国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
恩賜箱根公園
ふりがな
:
おんしはこねこうえん
恩賜箱根公園.展望台
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
登録番号
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登録年月日
:
2013.08.01(平成25.08.01)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
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神奈川県
所在地(市区町村)
:
神奈川県足柄下郡箱根町
保管施設の名称
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所有者種別
:
所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
恩賜箱根公園.展望台
解説文:
詳細解説
芦ノ湖の「塔ヶ島」は,明治時代に新築された「箱根塔ヶ島(とうがしま)離宮(りきゅう)」の敷地にあたる。明治19年(1886)に完成し,同23年(1890)に「箱根離宮」へと名前が改められたが,大正12年(1923)の関東大震災により甚大な被害を受けた。昭和5年(1930)の北伊豆地震により再び被災し,大半の建築が取り壊された。昭和20年(1945)に跡地が神奈川県に下賜され,公園として一般公開された。芦ノ湖,箱根(はこね)外輪山(がいりんざん),富士山などを望見できる良好な立地にある。正面の傾斜面に設けられた園路,馬場跡,塔ノ鼻広場,二百階段など往時の箱根離宮の施設の痕跡が残されているほか,当時の地形,施設の痕跡を生かした公園整備が行われていることから,近代における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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恩賜箱根公園.展望台
恩賜箱根公園.二百階段
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恩賜箱根公園.展望台
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恩賜箱根公園.二百階段
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解説文
芦ノ湖の「塔ヶ島」は,明治時代に新築された「箱根塔ヶ島(とうがしま)離宮(りきゅう)」の敷地にあたる。明治19年(1886)に完成し,同23年(1890)に「箱根離宮」へと名前が改められたが,大正12年(1923)の関東大震災により甚大な被害を受けた。昭和5年(1930)の北伊豆地震により再び被災し,大半の建築が取り壊された。昭和20年(1945)に跡地が神奈川県に下賜され,公園として一般公開された。芦ノ湖,箱根(はこね)外輪山(がいりんざん),富士山などを望見できる良好な立地にある。正面の傾斜面に設けられた園路,馬場跡,塔ノ鼻広場,二百階段など往時の箱根離宮の施設の痕跡が残されているほか,当時の地形,施設の痕跡を生かした公園整備が行われていることから,近代における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
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詳細解説
芦ノ湖の東岸から湖中へと突き出た「塔ヶ島」は、明治時代に避暑及び悪疫避病を目的として新築された「箱根塔ヶ島離宮」の敷地にあたる。離宮は明治19年(1886)に完成し、明治23年(1890)に「箱根離宮」へと名前が改められたが、大正12年(1923)の関東大震災により、和館及び洋館など多くの建築が甚大な被害を受けた。その後、規模を縮小して復旧された建築群も、昭和5年(1930)の北伊豆地震により再び被災し、大半が取り壊された。昭和20年(1945)、その跡地が神奈川県に下賜され、恩賜箱根公園として一般に公開されるようになった。 恩賜箱根公園は、芦ノ湖及びその周囲を囲む箱根外輪山、富士山などを一望することのできる眺望絶佳の立地環境にある。公園としての公開後、昭和34年(1959)に神奈川県立公園となったのを契機として、離宮当時から存在した馬場跡、塔ノ鼻広場、弁天ノ鼻広場などが展望台又は休憩所として整備された。さらに、平成4年(1991)には離宮当時の洋館を模して展望館が新築された。 現在においてもなお、正面の傾斜面に設けられた園路、馬場跡、塔ノ鼻広場、二百階段など往時の箱根離宮の施設の痕跡が残されているほか、当時の地形及び人為的な造成の痕跡を示す石垣、植生の一部なども継承されており、それらを生かした公園整備が行われている。 以上のように、恩賜箱根公園は明治時代の箱根離宮の跡地に開設された公園であり、離宮当時の地形、施設の痕跡を生かした整備が行われていることから、近代における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。