国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
箸蔵寺
ふりがな
:
はしくらじ
棟名
:
本殿
棟名ふりがな
:
ほんでん
箸蔵寺 本殿
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸末期
年代
:
江戸末期
西暦
:
1830-1867
構造及び形式等
:
奥殿 正面三間、背面四間、側面六間、一重、入母屋造、正面千鳥破風及び軒唐破風付
内陣 前方 桁行三間、梁間四間、一重、両下造、背面取合及び物置附属
外陣 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、前後千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、背面取合附属
総銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02451
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2004.07.06(平成16.07.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
徳島県
所在地
:
徳島県三好市池田町州津蔵谷
保管施設の名称
:
所有者名
:
箸蔵寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
箸蔵寺 本殿
解説文:
詳細解説
箸蔵寺は徳島県西部にある真言宗寺院で,近世には金刀比羅宮の奥の院として信仰を集めた。現存する建築群は,文政9年(1826)火災後に再建されたものである。
建築年代は,方丈が安政3年(1856)頃,護摩殿・薬師堂・鐘楼堂・天神社本殿が文久元年(1861)頃,本殿は少し遅れて江戸最末期と考えられる。
箸蔵寺は,本殿,護摩殿,方丈を中心に,神仏習合を色濃く残す寺院である。特に本殿と護摩殿は,傾斜地を意図的に利用し,複雑な構成と特異な造形を併せ持つ雄大な複合建築として貴重である。
また,いずれも装飾細部に巧緻かつ高度な技法を駆使した彫物を多用しており,四国における江戸末期の建築意匠の傾向を代表する壮麗な建築のひとつとして,価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
箸蔵寺 本殿
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箸蔵寺 本殿
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解説文
箸蔵寺は徳島県西部にある真言宗寺院で,近世には金刀比羅宮の奥の院として信仰を集めた。現存する建築群は,文政9年(1826)火災後に再建されたものである。 建築年代は,方丈が安政3年(1856)頃,護摩殿・薬師堂・鐘楼堂・天神社本殿が文久元年(1861)頃,本殿は少し遅れて江戸最末期と考えられる。 箸蔵寺は,本殿,護摩殿,方丈を中心に,神仏習合を色濃く残す寺院である。特に本殿と護摩殿は,傾斜地を意図的に利用し,複雑な構成と特異な造形を併せ持つ雄大な複合建築として貴重である。 また,いずれも装飾細部に巧緻かつ高度な技法を駆使した彫物を多用しており,四国における江戸末期の建築意匠の傾向を代表する壮麗な建築のひとつとして,価値が高い。
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詳細解説
箸蔵寺 六棟 本殿、護摩殿、方丈、薬師堂、鐘楼堂、天神社本殿 箸蔵寺は徳島県西部の池田町に所在する真言宗寺院で、標高七二〇メートルの箸蔵山の南、山頂から中腹にかけて広大な寺地を有している。 創建については、天長五年(八二八)、空海が金毘羅神の御神託により伽藍を建立したという。古代から中世の沿革は資料がなく判然としないが、天正一〇年(一五八二)には兵火で焼失し、文禄二年(一五九三)には蜂須賀氏の庇護を得て、宥観阿闍梨が再建したとされる。近世に入り、寛文七年(一六六七)の火災で焼失したが、徐々に金刀比羅宮の奥の院として庶民の信仰を集め、寺観を整えたと考えられる。しかし、文政九年(一八二六)に再び全山焼失し、現存する建築群は、この火災後に再建されたものである。天保年間には金毘羅大権現御開帳の大祭を行っており、火災後の再建は着々と進められたと思われるが、長期に渉ったと考えられる。嘉永七年(一八五四)には、広く寄進を募るため、『御本社再建寄進帳』(箸蔵寺所蔵)が作成された。ここには火災後造営した仮堂社が、荘厳不十分なので、現本殿に近い平面図と正面図(外陣)を載せ、この年夏から普請に取り掛かるとある。箸蔵寺には二冊所蔵されており、これを附指定とする。 本殿は、山頂付近の最高部の平地に南面して建つ。これより南に下る石段の東側に薬師堂と鐘楼堂、西側に天神社本殿がある。鐘楼堂前より石段が西に折れて一段下った平地には、護摩殿が南面して建ち、この南西に方丈がある。建設年代は、「安政三辰年 五月」の箆書がある平瓦(附指定)を用いていた方丈が安政三年(一八五六)頃、他は文久元年(一八六一)頃、本殿は江戸最末期と考えられる。全体に軸部から小屋組まで、当初の形式を保持している。 このほか、本殿の東には大正九年に徳島市内の清水寺本堂を移築した観音堂(江戸中期)、方丈の西に庫裏(方丈と同時期と思われるが改造大)、南に中門(江戸末期だが近代の移築)、南の中腹に山門(明治一三年)と高灯籠(明治一七年)がある。 本殿は、奥殿、内陣、外陣からなる複合建築である。外陣、内陣、奥殿の順で階段状の石積基壇上に建ち、相互を巧みに連結した独特な構成で、屋根は総銅板葺である。 奥殿は、正面三間、背面四間、側面六間で、両側面に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。内部は前方二間が低い床と階で、後方が一段高い拭板敷、最奥に壇をつくる。天井は中央格天井、前方化粧屋根裏になる。軸部は円柱を長押・頭貫・台輪で結び、拳鼻・尾垂木付の五手先組物を詰組とする。軒は二軒繁垂木、屋根は入母屋造で、正面に千鳥破風、軒唐破風を付ける。妻飾は二重虹梁である。 内陣は桁行三間、梁間四間の前半部を高くして切妻造屋根を架け、左右を庇、後方を両下造とし、背面に奥殿との取合をつくる。内部は前半部を格天井、拭板敷の一室、左右を畳敷の入側、後方を棚、階、廊下にする。前側は円柱で出組、二軒繁垂木、他は角柱で組物を用いず、一軒繁垂木になる。 外陣は桁行五間、梁間四間で、正面に向拝三間を設ける。四周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻すが、背面三間は階を設けて内陣と繋がる。内部は畳敷、格天井の一室とする。軸部は円柱を長押・頭貫・台輪で結ぶ。組物は拳鼻・尾垂木付の三手先で、正面詰組、他は中備蟇股とし、内部は拳鼻付出組で天井桁を受ける。向拝は角柱を虹梁型頭貫で結び、三斗で桁・手挟を受ける。軒は二軒繁垂木、屋根は入母屋造、前後に千鳥破風、向拝に軒唐破風をつける。妻飾は虹梁大瓶束で、大柄な懸魚をつける。 護摩殿は、奥殿、内陣、外陣からなる複合建築である。外陣、内陣、奥殿の順で階段状の石積基壇上に建ち、相互を巧みに連結した独特な構成で、屋根は総桟瓦葺である。 奥殿は、正面三間、側面三間で、向拝一間を設け、四周に逆蓮頭擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。内部は拭板敷、格天井の一室で、奥に壇を設ける。側面二間規模の向拝部分には階を設け、軒下にも取合の屋根を架け、側面に引違い戸を入れる。軸部は円柱を長押・頭貫・台輪で結び、拳鼻・尾垂木付の三手先組物とする。縁は三手先腰組で受ける。向拝は角柱を虹梁型頭貫で結び、三斗で桁・手挟を受ける。軒は二軒繁垂木、屋根は宝形造で、向拝は一軒である。 内陣は、桁行三間、梁間三間の前半部を高くして切妻造屋根を架け、後半部を一段下げて両下造とし、これらの左右に庇を廻す。内部は前半部を中央瓦敷、周囲畳及び板敷、棹縁天井(中央煙出)の一室、後半部は中央に階、左右に棚をつくり、廊下等で囲む構成とする。前側は円柱であるが、他は角柱で、組物は用いず、軒は一軒繁垂木である。 外陣は、桁行五間、梁間三間、正面に向拝一間を設ける。南と東には擬宝珠高欄付の切目縁を廻すが、背面三間には階を設けて内陣と接続し、西面には方丈と連絡する廊下が取り付く。内部は畳敷、格天井の一室とする。軸部は円柱を長押・頭貫・台輪で結ぶ。組物は拳鼻・尾垂木付の三手先で、正面中央間を詰組にするが、他は中備に蟇股を入れる。内部は拳鼻付の出組で天井桁を受ける。向拝は角柱を虹梁型頭貫で結び、三斗で桁・手挟を受ける。軒は二軒繁垂木、屋根は入母屋造、前後に千鳥破風、向拝に軒唐破風を付ける。妻飾は二重虹梁とする。 本殿と護摩殿は、木鼻・拳鼻・尾垂木鼻をはじめ、中備や板支輪も彫物とするが、丸彫、籠彫、浮彫など多彩な技法が駆使され、量感や配置も調和がとれている。 方丈は桁行四二メートル、梁間一四・一メートルと長大で、正面ほぼ中央に唐破風造の玄関を設け、東に宿坊、西に庫裏が接続する。屋根は入母屋造、四面に庇を廻し、桟瓦葺で、妻飾は狐格子とする。内部は東側が畳敷の五室を二列に並べ、南と東に広縁を廻す。西側は南側に土間を設け、床上は板敷が基本で、不規則に区切った各室を廊下で連結している。天井はほとんどが棹縁天井で、一部を根太天井とする。軸部は角柱を密に立て、長押や貫で固める。軒は一軒で、小屋組は和小屋とする。 薬師堂は、桁行三間、梁間三間、四周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻し、正面に向拝一間をつける。内部は柱がなく、拭板敷、格天井で、禅宗様須弥壇を設け、厨子を安置する。軸部は角柱を長押・頭貫・台輪で結び、組物は三斗、中備蟇股とする。軒は二軒繁垂木、屋根は宝形造、桟瓦葺である。 鐘楼堂は桁行三間、梁間二間の楼造で、下層は隅柱四本を内転びとし、高欄付縁の下に疎らの支輪を設ける。組物は下部の中柱上だけを大斗肘木とし、軒は一軒疎扇垂木で、入母屋造、桟瓦葺の屋根とする。全体に簡素であるが、独特な形式で、袴腰風の外観となっている。 天神社本殿は、一間社流造、銅板葺で、切石積基壇上に建つ。円柱を長押・頭貫・台輪で結び、二手先組物を詰組とし、軒支輪をつける。妻飾は二重虹梁、軒は二軒繁垂木とする。 箸蔵寺は、本殿、護摩殿、方丈を中心に、神仏習合を色濃く残す寺院で、とくに本殿と護摩殿は、傾斜地を意図的に利用し、複雑な空間と特異な造形を併せ持つ雄大な複合建築として貴重である。また、いずれも装飾細部には巧緻かつ高度な技法を駆使した彫物を多用しており、四国における江戸末期の建築意匠の傾向を代表する壮麗な建築のひとつとして、価値が高い。 【参考文献】 『宝珠山真光院箸蔵寺調査報告書』(池田町教育委員会 二〇〇三年)
関連情報
附指定
御本社再建寄進帳(嘉永甲寅歳夏4月)
関連情報
附指定
附名称
:
御本社再建寄進帳(嘉永甲寅歳夏4月)
附員数
:
2冊