとするものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2003.08.27(平成15.08.27)
2007.07.26(平成19.07.26)
2008.07.28(平成20.07.28)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2003.08.27(平成15.08.27)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2007.07.26(平成19.07.26)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2008.07.28(平成20.07.28)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
鎌倉市の北東部、横浜市との市境をまたいで所在する、鎌倉と東京湾側の外港、六浦を結ぶ峠道で、仁治2年(1241)に開削工事が進められた鎌倉七口の一つ。切通道の多様な性格を示すやぐら群や切岸などの遺構群が分布する山稜部を追加指定して保護の万全を図る。