国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
市川鉱物研究室収蔵標本
ふりがな
:
いちかわこうぶつけんきゅうしつしゅうぞうひょうほん
標本の収蔵状況(2階)
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種別1
:
登録記念物(動物植物地質鉱物関係)
種別2
:
時代
:
明治~昭和
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
:
福井県
所在地(市区町村)
:
福井県越前市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
標本の収蔵状況(2階)
解説文:
詳細解説
日本の鉱物学研究の黎明期にあたる明治・大正・昭和初期にかけて、水晶の蝕像を研究し続け、世界的な研究業績を残した鉱物学者市川新松が研究に使用した鉱物標本類のコレクション。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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標本の収蔵状況(2階)
標本の収蔵状況
水晶球の人工触像標本(展覧品)
市川新松肖像
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水晶球の人工触像標本(展覧品)
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市川新松肖像
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解説文
日本の鉱物学研究の黎明期にあたる明治・大正・昭和初期にかけて、水晶の蝕像を研究し続け、世界的な研究業績を残した鉱物学者市川新松が研究に使用した鉱物標本類のコレクション。
詳細解説▶
詳細解説
市川新松は、慶応四年(1868)に足羽郡麻生津村三尾野(現福井市三尾野町)の打方新兵衛の二男に生まれた。三十四歳で三重県師範学校の助教諭になり、三十八歳で山梨県師範学校教諭となったが、その頃から水晶の結晶の表面に表れる蝕像に興味を持ち研究を始めた。その後、水晶をはじめとする各種鉱物の天然蝕像および人工蝕像の研究に没頭した。そして、水晶の蝕像に関する独創的な研究結果をアメリカの理学雑誌「AMERICAN JOURNAL OF SCIENCE」に「日本産水晶の蝕像に関する研究」として発表され,世界的にも高い評価を受け、カナダで開催された万国地質学会にも招待された。大正七年(1918)に、「市川鉱物研究室」を建設し研究に専念し、昭和八年(1933)「福井県鉱物誌」を日本語版と英語版の両方で出版した。昭和十六年(1941)七十三歳で生涯を閉じたが、亡くなる直前まで研究・執筆・印刷し続けた432ページの大著「日本産鉱物の蝕像に関する研究」は、長男の市川渡氏(金沢大学名誉教授)によって昭和四十九年(1974)出版された。 市川新松は、水晶の結晶面に現れた天然蝕像などが、水晶の結晶構造を解明するためには重要な構造であることに早くから着目した。また、水晶球をフッ化水素酸で溶解すると、最後には三角錐のような形になることなども発見した。これは、水晶の結晶成長の逆順をたどることに相当し、水晶を構成する原子のらせん構造などの結晶構造解明にもおよんだ。これらの研究成果は、パソコンや携帯電話などに使用されている、精密な水晶振動子を量産するための人工水晶製造の先駆的研究となっている。 市川新松コレクションは、日本の鉱物学研究の黎明期にあたる明治・大正・昭和初期にかけて、水晶の蝕像を研究し続け、世界的な研究業績を残した鉱物学者市川新松が研究に使用した鉱物標本類のコレクションである。これらの鉱物標本類は、市川新松の孫にあたる市川啓氏の邸内(福井県越前市中新庄町)の「市川鉱物研究室」内に、当時のまま約七十年間保存されてきた貴重な標本群である。