構成資産
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件名名称 慈照寺
件名ふりがな じしょうじ

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所在都道府県 京都府
所在地 京都市左京区銀閣寺町2


解説文:
 足利義政が1482年東山山麓に造営した別邸東山殿を、義政の死後、禅寺慈照寺としたものである。  東山殿も西芳寺をモデルに、池を囲むように観音殿(銀閣)、持仏堂(東求堂)等の建物が建てられ、文化人のサロンとして賑わっていた。  16世紀中期に兵火のために一時荒廃したが、17世紀中期に方丈、庫裏等を再建し、庭園、諸堂の修理がなされた。18世紀中期には東求堂、後期には銀閣、方丈等の修理が、また19世紀前期にも東求堂の修理が行われた。19世紀後半に壇信徒の援助を得て東求堂、方丈、銀閣の修理、庭園の整備が行われた。  近代には、1914年に銀閣の半解体修理が行われ、さらに、1965年に行われた東求堂の解体修理に伴う調査によって創建当初の姿が判明し復原されている。  庭園については、1931年、山腹に石組、敷石等が発掘され、1987年にお茶の井庭園として復原整備されている。  庭園が東山文化を代表する名園として特別名勝に指定され、銀閣及び東求堂が国宝に指定されている。  銀閣は1489年に建てられた二層の楼閣であり、下層は書院風、上層は仏堂風につくられ、屋根は宝形造、柿葺で頂部に鳳凰の飾りがある。  東求堂は1485年に建てられた約7m四方の入母屋造、檜皮葺の守護仏をまつる持仏堂と書斎を兼ねた建物である。背面東側の4畳半の部屋「同仁齋」に設けられている付書院と違棚は現存する最古のものであり、書院造の源流と位置づけられている。  現在の慈照寺庭園は、15世紀から16世紀の戦国時代に荒廃していたものを1615年に改修したものと考えられている。池を中心に多くの名石、樹木が配された池泉廻遊式の庭園であり、石組の細部などにきめ細かい意匠が凝らされている。また、庭の中央、本堂南面に位置する砂盛:銀沙灘と向月台は江戸時代に付加されたものであり、徐々にその高さを増し、明治20年代に現況に定まったものである。
関連情報
    (情報の有無)
  添付ファイル なし