国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
小早川氏庭園
ふりがな
:
こばやかわしていえん
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
江戸・明治
年代
:
西暦
:
面積
:
1693.21 m
2
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2014.03.18(平成26.03.18)
追加年月日
:
登録基準
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所在都道府県
:
長崎県
所在地(市区町村)
:
長崎県島原市
保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
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解説文:
詳細解説
温泉(うんぜん)岳(だけ)東麓の島原の城下町に豊富な湧水を引き入れて造った「水屋敷(みずやしき)」と呼ぶ一群の住宅の庭園のひとつで,約40m四方の敷地中央の主屋に東南面する池泉庭園である。主屋は明治23年(1890)の建造で,その北西に台所棟が連なる。
正面の薬医門から主屋玄関まで導入路の飛石が続き,玄関の手前左手の木戸を経て庭園へと至る。池泉の水は敷地西辺の中央付近において水路により隣家から敷地内へと引き入れられ,流れ・池泉を経て東側の道路沿いの水路へと排水するように造られている。池泉には2連の石造(せきぞう)反橋(そりばし)などが架かり,独特の意匠が見られる。また,台所棟北側の洗い場・井戸などの生活用水路は,池泉への導水路と明確に区分されている。
湧水を主体とする池泉庭園及び水利用施設,用途により区分された導水路の系統などは,近世から近代にかけて島原の城下町に継承されてきた独特の手法である。したがって,小早川氏庭園は,島原地方の造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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解説文
温泉(うんぜん)岳(だけ)東麓の島原の城下町に豊富な湧水を引き入れて造った「水屋敷(みずやしき)」と呼ぶ一群の住宅の庭園のひとつで,約40m四方の敷地中央の主屋に東南面する池泉庭園である。主屋は明治23年(1890)の建造で,その北西に台所棟が連なる。 正面の薬医門から主屋玄関まで導入路の飛石が続き,玄関の手前左手の木戸を経て庭園へと至る。池泉の水は敷地西辺の中央付近において水路により隣家から敷地内へと引き入れられ,流れ・池泉を経て東側の道路沿いの水路へと排水するように造られている。池泉には2連の石造(せきぞう)反橋(そりばし)などが架かり,独特の意匠が見られる。また,台所棟北側の洗い場・井戸などの生活用水路は,池泉への導水路と明確に区分されている。 湧水を主体とする池泉庭園及び水利用施設,用途により区分された導水路の系統などは,近世から近代にかけて島原の城下町に継承されてきた独特の手法である。したがって,小早川氏庭園は,島原地方の造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
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詳細解説
温泉岳東麓に位置する城下町の島原は、豊かな湧水を活かして「水屋敷」と呼ぶ一群の住宅が造られたことで知られる。その一つである小早川氏庭園は、島原城三の丸の旧常盤御茶屋北側の通りと田屋敷小路との交差点の南西角部に位置する。元治2年(1865)の『島原藩士屋敷図』によると、現在の小早川氏邸は島原藩老連判役で300石を拝領した上級家臣の佐野勇太郎の邸宅であったことがわかる。 庭園を含む住宅の敷地は東西約40m、南北約45mのほぼ正方形を成し、外周を高い石垣・煉瓦塀が囲み、東面のやや北寄りの位置に表門の薬医門を開く。敷地の中央に位置する主屋は棟札から明治23年(1890)の建造であることが知られ、その北西に台所棟が連なる。 表門から主屋玄関まで続く飛石の導入路の左手は石塀に遮られ、玄関の手前左手に庭園へと通ずる木戸がある。木戸を入ると、主屋東側から南側にかけて湧水を引き込んで造った池泉庭園が広がる。池泉への水は敷地西辺の中央付近において隣家から水路にて敷地内へと引き入れられ、池泉の南西端から北東隅部を流れた後、東側の道路沿いの水路へと排水するように造られている。池泉の中央に浮かぶ中島には2連の石造反橋が架けられているほか、流れを成す池泉の上流部にも小さな石造反橋が架けられており、独特の意匠が見られる。小早川氏庭園は外界の町場から隔絶された空間を成し、清浄な湧水が潤す池泉は清逸な風情に包まれている。 池泉への導水路と明確に区分された生活用水路は、敷地北西隅部から引き入れられた後、主屋及び台所棟北側の洗い場・井戸からの排水路と合流して、東側の道路沿いの水路へと排水される。 湧水を主体とする池泉庭園及び水利用施設、用途により区分された導水路の系統などは、近世から近代にかけて、島原の城下町に継承されてきた独特の手法である。したがって、小早川氏庭園は、島原地方の造園文化の発展に寄与してきた意義深い事例である。