国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要文化的景観
主情報
名称
:
新上五島町崎浦の五島石集落景観
ふりがな
:
しんかみごとうちょうさきうらのごとういししゅうらくけいかん
海岸部の採石場
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種別1
:
重要文化的景観
種別2
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
選定番号
:
選定年月日
:
2012.09.19(平成24.09.19)
追加年月日
:
選定基準
:
所在都道府県
:
長崎県
所在地(市区町村)
:
海岸部の採石場
解説文:
詳細解説
中通島北東部に卓越する砂岩質の五島石を活用した、採石業・石材加工業による文化的景観。集落内では石臼や石造りの竃、家屋の腰板石や石敷きの小路など石材製品が多用され、運搬に便利な海岸部に展開した採石場跡と併せて独特の景観を形成しており貴重である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
海岸部の採石場
石敷きの集落内道路
五島石造りの頭ヶ島天主堂
腰板石を張った家屋
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海岸部の採石場
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石敷きの集落内道路
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五島石造りの頭ヶ島天主堂
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腰板石を張った家屋
解説文
中通島北東部に卓越する砂岩質の五島石を活用した、採石業・石材加工業による文化的景観。集落内では石臼や石造りの竃、家屋の腰板石や石敷きの小路など石材製品が多用され、運搬に便利な海岸部に展開した採石場跡と併せて独特の景観を形成しており貴重である。
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詳細解説
新上五島町崎浦は、五島列島を構成する5つの主要な島嶼(福江(ふくえ)島(じま)・久賀(ひさか)島(じま)・奈留(なる)島(しま)・若松(わかまつ)島(じま)・中通(なかどおり)島(じま))のうち、中通島の北東部に当たる半島及びその対岸に近接して浮かぶ頭(かしら)ヶ(が)島(しま)から成る。半島部では、標高約250メートル~350メートルの山々から五島灘へと注ぐ小河川沿いの狭隘な平地に赤尾(あかお)・江(え)ノ(の)浜(はま)集落が展開し、浸食による緩傾斜面上に友住(ともすみ)集落が展開する。また、頭ヶ島内では、海浜部及び丘陵部の緩傾斜面上に、白浜(しらはま)集落などの小規模な集落が点在する。急峻な地形が発達するこの地域では、一部にスギ・ヒノキの人工林が分布するものの、大部分はシイ・マテバシイの萌芽林が優占する照葉樹林帯となっており、キュウシュウシカ等のほ乳類、カラスバト・オジロワシ等の鳥類のほか、は虫類・昆虫類など豊かな生物相が見られる。また、新生代新第三紀中新世の中期に形成された砂岩を主とする五島層群が随所に露頭しており、崎浦は建築用材・石材加工品等の原料である「五島石」の産地として知られてきた。 中世のこの地方における在地領主であった青方氏の『青方(あおかた)文書(もんじょ)』によると、崎浦は有(あり)川(かわ)七浦(ななうら)の一部であり、マグロ・ブリ・イルカ等の漁業が盛んであったことが知られる。近世になると、有川湾では捕鯨が行われるようになり、豊かな漁場を背景に紀州・長崎などからの移住者を集めた。幕末になると、沿岸捕鯨が徐々に衰退する一方で、平戸・長崎などにおける舗装用・建築用の石材需要が高まり、崎浦の砂岩がにわかに注目されるようになった。五島石が豊富に露頭するこの地域では、19世紀半ばに江ノ浜集落の住民が平戸で採石・石材加工技術を学んだことから、石材業が始まったと伝えられる。採石は運搬が容易な海岸部を中心に行われ、加工には水を多用するため、加工場も港近くの集水地に立地した。生産・加工・流通が集落ごとに分業されていることも特徴であり、赤尾・頭ヶ島では採石、江ノ浜では加工・彫刻、友住では石材流通に係る問屋業が主に行われていた。採石は、鉄棒で採取すべき範囲の四隅に穴をあけ、鉄製の「割り矢」を用いて垂直方向に切れ込みを入れ、さらに堆積層の層理に従って水平方向に割り矢を打ち込み、適度な厚さに剥がし取る方法で行われた。昭和初期には良質な原石の採石量が減少し、昭和40年代には都市部への集団就職により後継者が減少したため石材業は衰微したが、現在も島外から仕入れた鷹島(たかしま)石(いし)(長崎県松浦産)又は御影石(国内産・国外産)を中心に、墓碑・石碑彫刻を行う石材加工業が継続している。他方で、採石業は現在休止しているが、ウゴラ・ロクロ・ホトケザキなどの地名が付けられた採石場跡では、鉄棒及び割り矢を打ち込んだ痕跡を今なお確認できる。 集落内では、屋敷地の門柱、神社の鳥居、石碑・墓碑、石臼・竃(かまど)・流し・砥石等の生活用品など、五島石を使って様々に加工された夥しい数の石材製品が見られる。また、舗装材として集落内の道路及び屋敷内の庭一面に板石が敷き詰められているほか、家屋の地覆石、石段などの建築用材にも五島石が多用されている。家屋の外壁腰部を中心として、壁板材の腐食防止及び床下の甘藷貯蔵庫への直接的な風雨流入防止等のために五島石の板石が張りめぐらされ、その中には幅約2尺(60センチメートル)、高さ約6尺(180センチメートル)に及ぶ大型のものも見られる。五島石を用いた最も顕著な建築が大正8年(1919)に建造された頭ヶ島天主堂で、幕末期に潜伏キリシタンが移住したことに始まる頭ヶ島のカトリック信仰において、今日なお中心的・象徴的な役割を果たしている。 このように、崎浦では、中通島北東部に産出する砂岩質の五島石を用いた採石業及び石材加工業に基づく文化的景観が形成されている。生活用品・建築用材等に五島石が多用されており、運搬に便利な海岸部に展開した採石場跡を含め、独特の土地利用の在り方を示す数多の痕跡が残されている。幕末から近代にかけて、五島地方のみならず長崎・平戸など西北九州一帯に流通した五島石及びその石材製品の生産地として、特有の土地利用形態を示す文化的景観であることから、重要文化的景観に選定し、その保存・活用を図るものである。