国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
仮粧坂
ふりがな
:
けはいざか
既指定範囲(鎌倉市扇ガ谷四丁目319番から坂上を望む)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1969.11.29(昭和44.11.29)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2007.07.26(平成19.07.26)
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
神奈川県
所在地(市区町村)
:
鎌倉市扇ヶ谷・佐助
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
既指定範囲(鎌倉市扇ガ谷四丁目319番から坂上を望む)
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
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既指定範囲(鎌倉市扇ガ谷四丁目319番から坂上を望む)
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既指定範囲(鎌倉市扇ガ谷四丁目319番から坂上を望む)
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詳細解説
仮粧坂は、鎌倉市の中央部に所在する、藤沢を経て武蔵、上野へ至る鎌倉街道の峠道で、鎌倉七口の一つとして昭和四十四年に史跡指定された。『吾妻鏡』建長三年(一二五一)十二月三日条に、鎌倉中で商売を認められた七か所の一つとして「気和飛坂上」(けはいさかうえ)が挙げられており、繁華な商業地区で、刑場、葬送の場でもあった。天保十二年(一八四一)成立の幕府撰の地誌『新編相模国風土記稿』では「仮粧坂」と表記している。 鎌倉中心部につながる幹線道路であり、元弘三年(一三三三)の鎌倉攻めの際には、新田義貞が幕府群を破り(『太平記』)、以後もたびたび鎌倉における合戦の主要な戦場の一つとなった。既指定地は、鎌倉内側の谷部から葛原岡・源氏山公園に至る、坂道を中心とする丘陵部と谷部で、東西延長約二五〇メートル、南北約一五〇メートルの範囲である。 平成七年度に鎌倉市教育委員会が切通周辺部の詳細分布調査を、同十二年度に神奈川県教育委員会、鎌倉市教育委員会が遺構確認のための発掘調査を実施した結果、山稜部において多数のやぐら群、火葬遺構、切岸、堀切、削平地、石切場跡等の遺構を確認した。追加指定予定地の北西部には史跡日野俊基墓が接する。今回、旧地形をとどめ、遺構の確認された東西約五〇〇メートル、南北約七〇〇メートルの範囲を追加指定し、保護の万全を図ろうとするものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2007.07.26(平成19.07.26)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2007.07.26(平成19.07.26)
異動種別1
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追加指定
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
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