国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
山水園庭園
ふりがな
:
さんすいえんていえん
山水園庭園(池泉庭園)
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
大正~昭和
年代
:
西暦
:
面積
:
8999.33 m
2
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2015.10.07(平成27.10.07)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
:
山口県
所在地(市区町村)
:
山口県山口市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
山水園庭園(池泉庭園)
解説文:
詳細解説
山口市中央部の湯田温泉に位置しており,元々大正期に個人の別荘として造営が開始されたが,完成前に売却され,最終的に昭和11年(1936)に中野仁義(なかのひとよし)の所有するところとなった。中野は温泉旅館「山水園」を創業し,昭和25年(1950)に茶室棟,宴会場棟等の建物を増築した。庭園もその頃ほぼ現在の形に整えられた。
標高約120mの障子岳の南麓に広がる庭園は,敷地の東半分を占める池庭(いけにわ),西南隅に位置する枯山水,茶室周りの茶庭(露地)の3つの部分から成る。主屋建物群の東に位置する池庭は回遊式で,園池の周囲から山裾の小高い部分へと園路が延びる。古写真等の資料から,池庭の主要な部分は造営時に造られたことがわかる。宴会場棟の前に造られた枯山水は一面に敷き詰められた白砂に小ぶりの景石を配置し,昭和25年(1950)の茶室棟の建築と同時期に造られた茶庭とともに,京都の庭師後藤重栄(ごとうじゅうえい)によるものである。近代の山口県における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
山水園庭園(池泉庭園)
山水園庭園(枯山水庭園)
山水園庭園(露地)
写真一覧
山水園庭園(池泉庭園)
写真一覧
山水園庭園(枯山水庭園)
写真一覧
山水園庭園(露地)
解説文
山口市中央部の湯田温泉に位置しており,元々大正期に個人の別荘として造営が開始されたが,完成前に売却され,最終的に昭和11年(1936)に中野仁義(なかのひとよし)の所有するところとなった。中野は温泉旅館「山水園」を創業し,昭和25年(1950)に茶室棟,宴会場棟等の建物を増築した。庭園もその頃ほぼ現在の形に整えられた。 標高約120mの障子岳の南麓に広がる庭園は,敷地の東半分を占める池庭(いけにわ),西南隅に位置する枯山水,茶室周りの茶庭(露地)の3つの部分から成る。主屋建物群の東に位置する池庭は回遊式で,園池の周囲から山裾の小高い部分へと園路が延びる。古写真等の資料から,池庭の主要な部分は造営時に造られたことがわかる。宴会場棟の前に造られた枯山水は一面に敷き詰められた白砂に小ぶりの景石を配置し,昭和25年(1950)の茶室棟の建築と同時期に造られた茶庭とともに,京都の庭師後藤重栄(ごとうじゅうえい)によるものである。近代の山口県における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
詳細解説▶
詳細解説
山水園庭園は山口市中央部の湯田温泉に位置する。元々大正期に個人の別荘として造営が開始されたが、完成前に売却され、最終的に昭和11年(1936)に中野仁義の所有するところとなった。中野は温泉旅館「山水園」を創業し、昭和25年(1950)に茶室棟、宴会場棟等の建物を増築した。庭園もその頃ほぼ現在の形に整えられた。 標高約120mの障子岳の南麓に広がる庭園は、敷地の東半分を占める池庭、西南隅に位置する枯山水、茶室周りの茶庭(露地)の3つの部分から成る。 主屋建物群の東に位置する池庭は回遊式で、園池の周囲から山裾の小高い部分へと園路が延びる。中心となる園池は入り組んだ汀線を持ち、中央部には堤が築かれている。現在園池背後の障子岳の裾に造られた滝からは温泉を流しており、流れを経て園池へと注ぐ。植栽はクロマツ、アカマツ、イロハモミジ等の高木を中心にサツキツツジの低木を配する。園池及び流れの岸、園路の傍らには石燈籠が置かれ、園池の南東には桂離宮庭園の四腰掛「卍亭」の写しである四阿「萬壽亭」が建つ。古写真等の資料から、池庭の主要な部分は造営時に造られたことがわかる。 宴会場棟の前に造られた枯山水は、一面に敷き詰められた白砂に小ぶりの景石を配置する。もともと堀の一部であったが、昭和25年(1950)に宴会場棟を移築した際に埋め立てて枯山水を造った。作庭は京都の庭師後藤重栄(1899~1990)による。白砂の周辺及び出島状の部分にはアカマツ、ヒラドツツジ等を植える。 茶庭は、昭和25年(1950)の茶室棟の建築と同時期に造られた。茶室棟は数寄屋大工の笛吹嘉一郎(1898~1969)の手によるもので、茶庭は枯山水と同様に、後藤重栄が造った。 その他、敷地の縁辺部には幅約15m、長さ約100mの堀が築かれ、その端には奈良郡山の慈光院の茨木門の写しである「いばらき門」が建つ。 以上のように、山口市の湯田温泉に昭和の前半に整えられ、地形を活かした池庭及び京都の庭師による枯山水、茶庭が今日までよく残る山水園庭園は、近代の山口県における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。