国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録記念物
主情報
名称
:
魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)
ふりがな
:
うおづうらのしんきろう(おたやあと)
魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)
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種別1
:
登録記念物(名勝地関係)
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
1270.14 m
2
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
登録年月日
:
2020.03.10(令和2.03.10)
追加年月日
:
登録基準
:
所在都道府県
:
富山県
所在地(市区町村)
:
富山県魚津市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)
解説文:
詳細解説
発生地域や時期が限定される稀有な上位蜃気楼(じょういしんきろう)を生じる魚津浦の沿岸において,寛政9年(1797)に加賀藩主(かがはんしゅ)前田治脩(まえだはるなが)が参勤交代で滞在した際に出現した蜃気楼を描かせた「喜見城之図(きけんじょうのず)」が残されている。その滞在場所であった御旅屋(おたや)の跡地を登録するもの。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)
魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)(御旅屋跡(大町海岸公園)から見た蜃気楼)
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魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)
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魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)(御旅屋跡(大町海岸公園)から見た蜃気楼)
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解説文
発生地域や時期が限定される稀有な上位蜃気楼(じょういしんきろう)を生じる魚津浦の沿岸において,寛政9年(1797)に加賀藩主(かがはんしゅ)前田治脩(まえだはるなが)が参勤交代で滞在した際に出現した蜃気楼を描かせた「喜見城之図(きけんじょうのず)」が残されている。その滞在場所であった御旅屋(おたや)の跡地を登録するもの。
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詳細解説
富山湾は古くから蜃気楼の名所であり,特に発生する地域や時期が限定される上位蜃気楼(じょういしんきろう)がよく観測されることで知られている。今日,魚津浦の蜃気楼は,特別天然記念物ホタルイカ群遊海面,特別天然記念物魚津埋没林と並んで,魚津の三大奇観と称されている。こうした蜃気楼は,江戸時代以降,加賀藩主(かがはんしゅ)や加賀藩に仕えた儒学者などにより記録され,特に澤田宗堅(さわだそうけん)による『寛文紀行』(寛文9年,1669)に記された蜃気楼の記録は,現在把握されている最古である。『魚津古今記』(天明8年,1788)には,加賀藩主前田綱紀(まえだつなのり)が魚津で蜃気楼を実見して「喜見城(きけんじょう)」と呼称するよう命じたことが記されている。後の藩主治脩(はるなが)は寛政9年(1797)4月に,参勤交代の途上,魚津浦の御旅屋で蜃気楼に遭遇し,その変位の様相を『喜見城之圖(きけんじょうのず)』(金沢市立玉川図書館近世史料館蔵,史料名称『魚津蜃気楼之図附喜見城之図断』)として絵師に描かせた。御旅屋とは加賀藩とその支藩であった大聖寺藩(だいしょうじはん)及び富山藩(とやまはん)の藩主専用の宿泊施設で,魚津の御旅屋は,魚津城下をめぐる北陸道に面して海岸沿いに位置していた。現在その跡地は公園となって地上に遺構は確認できないが,往時の町割りをよく維持して区画が特定できる上,現在も上位蜃気楼を観測できることが確認されており,由緒ある名所として意義深い。