国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要文化的景観
主情報
名称
:
大沢・上大沢の間垣集落景観
ふりがな
:
おおざわ・かみおおざわのまがきしゅうらくけいかん
大沢・上大沢の間垣集落景観(冬の大沢集落)
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種別1
:
重要文化的景観
種別2
:
面積
:
1490.8 ha
その他参考となるべき事項
:
選定番号
:
選定年月日
:
2015.10.07(平成27.10.07)
追加年月日
:
選定基準
:
所在都道府県
:
石川県
所在地(市区町村)
:
石川県輪島市
大沢・上大沢の間垣集落景観(冬の大沢集落)
解説文:
詳細解説
急峻な山が日本海に直接迫る能登半島北側は,海から強い季節風を受ける地域であり,多くの集落が内陸部に立地している。その中で,大沢・上大沢の集落は湾を成す低地に位置し,後背の狭い谷地の限られた傾斜面に耕作地を有する。集落は平安時代以降は志津良荘(しつらのしょう)に属していたと考えられる。
集落から離れた棚田では重労働を軽減するためにイナハザで稲を乾燥させてから運搬しているほか,海に面する集落の外周部には高さ4~5mの細いニガタケを垂直に立てて作った「間垣」と呼ばれる垣根を設置し季節風から家屋を守っている。現在でも稲作と並行して海藻採取等が続けられている。日本海に面した地域の半農半漁の生活様式の中で,里山の資源を耕作及び独特な形式の垣根として最大限に利用してきたことを示す大沢・上大沢の文化的景観は我が国の生活生業を知る上で欠くことのできないものである。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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大沢・上大沢の間垣集落景観(冬の大沢集落)
大沢・上大沢の間垣集落景観(上大沢集落)
大沢・上大沢の間垣集落景観(間垣と石垣)
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大沢・上大沢の間垣集落景観(冬の大沢集落)
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大沢・上大沢の間垣集落景観(上大沢集落)
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大沢・上大沢の間垣集落景観(間垣と石垣)
解説文
急峻な山が日本海に直接迫る能登半島北側は,海から強い季節風を受ける地域であり,多くの集落が内陸部に立地している。その中で,大沢・上大沢の集落は湾を成す低地に位置し,後背の狭い谷地の限られた傾斜面に耕作地を有する。集落は平安時代以降は志津良荘(しつらのしょう)に属していたと考えられる。 集落から離れた棚田では重労働を軽減するためにイナハザで稲を乾燥させてから運搬しているほか,海に面する集落の外周部には高さ4~5mの細いニガタケを垂直に立てて作った「間垣」と呼ばれる垣根を設置し季節風から家屋を守っている。現在でも稲作と並行して海藻採取等が続けられている。日本海に面した地域の半農半漁の生活様式の中で,里山の資源を耕作及び独特な形式の垣根として最大限に利用してきたことを示す大沢・上大沢の文化的景観は我が国の生活生業を知る上で欠くことのできないものである。
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詳細解説
輪島市の大沢・上大沢集落は、能登半島北西部の日本海沿いの小さな2つの集落である。 能登半島北側では崖地が日本海に接しているため、集落が内陸部に立地することが多いが、大沢・上大沢集落は河川によって作られた北向きの狭小な沖積平野に発達した。冬季の海からの季節風が強い地域であり、両集落はそれぞれ三方を山に囲まれ海に面しているため、地域のなかでも特に強風にさらされてきた。東の大沢集落は小湾の港に面して立地する約90戸の集落であり、集落周辺の傾斜地及び湾に流れ込む桶滝川及び谷坂川沿いの傾斜地に棚田や段畑をもつ。西の上大沢集落は湾と砂浜に集落の短辺方向を向けて立地する約20戸の集落であり、集落背後には急崖地が迫り、前面に西二又川が流れている。 大沢・上大沢集落は、平安後期以降には志津良荘(しつらのしょう)に属していたと考えられ、江戸時代の古文書によると永和5年(1379)に弥郡(いやごおり)氏の一族が地頭として、両集落を含む大沢村へ来住したことが伺い知れる。中世には「大沢村」が荘園から独立し、筒井氏によって治められるようになった。近世には加賀藩の統治下となり、大沢村は漁業と海運業を生業する一方、上大沢村は漁業権が認められなかったと考えられている。小屋(おやの)湊(みなと)(現在の輪島市中心部)が日本海交易の中継点になると、それを支える海運業を主体とする2つの集落として近代に至った。明治から昭和にかけては、大沢集落は輪島塗の漆器の原型となる椀(わん)木地(きじ)(アラカタ)の生産、上大沢集落は木材等の卸売業を中心として存続してきた。 外浦と呼ばれる日本海に直接面する能登半島北西側一円では木竹等を利用した屋敷囲いを設置する習慣が古くからあり、風の強い海岸から離れた集落では田畑及び山林からの収穫物を乾燥させる機能を併せ持つ一方、海に面する集落では防風及び海産物を乾燥させる機能を併せ持ってきた。特に防風を主目的とした大沢・上大沢集落の「間垣」の存在は昭和初頭から郷土史やメディアの知るところとなり、結果的に「間垣」が残されてきた経緯がある。「間垣」の骨組みは、支柱、横材及び地面に斜めに設置する補強材から構成され、材質はクリ又はアテが主流である。アテは、能登半島に自生するアスナロの変種であるヒノキアスナロという樹種で耐久性が高く、湿気にも耐えるので、家屋の基礎、漆器の素地等にも用いられてきた。また、防風のために支柱の間に高さ4~5mの竹を垂直に並べるが、特に自生のニガタケが選ばれたのは真っ直ぐに成長し、上部のみに枝葉が茂り、細く強いという特徴が防風に適しているためだと考えられている。 ほとんどの民家が能登の黒瓦葺き切妻屋根を持ち、外壁もアテの下見板張りで統一されている。上大沢集落の民家周りは、岩海苔を乾燥させたり、植栽等をおいたりする庭と集落内道路が一体となっており、このような路地空間が集落全体の一体性をさらに高めている。また、集落から離れて分散する小面積の棚田では、運搬の重労働を軽減するために稲を十分に乾燥させ軽量化するために設置されたニガタケやアテで作られた多数のイナハザが設置されており、稲のハザ干しが山間部及び集落内に一斉に広がる風景は特徴的である。 このように、古来より身近な自然資源を最大限に活かす生活を基盤とし、稲作及び海藻採取を含む漁業によって自給自足を基調とする生業が営まれ、大沢・上大沢集落は形成されてきた。流通形態や交通手段の変化に従い、後背地の林産業に伴う加工業及び海運業が盛んであった時期もあったが、現在は山間部における稲作及び沿岸部の岩場におけるワカメ、モズク、イワノリ採取等の海藻採取が主要な生業である。 日本海に面した気候条件が厳しい半農半漁の地域において、里山里海の自然資源を最大限に活用し、稲作のハザキや「間垣」と呼ばれる独特な屋敷囲いによって形成されてきた大沢・上大沢の間垣集落景観は、我が国の生活・生業を理解する上で欠くことのできない文化的景観である。