国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
建長寺法堂
ふりがな
:
けんちょうじはっとう
棟名
:
棟名ふりがな
:
建長寺法堂
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸後期
年代
:
文政8
西暦
:
1825
構造及び形式等
:
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02465
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2005.07.22(平成17.07.22)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
神奈川県
所在地
:
神奈川県鎌倉市山ノ内
保管施設の名称
:
所有者名
:
建長寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
建長寺法堂
解説文:
詳細解説
建長寺は,臨済宗建長寺派の大本山で,建長3年(1251)の創立になる。13世紀中期に,本格的な宋様式の禅宗伽藍を実現させたが,その後は寺勢の衰微もあり,本格的な伽藍は近世にいたるまで復興されなかった。
現在の法堂は,文化5年(1808)に再建着手,文政8年(1825)に竣工した。棟梁は建長寺大工として知られる河内久右衛門が務めた。
方三間もこし付の仏堂で,禅宗様を基調としている。身舎は二手先組物の詰組とし,屋根は入母屋造,銅板葺である。
建長寺法堂は,大規模な方三間もこし付形式で,組物や軒廻りも大建築に応じた量感をもたせており,大型禅宗様仏堂として高い価値がある。
要所に江戸時代後期らしい装飾性も認められ,建長寺大工の高い技量が発揮されており,近世の伽藍再興事業の完成と位置づけるに相応しい建築といえる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
建長寺法堂
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建長寺法堂
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解説文
建長寺は,臨済宗建長寺派の大本山で,建長3年(1251)の創立になる。13世紀中期に,本格的な宋様式の禅宗伽藍を実現させたが,その後は寺勢の衰微もあり,本格的な伽藍は近世にいたるまで復興されなかった。 現在の法堂は,文化5年(1808)に再建着手,文政8年(1825)に竣工した。棟梁は建長寺大工として知られる河内久右衛門が務めた。 方三間もこし付の仏堂で,禅宗様を基調としている。身舎は二手先組物の詰組とし,屋根は入母屋造,銅板葺である。 建長寺法堂は,大規模な方三間もこし付形式で,組物や軒廻りも大建築に応じた量感をもたせており,大型禅宗様仏堂として高い価値がある。 要所に江戸時代後期らしい装飾性も認められ,建長寺大工の高い技量が発揮されており,近世の伽藍再興事業の完成と位置づけるに相応しい建築といえる。
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詳細解説
建長寺法堂 一棟 建長寺は、鎌倉市山ノ内に所在する臨済宗建長寺派の大本山で、巨福山(こふくさん)と号する。建長三年(一二五一)、執権北条時頼が南宋僧蘭溪(らんけい)道隆を(どうりゅう )開山に迎えて創立した。巨福呂(こぶくろ)坂(さか)に面する奥深い谷戸(やと)に寺地を占め、境内入口より、総門、山門、仏殿、法堂を一線上に並べ、最奥部に方丈と池を配す。また山門に向かって右手の山中に、開山塔頭(たっちゅう)である西来庵(せいらいあん)を構える。 創立間もない建長五年(一二五三)に仏殿供養、建治元年(一二七五)に法堂創建と徐々に寺観を整え、本格的な宋様式の禅宗伽藍を実現させた。その後、永仁元年(一二九三)、正和四年(一三一五)など度重なる火災により諸堂を失うものの、その都度再興がはかられたが、応永二一年(一四一四)、同三三年、長禄三年(一四五九)にも続けて火災に遭い、その後の寺勢の衰微もあり、本格的な七堂伽藍は近世にいたるまで復興されなかった。ちなみに、正和四年罹災後の嘉暦二年(一三二七)に再建された法堂については、『建長寺指図』(鎌倉市指定文化財)によってその規模が知られる。それによると、桁行七間(九四尺)、梁間五間(六五尺)におよぶ二重二階の大建築であった。 現在の法堂は、文化五年(一八〇八)に再建に着手し、同八年に現仏殿を前方(現在位置)に曳家してその跡地に法堂の建設地を定め、同一一年上棟、文政八年(一八二五)に竣工した。建立時の棟札は小屋裏に保管されている。 再建には、建長寺大工として知られる河内家の河内久右衛門が棟梁、河内長左衛門が脇棟梁を務めた。河内久右衛門は山門再建の棟梁を務めた河内長兵衛(内匠助)の養子である。なお河内家には、法堂再建に先立ち河内長左衛門(久右衛門の分家筋)が享和三年(一八〇三)に作成した当初計画の正面図『建長寺法堂十分壱之圖』が伝えられている。それによると、建長寺仏殿を範とした三間もこし付仏堂が描かれており、身舎は入母屋造で、屋根は本瓦型銅板葺とみられる。再建法堂と比較して意匠上の差異はあるが、総桁行はほぼ一致する。 法堂は方三間もこし付仏堂で、低い基壇上に建つ。各柱間は大きく、桁行一九・一メートル(六三・一尺)、梁間一六・四メートル(五四・二尺)におよび、禅宗様を基調とする。正面中央三間と両側面前端間及び背面中央間に桟(さん)唐戸(からど)を立て、正面両端間と両側面前より第二・第三柱間を花頭(かとう)窓とし、他の間を縦板張とする。軸部は、石製礎盤(そばん)、粽(ちまき)付の円柱に地覆(じふく)・飛貫(ひぬき)・頭貫(かしらぬき)・台輪(だいわ)を廻して固め、もこしは三斗(みつど)の詰組(つめぐみ)、身舎(もや)は二手先(ふたてさき)組物の詰組とするが、身舎では柱上と中備の(なかぞなえ )組物間に撥束(ばちづか)をたてをたてる。また身舎組物の秤肘木(はかりひじき)両端には絵様(えよう)を彫る。身舎屋根は入母屋造銅板葺で、虹梁大瓶束(たいへいづか)形式の妻飾(つまかざり)を笈形(おいがた)で飾り、軒は身舎・もこしとも二軒(ふたのき)繁垂木(しげだるき)である。 内部は瓦の四半敷土間で、身舎の後方中央に高さ二メートルを超える禅宗様の法座を設け、その背後に仏龕を突出させて千手観音坐像を安置する。間仕切など内部造作はなく、内部柱も身舎側通りの列柱のみである。また天井は、一般の禅宗様仏堂のように柱天の組物より上方に張るのではなく、逆に柱天より一・五メートルほど低く鏡天井を設けて高さを抑制している。なお、鏡天井には、現在、雲龍を描いた水墨画がみられる。これは平成一五年に描いた画を鏡天井の下につり下げたもので、鏡天井には当初から何も描かれていない。 建長寺法堂は、大規模な方三間もこし付形式で、組物や軒廻りも大建築に応じた量感をもたせており、大型禅宗様仏堂として価値が高い。また、秤肘木の絵様や妻飾の笈形など、江戸時代後期らしい装飾性も認められ、建長寺大工の高い技量が発揮されており、近世の伽藍再興事業の完成と位置づけるに相応しい建築である。 【参考文献】 『神奈川懸文化財圖鑑 建造物篇』(神奈川県教育委員会 一九七一年) 『鎌倉市文化財総合目録 建造物篇』(鎌倉市教育委員会 一九八七年) 『神奈川県の近世社寺建築』(神奈川県教育委員会 一九九三年) 『建長寺史』(建長寺 二〇〇三年) 『神奈川県指定重要文化財建長寺法堂保存修理工事報告書』(建長寺 二〇〇二年)