国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要文化的景観
主情報
名称
:
長崎市外海の石積集落景観
ふりがな
:
ながさきしそとめのいしづみしゅうらくけいかん
全景
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種別1
:
重要文化的景観
種別2
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
選定番号
:
選定年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
追加年月日
:
2018.02.13(平成30.02.13)
選定基準
:
(一)水田・畑地などの農耕に関する景観地,(八)垣根・屋敷林などの居住に関する景観地,前項各号に掲げるものが複合した景観地のうち我が国民の基盤的な生活又は生業の特色を示すもので典型的なもの又は独特のもの
所在都道府県
:
長崎県
所在地(市区町村)
:
全景
解説文:
詳細解説
出津川流域の狭隘な地形で営まれる、近世から続く畑作を中心とした生業による集落景観。扁平で加工しやすい結晶片岩を主とする地質が特徴で、集落には石垣・石築地・石塀・石壁など結晶片岩による数多くの石積み構造物が所在しており貴重である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
全景
石塀
石壁
石築地
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全景
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石塀
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石壁
写真一覧
石築地
解説文
出津川流域の狭隘な地形で営まれる、近世から続く畑作を中心とした生業による集落景観。扁平で加工しやすい結晶片岩を主とする地質が特徴で、集落には石垣・石築地・石塀・石壁など結晶片岩による数多くの石積み構造物が所在しており貴重である。
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詳細解説
長崎市の北西部に位置する西(にし)彼(その)杵(ぎ)半島は、ほぼ全域が標高400メートル前後の山地から成り、古生代の結晶片岩が広く分布している。半島の西部に位置する外海は、対馬海流が流入する東シナ海沿岸にあって温暖な気候帯に属する。地域の大半は、伐採・開墾・耕作等の人為的撹乱により、主としてシイ・カシ等から成る二次林となっている。 半島中央部に連なる山地から南西流し、角力(すもう)灘へと注ぐ出(し)津(つ)川流域には、河口部のわずかな平地及び右岸に南面して形成された河岸段丘面上を中心として、小規模な集落が点在する。集落では畑作及び炭焼きを基盤とする生活が営まれ、特に17世紀初頭に甘藷栽培が普及して以降は、畑作を中心として広く耕作地が開墾されてきた。文久2年(1862)に佐賀藩が作成した『彼杵郡三重賤津(みえしつ)村、黒崎村、永田村図』には、住居・畑地・墓地が一つの単位として山中に点在する様子が描かれており、このような村落の構造は150年にわたって継承されてきた。現在も甘藷栽培等が継続されている一方で、近年はブドウ・ビワなどの果樹栽培が増加している。 明治12年(1879)、パリ外国宣教会から派遣され、外海へと赴任したマルク・マリー・ド・ロ神父は、海に臨む小田平(こたびら)地区に教会堂を建造した。さらにカトリックの共同組織を創設し、救助院において製粉、パン・マカロニ製造などの生産活動を指導した。ド・ロ神父の開拓に起源をもつ大平(おおだいら)地区では、近年、耕作放棄されていた当時の畑地が再生され、住民により茶・麦等が栽培されている。 外海の海浜又は出津川から採取される比較的大ぶりで丸みを帯びた玄武岩、及び斜面地を開墾した際に出土した結晶片岩は、墓石等の石造物に用いられてきたほか、多種多様の石積み構造物の材料に使用されてきた。これらの石積み構造物は、居住地・農地の土留めのために築かれた石垣、沿岸部で防波・防風のために築かれた石築地(ついじ)、民家の防風用として築かれた石塀、住居・蔵の壁面として築かれた石壁の4つに分類される。特に、結晶片岩は扁平で加工しやすいため、石積みは水平方向に目地が通るように積む「布積み」の手法を中心とするが、構造強化のために一部の目地通りをあえて崩す「布積み崩し」の技法も見られる。また、石積みの目地に赤土及び藁すさを練り込む伝統的な手法で築かれた「ネリベイ」は、石壁に多く用いられてきた。さらに、明治期には藁すさに代わって赤土に石灰を混ぜる練積みの手法がド・ロ神父により導入され、「ド・ロ壁」と呼ばれる大型の石壁も登場した。昭和56年に行われた出津教会堂周辺の石垣改修の際には結晶片岩を用いて施工するなど、現在も地域での石積みに対する愛着は深い。 このように、外海では、出津川流域の斜面地又は狭隘な平地において、結晶片岩を多用した石積みを特徴とする文化的景観が展開しており、近世から続く畑作を中心とした生業の在り方を含め、独特の集落景観が形成されている。近世の絵図に示された住居・畑地・墓地から成る集落の基本単位が継承されており、この地域における特有の土地利用形態を示す文化的景観であることから、重要文化的景観に選定し、その保存・活用を図るものである。