国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要文化的景観
主情報
名称
:
奥内の棚田及び農山村景観
ふりがな
:
おくうちのたなだおよびのうさんそんけいかん
奥内の棚田及び農山村景観(遊鶴羽地区 水田と石垣)
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種別1
:
重要文化的景観
種別2
:
面積
:
370.3 ha
その他参考となるべき事項
:
選定番号
:
選定年月日
:
2017.02.09(平成29.02.09)
追加年月日
:
選定基準
:
所在都道府県
:
愛媛県
所在地(市区町村)
:
愛媛県北宇和郡松野町
奥内の棚田及び農山村景観(遊鶴羽地区 水田と石垣)
解説文:
詳細解説
四国南西部では,四国山地と多くの支脈が東西方向に走るため,西側沿岸部はリアス式海岸である一方,内陸部は無数の山地が広がり平坦地がほとんどない。他方,四万十川はこの地域の中心を源流部として蛇行しながら土佐湾へ向けて東流する。奥内の棚田及び農山村景観は,四万十川の支流広見川上流部の奥内川沿いの山間部に位置する,江戸時代中期以降に形成された棚田を含む4つの集落から成る農山村景観である。古文書等の調査からは,地形条件に沿って,谷部を水田,尾根部を屋敷地,屋敷地周辺を畑として継続して利用されてきたことが確認され,その結果,ヒメアカネ及びアキアカネ等の赤トンボ類を含む貴重な生態系が現在も維持されている。また,山間部ではアラカシ,コジイ,コナラ等の天然生林が広範囲で形成されており,地域本来の希少な山林景観を望むことができる。平成11年に農林水産省の「日本の棚田百選」に認定されてからは全戸加入の保存会が結成され,体験学習会等の棚田保全活動が積極的に進められている。
奥内の棚田及び農山村景観は,四国南西部の四万十川源流域の山間部を開墾した小規模な棚田群から成る文化的景観であり,四国山間部の厳しい地形条件の中で江戸時代以来現在まで継続されてきた生活又は生業を知る上でも重要である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
奥内の棚田及び農山村景観(遊鶴羽地区 水田と石垣)
奥内の棚田及び農山村景観(遊鶴羽地区 棚田と天然生林)
奥内の棚田及び農山村景観(本谷地区 棚田での生業)
奥内の棚田及び農山村景観(薬師堂)
奥内の棚田及び農山村景観(稲刈り体験)
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奥内の棚田及び農山村景観(遊鶴羽地区 水田と石垣)
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奥内の棚田及び農山村景観(遊鶴羽地区 棚田と天然生林)
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奥内の棚田及び農山村景観(本谷地区 棚田での生業)
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奥内の棚田及び農山村景観(薬師堂)
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奥内の棚田及び農山村景観(稲刈り体験)
解説文
四国南西部では,四国山地と多くの支脈が東西方向に走るため,西側沿岸部はリアス式海岸である一方,内陸部は無数の山地が広がり平坦地がほとんどない。他方,四万十川はこの地域の中心を源流部として蛇行しながら土佐湾へ向けて東流する。奥内の棚田及び農山村景観は,四万十川の支流広見川上流部の奥内川沿いの山間部に位置する,江戸時代中期以降に形成された棚田を含む4つの集落から成る農山村景観である。古文書等の調査からは,地形条件に沿って,谷部を水田,尾根部を屋敷地,屋敷地周辺を畑として継続して利用されてきたことが確認され,その結果,ヒメアカネ及びアキアカネ等の赤トンボ類を含む貴重な生態系が現在も維持されている。また,山間部ではアラカシ,コジイ,コナラ等の天然生林が広範囲で形成されており,地域本来の希少な山林景観を望むことができる。平成11年に農林水産省の「日本の棚田百選」に認定されてからは全戸加入の保存会が結成され,体験学習会等の棚田保全活動が積極的に進められている。 奥内の棚田及び農山村景観は,四国南西部の四万十川源流域の山間部を開墾した小規模な棚田群から成る文化的景観であり,四国山間部の厳しい地形条件の中で江戸時代以来現在まで継続されてきた生活又は生業を知る上でも重要である。
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詳細解説
奥内の棚田及び農山村景観は、愛媛県の四万十川水系奥内川上流の山間地において江戸時代から続く小規模な棚田からなる農山村景観である。 四国では四国山地とその多くの支脈が東西方向に走るため、愛媛県では西側沿岸部にリアス海岸が広がる一方、内陸部では大小無数の山々が連なり平坦地に乏しい。この山間地を源流とする広見川は高知県で四万十川に合流し蛇行しながら南東の土佐湾へ流れるが、広見川上流の奥内川沿いが奥内地域である。 中世の四国南西部では、南北朝期に西園寺氏の一族が伊予国宇和荘に、応仁の乱中に摂関家の一条氏が土佐国幡多荘に下向土着し、ともに戦国期に小大名化するという特殊な地域史を共有した。その中でも奥内地域は、伊予と土佐の国境地帯に位置し、江戸時代初期には宇和島藩、その後は分家した吉田藩に属し、吉田藩の「郡鑑」の中にたびたび水害を受けた記録が残るほか、明治期の巨大な土石流が伝承されるなど、厳しい地形条件の中で培われてきた歴史風土を有している。 奥内地域は、赤滝山(557m)及び遊鶴羽(ゆづりは)山(690m)に囲まれた奥内川沿いの本谷、榎谷、遊鶴羽の3つの谷とやや下流の谷である下組に広がる集落から成る。それぞれの集落では、傾斜地のうち集水しやすい下部の緩斜面に棚田が広がり、その上部の一段高い部分に数戸の家屋が等高線に沿って並び、その背後を尾根頂部に向けて山林が囲んでいる。 棚田では、沢及び谷川からの取水を田越しとする灌漑を基本とし、溜め池はなく、用水路は下流部のみで発達している。石積みは地場の堆積岩砂岩の割石野面積みで高さ2~3m、水平方向に直線状に長いものが多く、棚田全体で端整な階段形状を構成しており、その中に様々な石積み技法が認められることが特徴である。強度及び耕作面積を確保するために「反り」をもつ石積み技術が見られ、榎谷では土石流によるものと伝承される巨岩が認められる。集落内には現在も信仰対象となっている多くの祠が点在し、遊鶴羽に「白岩様」、本谷に「赤滝様」、榎谷に「竜王様」と呼ぶ水神、本谷と遊鶴羽に挟まれた尾根上に山の神が鎮座する。例大祭である「お薬師さまの春祭り」が開かれる下組の奥内薬師堂は、江戸時代建立の仏堂に法要等に用いられる籠堂が付属しており、古くから信仰と地域の関わりが深い様子を伝えている。境内に立つ樹高約30m、幹囲約11mのイチョウの巨木「逆杖のイチョウ」には、弘法大師が逆さに立てかけた杖が大きく成長したという伝承があり、県指定の天然記念物となっている。現在、4つの集落には、それぞれ3~10戸程度の農家がある。山林を背にした南斜面の前面に石積みを築いて細長い平坦地を造成し、切り拓いた山側にも石積みを築いて土砂災害を防いでいる。敷地内では土蔵、主屋、隠居部屋等が横一列に並び、主屋の正面側に狭い庭が設けられている。山林の約半分がアラカシ、コジイ、コナラ、アベマキ等の天然広葉樹から成り、地域本来の豊かな山林景観を呈している。 今回の調査では、このような奥内の棚田及び農山村景観が、江戸時代中期まで遡るものであることが確認された。江戸時代の「下札帳」(1760~1762、1782~1784)及び明治期の「段別畝順帳」、「山林原野畝順帳」(1876、1879)等を詳細に分析して図化することによって、往時の土地利用である宅地・田・畑・山等を区画・所有者毎に確認することが可能となり、現在と比較したところ、4つの集落で約25戸が約20haの棚田及び畑を中心として生活又は生業を営んでいることが共通した。さらに、かつての畑には蝋をとるための櫨畑及び焼畑を行っていた伐替畑等があったほか、山林には雑木山、草山、松山、柴草山の区分があったことも明らかになった。また、自然環境調査からは、長期間継続して良好な棚田で営農してきた証として、定期的な攪乱のある湿地環境を示す植物であるミズマツバ・ホシクサ、茅場・水田に特有な生態系の存在を示す動物であるカヤネズミ、昆虫類の中でも羽化後生息地を離れないとされるヒメアカネ及び農薬の影響を受けやすいアキアカネが確認された。鳥類では、豊かな森林生態系の指標種であるクマタカを代表とするタカ6種が確認された。これらのことは、営農を介して人間と自然が長く共生してきた結果として良好な自然環境及び里地里山環境が形成されていることを示すものでもある。 平成11年に農林水産省の「日本の棚田百選」に認定されてからは奥内地域の全戸加入の保存会が結成され、棚田地域等緊急保全対策事業(保全型)では、田に張った水が漏れないようにするために、棚田の畔及び主な農道を最小限コンクリートで舗装した。現在も体験学習会等の棚田保全活動が積極的に進められている。 このように奥内の棚田及び農山村景観は、四国南西部の奥内川沿いの山間地を開墾した小規模な棚田群からなる文化的景観である。厳しい地形条件の中で江戸時代以来現在まで継続されてきた生活又は生業を知る上でも欠くことのできないものであることから、重要文化的景観に選定して保護を図ろうとするものである。