国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
構成資産
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件名名称
:
冨士浅間神社(須走浅間神社)
件名ふりがな
:
ふじせんげんじんじゃ(すばしりせんげんじんじゃ)
冨士浅間神社
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所在都道府県
:
静岡県
所在地
:
冨士浅間神社
解説文:
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関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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冨士浅間神社
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冨士浅間神社
詳細解説
富士山の東麓に位置する冨士浅間神社(須走浅間神社)は、須走口登山道の起点となる神社である。 社伝によると、社殿の造営は9世紀初頭にまで遡るものとされている。 16世紀には、この地域を支配した有力封建領主の武田氏の庇護の下に、冨士浅間神社(須走浅間神社)は山頂部における散銭取得権の一部を獲得した。『勝山記』の1500年の条には、須走口登山道に道者が集中したとの記事が見られ、富士山への東麓からの登拝に冨士浅間神社が重要な位置を占めていたことが知られる。 1707年に発生した宝永噴火により、冨士浅間神社(須走浅間神社)の本殿は崩壊したが、1718年に再建された。それ以降に製作された絵図によると、御神木を含むスギの巨木などの社叢に覆われた境内には、現在と同様の配置・構造の下に、鳥居、参道、「神門」と呼ばれる楼門が一列に建ち、その奥に拝殿・幣殿・本殿が建ち並んでいたことが知られる。2009年の本殿の修理に当たっては、1718年以降の修築痕跡が随所に認められたが、いずれの修築に当たっても、1718年の再建時における部材の一部が継続的に使用されてきたことが明らかとなった。 18世紀後半以降には、富士山より東側の地域から多くの道者が冨士浅間神社に訪れるようになった。 また、須走口登山道を下山路として利用することが多かった富士講信者も、冨士浅間神社に多く立ち寄るようになった。 現在、登山道へと連続する参道の両側には、主として20世紀前半に富士講信者が寄進した約70基もの石碑等の石造物が残されている。それらの中には、最高899回の登拝回数の達成を記念して建立されたものをはじめ、後に東京の富士塚から移転したものなども含まれている。