国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
建長寺山門
ふりがな
:
けんちょうじさんもん
棟名
:
棟名ふりがな
:
建長寺山門
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸後期
年代
:
安永4
西暦
:
1775
構造及び形式等
:
三間一戸2階二重門、入母屋造、正面軒唐破風付、銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02464
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2005.07.22(平成17.07.22)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
神奈川県
所在地
:
神奈川県鎌倉市山ノ内
保管施設の名称
:
所有者名
:
建長寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
建長寺山門
解説文:
詳細解説
建長寺は,臨済宗建長寺派の大本山で,建長3年(1251)の創立になる。境内は,総門,山門,仏殿,法堂を一線上に並べ,最奥部に方丈と池を配している。
鎌倉時代に宋様式の本格的な禅宗伽藍を整え,室町時代後期には寺勢の衰えた時期もあったが,近世を通じて諸堂再建の努力が払われた。現在の山門は,安永4年(1775)の建設になる。棟梁は,建長寺大工である河内長兵衛が務めた。
禅宗様を基調とした三間二階二重門で,下層を吹き放し,上層内部には仏壇を備え,屋根は入母屋造銅板葺で,二階正面中央には軒唐破風を設ける。
建長寺山門は三間二重門として東日本最大の規模を誇り,建長寺の近世伽藍再興の集大成といえる重要な建築である。
吹き放しの下層は開放感と力強い造形をみせ,上層は深い軒と軒唐破風によって重厚感を創りだしており,建長寺大工の力量を示すものといえる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
建長寺山門
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建長寺山門
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解説文
建長寺は,臨済宗建長寺派の大本山で,建長3年(1251)の創立になる。境内は,総門,山門,仏殿,法堂を一線上に並べ,最奥部に方丈と池を配している。 鎌倉時代に宋様式の本格的な禅宗伽藍を整え,室町時代後期には寺勢の衰えた時期もあったが,近世を通じて諸堂再建の努力が払われた。現在の山門は,安永4年(1775)の建設になる。棟梁は,建長寺大工である河内長兵衛が務めた。 禅宗様を基調とした三間二階二重門で,下層を吹き放し,上層内部には仏壇を備え,屋根は入母屋造銅板葺で,二階正面中央には軒唐破風を設ける。 建長寺山門は三間二重門として東日本最大の規模を誇り,建長寺の近世伽藍再興の集大成といえる重要な建築である。 吹き放しの下層は開放感と力強い造形をみせ,上層は深い軒と軒唐破風によって重厚感を創りだしており,建長寺大工の力量を示すものといえる。
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詳細解説
建長寺山門 一棟 建長寺は、鎌倉市山ノ内に所在する臨済宗建長寺派の大本山で、巨福山(こふくさん)と号する。建長三年(一二五一)の創立になり、開山は南宋僧蘭溪(らんけい)道隆、(どうりゅう )開基は執権の北条時頼である。鎌倉七口の一つ巨福呂(こぶくろ)坂(さか)に面する奥深い谷戸(やと)に寺地を占め、境内入口より、総門、山門、仏殿、法堂を一線上に並べ、最奥部に方丈と池を配す。また山門に向かって右手の山中に、開山塔頭(たっちゅう)である西来庵(せいらいあん)を構える。このうち、仏殿・唐門・西来庵昭堂・大覚禅師塔が、重要文化財に指定されている。 建長五年(一二五三)の仏殿供養以降、徐々に諸堂を造営し、宋様式の本格的な禅宗伽藍を整えた。その後、度重なる火災で諸堂を失うもののその都度再興がはかられた。室町時代後期には寺勢の衰えた時期もあったが、近世を通じて諸堂再建の努力が払われた。 山門の創建は詳らかでないが、永仁元年(一二九三)罹災時の山門焼失が知られることから、伽藍正面の建築物として早期に創建されたものと考えられる。また正和四年(一三一五)炎上後の再建伽藍規模を伝える古図によると、桁行五間、梁間二間の二階二重門とみられる本格的な山門が描かれている。この山門は応永二一年(一四一四)の火災で焼失し、その後も再建と焼失を繰り返したが、次第に簡略化されたようで、江戸時代中期頃の山門では扁額を上層に掛けられず、下層の天井に掛けておくような状況であったという。 現在の山門は、明和八年(一七七一)から五年間関東八箇国で勧進を行って浄財を募り、安永二年(一七七三)に旧山門を取り壊した後に着工され、安永四年(一七七五)の完成した。上棟は安永四年(一七七五)六月で、上層天井などの造作材に同年一二月の墨書があることから、安永四年中に概ね竣工していたものとみられる。なお、翌五年に、山門落成慶賛が執行されており、建立時の棟札は小屋裏に保管されている。棟梁は建長寺大工である河内(かわち)長兵衛が務め、木村久兵衛が脇棟梁であった。 山門は三間一戸の二階二重門で、禅宗様を基調とし、四半石敷の低い基壇上に建つ。下層を吹き放しとし、軸部は木製礎盤(そばん)、粽(ちまき)付の円柱に地覆(じふく)・腰貫(こしぬき)・飛貫(ひぬき)・頭貫(かしらぬき)・台輪(だいわ)を廻して固める。桁行・梁間中央は木柄の大きい虹梁(こうりょう)を入れ、さらに虹梁上に大瓶束(たいへいづか)を立てて三斗(みつど)で鏡(かがみ)天井を受ける。上層正面中央間に双折(もろおれ)桟唐戸(さんからど)をたてて脇間を花頭(かとう)窓とし、両側面前間を板戸引違いとして、他は縦板張とする。上層周囲には高欄付の縁を巡らす。組物は、下層を出組(でぐみ)の詰組(つめぐみ)、上層を尾垂木(おだるき)付二手先(ふたてさき)組物の詰組とし、上層の縁腰組(こしぐみ)は大斗(だいと)絵様(えよう)実肘木(さねひじき)とする。屋根は入母屋造、妻飾(つまかざり)は虹梁蟇股(かえるまた)形式で、軒は上下とも二軒(ふたのき)繁垂木(しげだるき)である。上層正面中央には軒(のき)唐破風(からはふ)を設け、巨大な扁額を掲げ、屋根はこけら葺型銅板葺である。 上層内部では、正面奥と両側面にコの字型に仏壇を巡らし、中央に釈迦如来坐像、その両側に五百羅漢群像、そして両側面には十六羅漢像を安置する。 建長寺山門は三間二重門として東日本最大の規模を誇り、文化一一年(一八一四)再建の法堂とともに、建長寺の近世伽藍再興の集大成といえる重要な建築である。下層の吹き放しを木柄の大きい虹梁と貫で固めて開放感と力強い造形をみせ、上層では深い軒と大型の軒唐破風により重厚感をだしており、建長寺大工の力量をしめすものといえる。 【参考文献】 『神奈川懸文化財圖鑑 建造物篇』(神奈川県教育委員会 一九七一年) 『鎌倉市文化財総合目録 建造物篇』(鎌倉市教育委員会 一九八七年) 『神奈川県の近世社寺建築』(神奈川県教育委員会 一九九三年) 『建長寺史』(建長寺 二〇〇三年) 『神奈川県指定重要文化財建長寺山門保存修理工事報告書』(建長寺 一九九六年)