国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
武雄温泉新館及び楼門
ふりがな
:
たけおおんせんしんかんおよびろうもん
棟名
:
新館
棟名ふりがな
:
しんかん
武雄温泉新館及び楼門 新館
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員数
:
1棟
種別
:
近代/商業・業務
時代
:
大正
年代
:
大正3
西暦
:
1914
構造及び形式等
:
建築面積409.53平方メートル、一部2階建、正面玄関ポーチ及び階段室、背面浴室及び便所付、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02470
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2005.07.22(平成17.07.22)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
佐賀県
所在地
:
佐賀県武雄市大字武雄550番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
武雄温泉株式会社
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
武雄温泉新館及び楼門 新館
解説文:
詳細解説
武雄温泉新館及び楼門は,近代に入り,観光温泉町として発展した武雄の拠点として計画された。ともに辰野・葛西事務所の設計,清水満之助の施工で,新館は大正3年8月6日,楼門は同年11月20日に上棟,大正4年4月12日に落成式が挙行された。
新館は,正面中央に玄関車寄を備えた木造二階建の主体部を中心に,両翼を張り出し,背面に浴室,便所を別棟で附属する。
楼門は,入母屋造本瓦葺の木造二重門で,竜宮門形式である。
武雄温泉新館及び楼門は,伝統的な和風意匠を基調としつつ,細部意匠や架構等に新しい試みがみられ,高い価値がある。当時の建築界をリードしていた建築家の辰野金吾が関与した数少ない和風建築としても貴重である。
全体の配置計画などにも特徴があり,わが国の近代保養施設の歴史を知る上でも重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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武雄温泉新館及び楼門 新館
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武雄温泉新館及び楼門 新館
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解説文
武雄温泉新館及び楼門は,近代に入り,観光温泉町として発展した武雄の拠点として計画された。ともに辰野・葛西事務所の設計,清水満之助の施工で,新館は大正3年8月6日,楼門は同年11月20日に上棟,大正4年4月12日に落成式が挙行された。 新館は,正面中央に玄関車寄を備えた木造二階建の主体部を中心に,両翼を張り出し,背面に浴室,便所を別棟で附属する。 楼門は,入母屋造本瓦葺の木造二重門で,竜宮門形式である。 武雄温泉新館及び楼門は,伝統的な和風意匠を基調としつつ,細部意匠や架構等に新しい試みがみられ,高い価値がある。当時の建築界をリードしていた建築家の辰野金吾が関与した数少ない和風建築としても貴重である。 全体の配置計画などにも特徴があり,わが国の近代保養施設の歴史を知る上でも重要である。
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詳細解説
武雄温泉新館及び楼門 二棟 武雄温泉新館及び楼門は、JR佐世保線武雄温泉駅の東方約七〇〇メートル、武雄の温泉街が続く温泉通りの突き当たりに位置する。敷地の東南に楼門をおき、楼門を入って左手に明治九年建築の本館、正面に新館が配される。 武雄温泉は『肥前國風土記』にも言及があり、温泉としての歴史が古く、歴代為政者の庇護をうけた。明治維新後は温泉組(現在の武雄温泉株式会社)の所有となり、明治二八年に鉄道が開通、武雄駅がおかれた後は観光温泉町として発展した。温泉組は大正二年に第二泉源を掘削するとともに、新しい温泉施設の建設を計画、辰野葛西事務所に設計を依頼した。 新館、楼門は清水満之助の施工で大正三年四月一日に着工し、新館は同年八月六日、楼門は同年一一月二〇日に上棟、大正四年四月一二日に落成式を迎えた。それぞれに棟札があって上棟年月日、施工者が判明する。これら二枚の棟札は附指定とする。また、設計図面の青焼きが二四枚残っており、図面右上には縦長の楕円枠に「工学博士辰野金吾工学士葛西萬司計画之印」の押印がある。 新館は東面して建ち、建築面積四〇九・五三平方メートル。木造二階建の主体部を中心に、両翼に平屋の特別浴室(「上々湯」)を張り出し、背面に男女の浴室(それぞれ「五銭湯」及び「拾銭湯」からなる)、便所を別棟で附属させる。正面中央に玄関車寄、出窓、両脇に階段室を前面に突出させ、全体として左右対称の構成をとる。 屋根は主体部、両翼、車寄を入母屋造、出窓、階段室を唐破風造、背面の浴室、便所は「五銭湯」が変形八角形平面の形状にあわせて宝形に屋根を架ける他は切妻造とする。全体を桟瓦葺とし、主体部の大棟両端に鵄尾を置き、正背面に起りのある屋根窓を載せる。屋根窓は両翼、便所、「拾銭湯」にも載る。「五銭湯」上部には湯気抜き塔を立ち上げ頂部に相輪を冠する。 軸部は一、二階とも柱を腰長押、内法長押で固め、側廻りは柱上に舟肘木を載せて桁を受ける。車寄は三斗組を載せた寄せ柱を虹梁(こうりょう)で繋いで蟇股(かえるまた)を置く。軒は一軒(ひとのき)疎垂木(まばらだるき)、小屋は「五銭湯」を変形トラスとする他は和小屋である。 内部は、玄関車寄から「前室」「廣間」と続き、「前室」から左右を廊下として右を女湯、左を男湯に振り分ける。廊下に面して脱衣場をおく。廊下は両翼の特別浴室「上々湯」に続く。二階は前面に廊下を通し、背後に八畳三室と一〇畳二室を交互に配する。天井は棹縁天井で、一〇畳には床棚を設える。両翼と主体部の間に廊下を通し、奥の渡廊下を介して便所を附属させる。 背面の浴室は女湯、男湯とも変形八角形平面の「五銭湯」、矩形平面の「拾銭湯」からなる。床及び壁を磁器タイル張、浴槽を大理石張とし、天井は中央の湯気抜きに向かって放射状に棹縁を配する棹縁天井とする。 内外ともに壁は漆喰仕上げ真壁で、外部は主体部、両翼は一階の腰を縦板張、背面の浴室は下見板張とし、軸部、下見板、出窓に開けられた花頭窓の枠を朱、軒裏を白、腰板壁を緑青、建具を白緑に塗り分ける。 楼門は東面して建つ。建築面積一一九・九六平方メートルの入母屋造本瓦葺の木造二重門で、初重の側を漆喰塗袴腰風の大壁とした竜宮門形式をとる。左右に平家の翼屋を張り出し店舗をいれる。 一階は中央間両脇筋に柱を立てるが、構造的には両脇間中央に独立柱を立て敷桁を受ける特異な架構をとる。中央をアーチ状の通路とし、北脇間は階段室、南脇間は南翼屋と一体の店舗とする。二階は正面三間側面二間で、周囲には出組で支持した縁が廻る。正背面中央間に双折(もろおれ)桟唐戸(さんからど)を吊り、他は連子窓風のガラス戸引違いとする。床は二階は板間、天井は一階、二階とも折上(おりあげ)格天井で(ごうてんじょう )ある。組物は二手先(ふたてさき)で中備は(なかぞなえ )特異な形態をもつ蟇股を置く。軒は二軒(ふたのき)で垂木を吹寄(ふきよせ)とし、屋根は入母屋造本瓦葺で、大棟両端には鯱を載せる。 北に続く翼屋は、桁行一〇・九メートル、梁間五・六メートル規模で、切妻造、桟瓦葺である。軸部は柱を虹梁で繋ぎ、出三斗を載せる。外部は楼門、翼屋とも軸部を朱、腰板壁、軒裏を白、建具を白緑に塗り分ける。 武雄温泉新館及び楼門は伝統的な和風意匠を基調としつつ、細部意匠や架構等には伝統的な形式によらない新しい試みをみせる。また、新館のたちの高いプロポーションや屋根窓、楼門両脇の円窓等には洋風意匠が混入される等、巧みな構成、意匠を持ち価値が高い。辰野金吾が関与した数少ない和風建築としても貴重である。 また、正面に竜宮門をおく配置計画、新館の屋根を複雑に組み合わせた外観、複数の浴室、休憩室等を一体化した施設計画等には、新しい温泉施設としての特徴的な構成とみられ、我が国の保養施設の歴史を知る上でも重要である。 【参考文献】 『佐賀県指定文化財武雄温泉新館保存修理工事報告書』(武雄温泉株式会社 二〇〇四年)
関連情報
附指定
棟札(大正3年8月6日)
関連情報
附指定
附名称
:
棟札(大正3年8月6日)
附員数
:
1枚