国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要文化的景観
主情報
名称
:
求菩提の農村景観
ふりがな
:
くぼてののうそんけいかん
鳥井畑の村落
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種別1
:
重要文化的景観
種別2
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
選定番号
:
選定年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
追加年月日
:
選定基準
:
所在都道府県
:
福岡県
所在地(市区町村)
:
鳥井畑の村落
解説文:
詳細解説
12世紀~明治初頭まで天台修験の聖地であった求菩提山とその麓には、往時の行場の遺跡のみならず、修験者の生活の基盤となった村落・農地が残されている。それらは18世紀後半の『豊刕(州)求菩提山絵図』との照合が可能であり、農村景観の骨格・構造を継承している点で貴重である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
鳥井畑の村落
棚田風景
ツチ小屋
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鳥井畑の村落
写真一覧
棚田風景
写真一覧
ツチ小屋
解説文
12世紀~明治初頭まで天台修験の聖地であった求菩提山とその麓には、往時の行場の遺跡のみならず、修験者の生活の基盤となった村落・農地が残されている。それらは18世紀後半の『豊刕(州)求菩提山絵図』との照合が可能であり、農村景観の骨格・構造を継承している点で貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
九州地方東北部に位置する英彦(ひこ)山(さん)(標高1,200メートル)から東へと延びる山域に水源を発し、瀬戸内海西部の周防(すおう)灘(なだ)へと注ぐ複数の河川の谷間(たにあい)には、狭隘な土地を縫って村落及び水田を中心とする農地が帯状に展開している。その中でも、求(く)菩提(ぼて)山(さん)(標高782メートル)及び犬(いぬ)ヶ嶽(たけ)(標高1,131メートル)など、豊かな落葉広葉樹林の山嶺に囲まれた岩(いわ)岳(たけ)川(がわ)沿いの狭隘な土地には、近世に修験道の道者との深い結び付きの下に成立し、近現代にかけて緩やかに進化を遂げた村落・農地の文化的景観が展開している。 求菩提山は12世紀後半に頼(らい)厳(げん)上人(しょうにん)によって天台修験の聖地となり、明治5年(1872)に政府が修験道廃止令を発するまで、九州を代表する修験道場の一つとして発展した。その近世期の姿を描いた明和元年(1764)の『豊刕(ぶしゅう)(州)求(く)菩提(ぼて)山(さん)絵図(えず)』によると、山内には修験道の堂舎群及び行場である岩窟群が点在し、山麓の川沿いには修験者の生活を支えた村人の居住地・農地が帯状に成立していたことが知られる。特に、道場の中核を成した求菩提山護国寺の伽藍をはじめ、山中に暮らす修験者の居住地であった7箇所の「坊中」、修験者が薬用として栽培したのが起源とされる特産の茶畑、茅切り場、山麓の村落及びその周辺の棚田など、山中及び山麓の一帯に進んだ土地利用の在り方をうかがい知ることができる。それらのうち、山内の堂舎群は失われて遺跡と化したが、行場であった岩峰及び岩窟群の位置・形姿は往時と変わらずに残され、山麓の鳥(とり)井(い)畑(はた)の村落及び棚田・茶畑などの農地についても、その基本的な骨格・構造がほぼ変わることなく現在に継承されてきた。修験道の道場となった霊山及びその生活基盤として有機的に進化を遂げた山麓の村落・農地が一体となって形成する求菩提の文化的景観は、近世霊場の空間構造の在り方を今日に良好に伝えている。 鳥井畑の村落周辺の岩岳川沿いに広がる棚田は、すべて玉石の野面積みの畦(あ)畔(ぜ)によって区画されている。岩岳川の豊かな水をせき止めて用水路により導水する「堰(せき)上(あ)げ」と呼ぶ水利方式のほか、山域から岩岳川へと流れ込む沢水を利用した水利方式も見られる。特に「堰上げ」は11箇所に存在し、用水路を経て水田に導かれた水は、「田(た)越(こ)し」によって隣接する水田に給水され、最後に岩岳川へと放水される。最も規模の大きな「一(いち)の渡(わた)井(い)堰(せき)」から連続する用水路の総長は800メートルにも及び、川沿いの狭隘な土地を切り拓いて造成された棚田には、極めて精巧な給排水網が張り巡らされている。農地の随所には、三方を囲む石積擁壁の上に簡易な屋根を掛けた「ツチ小屋」と呼ぶ農作業用具の保管庫も点在し、棚田の野面積みの畦畔とともに、修験者が伝えた石積みの技術の名残を示す独特の農地景観を形成している。また、鳥井畑の村落周辺の農地では、他地域に比較して多種類のイネ科植物が確認されており、継続的に行われてきた耕作の営為が多様な生態系の維持に貢献していることが確認されている。 鳥井畑の農家の典型的な屋敷構えは母屋(おもや)及び馬屋(まや)から成り、そのうち母屋の八割には表向き及び内向きにそれぞれ三つの部屋が並行する六間取りの平面形式が見られる。村落には、豊前修験道の最大の祭礼である「松会(まつえ)」の流れを汲み、毎年3月29日に豊作及び生命の誕生を祈願して行われる「お田植祭」をはじめ、先祖供養の盆踊り、観音様祭、収穫祭、生命の再生を祈る神楽など、季節の節目を成す伝統行事も伝えられている。 以上のように、求菩提の農村景観は、周防灘に注ぐ河川沿いの狭隘な谷間に共通して営まれた農耕・居住の土地利用の在り方を示し、この地域の里に住む人々と山との関係を表す文化的景観の典型的な事例である。それは、天台修験の聖地であった求菩提山の山中の行場をはじめ、修験者の生活の基盤となった山麓の村落・農地の姿を描いた18世紀後半の『豊刕求菩提山絵図』とも照合できる点で貴重である。近世に成立し、近現代にかけて、その本質を失うことなく緩やかに進化を遂げたこの地方の土地利用の基本的な骨格・構造を伝えており、我が国民の生活又は生業を理解する上で欠くことのできないものであることから、重要文化的景観に選定して保護を図ろうとするものである。