国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧渋沢家飛鳥山邸
ふりがな
:
しぶさわけあすかやまてい
棟名
:
晩香廬
棟名ふりがな
:
ばんこうろ
旧渋沢家飛鳥山邸(東京都北区) 晩香廬
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
大正
年代
:
大正7
西暦
:
1918
構造及び形式等
:
木造、建築面積79.24平方メートル、1階建、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02474
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2005.12.27(平成17.12.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都北区西ヶ原二丁目16番1号
保管施設の名称
:
所有者名
:
財団法人渋沢栄一記念財団
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧渋沢家飛鳥山邸(東京都北区) 晩香廬
解説文:
詳細解説
旧渋沢家飛鳥山邸は,曖依村荘と呼ばれた渋沢栄一の邸宅である。晩香廬は,渋沢栄一の喜寿を記念して贈呈された小亭(談話室)で,大正7年に竣工した。木造平屋建,寄棟造,赤色桟瓦葺である。洗練された意匠と精緻な造形により,工芸品ともいうべき建築作品に仕上げられている。
青淵文庫は,渋沢栄一の傘寿と子爵への陞爵を祝して贈呈された小図書館で,
大正14年に竣工した。煉瓦及び鉄筋コンクリート造2階建で,1階は露台,閲覧室,記念品陳列室などで,2階は書庫になる。
旧渋沢家飛鳥山邸の晩香廬及び青淵文庫は,大正期を代表する建築家のひとりである田辺淳吉の作風がよく示された作品である。
ともにアーツ・アンド・クラフツ運動の精神が具現された数少ない大正期の建築作品として重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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旧渋沢家飛鳥山邸(東京都北区) 晩香廬
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旧渋沢家飛鳥山邸(東京都北区) 晩香廬 内観
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解説文
旧渋沢家飛鳥山邸は,曖依村荘と呼ばれた渋沢栄一の邸宅である。晩香廬は,渋沢栄一の喜寿を記念して贈呈された小亭(談話室)で,大正7年に竣工した。木造平屋建,寄棟造,赤色桟瓦葺である。洗練された意匠と精緻な造形により,工芸品ともいうべき建築作品に仕上げられている。 青淵文庫は,渋沢栄一の傘寿と子爵への陞爵を祝して贈呈された小図書館で, 大正14年に竣工した。煉瓦及び鉄筋コンクリート造2階建で,1階は露台,閲覧室,記念品陳列室などで,2階は書庫になる。 旧渋沢家飛鳥山邸の晩香廬及び青淵文庫は,大正期を代表する建築家のひとりである田辺淳吉の作風がよく示された作品である。 ともにアーツ・アンド・クラフツ運動の精神が具現された数少ない大正期の建築作品として重要である。
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詳細解説
旧渋沢家飛鳥山邸 二棟 晩香廬、青淵文庫 旧渋沢家飛鳥山邸は、JR京浜東北線王子駅西方に位置する東京都北区飛鳥山公園の南部を占める。旧渋沢家飛鳥山邸は、曖依(あいい)村荘(そんそう)と呼ばれ、渋沢栄一が明治一○年に別邸地として四千坪を求めたに発し、明治三四年には本邸を深川から飛鳥山に移している。 晩香廬は、渋沢栄一の喜寿を記念して合資会社清水組社員清水満之助が贈呈した小亭で、青淵文庫は、渋沢栄一の傘寿と子爵への陞爵を祝して竜門社(財団法人渋沢栄一記念財団の前身)が贈呈した小図書館である。晩香廬は旧渋沢家飛鳥山邸の南方に位置し、大正六年四月起工、大正七年に竣工し、青淵文庫は晩香廬の西方、正門から旧本邸玄関に至る通路の右手方に位置し、大正一一年四月起工、関東大震災を挟んだ大正一四年五月に竣工した。ともに田辺淳吉の設計、清水組の施工になる。 晩香廬は、田辺淳吉(一八七九~一九二六 明治三六年東京帝国大学工科大学建築学科卒業)が清水組技師長時代の作品、青淵文庫は、田辺淳吉が清水組を退社し、大正一○年に東京帝国大学名誉教授の中村達太郎と協同し中村田邊建築事務所を開設した時期の作品になる。 晩香廬では、「王子渋沢邸ガーデンハウス」図面に「清水」の印影が確認され、清水組設計部員の清水巌(一八八九~一九七五 大正二年工手学校建築科卒業)が田辺淳吉を補佐した。 また『青淵文庫建築説明書』は「設計竝監督 中村田邊建築事務所」とし、「設計監督主任田邊淳吉 設計監督補助櫻井博 製圖係佐藤秀三 製圖係前田一雄 現場係吉野孝吉」の名が挙げられている。参考文献によれば、晩香廬及び青淵文庫はインドの詩人タゴールや救世軍のブースなど賓客接待にも用いられた。 なお、同じ渋沢栄一喜寿記念として第一銀行が贈呈した建造物である「誠之堂」(田辺淳吉設計 大正五年竣工)が埼玉県深谷市に現存しており、平成一五年五月三○日付で重要文化財に指定されている。 曖依村荘は、昭和六年渋沢栄一没後、竜門社に遺贈され、昭和二○年四月一三日の空襲により本邸住宅や茶室等のほとんどの施設を焼失したものの、晩香廬と青淵文庫は焼失を免れ、土地は平成四年北区に売却され飛鳥山公園拡充地として北区の管理するところとなり、晩香廬と青淵文庫は渋沢史料館の施設として活用が図られている。 晩香廬は、木造平屋建、寄棟造赤色桟瓦葺、建築面積七一・七八平方メートルで、西を正面とし、南側に「談話室」を置き、東西に通り抜けができる玄関を挟んで北側に「扣室」と「洗面所」を配し、西面は深い軒をつくりテラスとする(「」内の室名は、『王子渋沢邸ガーデンハウス平面図並ニ切断面図』による)。「談話室」部は大壁造で、腰と出隅に色むらのある黒紫色の小口タイルを張り、北面屋根上にタイル張りの煙突を立ち上げる。「扣室」・「洗面所」部は真壁造とし、壁の仕上げはともに「西京の錆壁」とされる。 「談話室」内部は、北面東寄りをニッチ風につくり煖炉を置き、南面西寄りにベイウインドーを設け、北面西寄りに玄関への、西面にテラスへの、南面ベイウインドーには南庭への出入口を開ける。内壁は腰を真鍮釘で留めた萩茎の縦張とし、上部は青貝交じりの砂壁に仕上げる。床は板張、天井は、寄棟型の船底天井で、木摺下地に石膏塗とし、各面の合わせ目に木の額縁と石膏彫刻のボーダーを廻す。煖炉廻りは黒紫色のタイルを芋目地にして張り、上部中央に「壽」を現したタイルを嵌め込み、左右には二連のステインドグラスを建て込む。木部は主として栗材を用い、名栗仕上げを施す。玄関は、床を周囲鉄平石敷としたタイル敷で、南面は「談話室」の外壁と同様の仕上げとして外部的な扱いとし、上部はハーフティンバー風の意匠を採り入れ、西面と東面とにガラス入り引き違い格子戸を建て込む。「扣室」西面の弓形張出し窓や大和張の野地板を見せた西面テラスの軒裏など、隅々まで行き届いた洗練された意匠と精緻な造形により工芸品というべき建築作品に仕上げられている。 青淵文庫は、震災後の鉄筋コンクリート造で補強された煉瓦造二階建、建築面積二一三・六七平方メートルで、東面に「露台」を設ける(「」内の室名は、『青淵文庫建築説明書』による)。東を正面とし、「露台」に面して平屋建の「閲覧室」を置き、西側南方を「記念品陳列室」、北方を「予備室」に充て、西面中央部に半円形の「階段室」を突出させる。二階は「書庫」になる。「予備室」の北側は平屋建とし「昇降口」・「化粧室」・「控室」を設ける。外部は月出石の芋目地張を主とし、開口部廻りに装飾タイルを張る。「露台」は床面が那智黒石埋込仕上げで、「壽」を現した鋳物製の手摺りを周囲に廻らす。「閲覧室」内部は、床がチーク材の寄木張、腰壁はチーク材の額羽目張とし、壁上部や天井は石膏プラスター塗仕上げで、額縁等の要所に石膏製の帯飾を廻す。開口部廻りの額縁には、柏の葉と実をモチーフとした装飾タイルを張り立て、東面の四連の出入口の嵌め殺し欄間にはステインドグラスを入れる。建具は、窓・扉とも鋼製で、「記念品陳列室」・「予備室」・「書庫」の窓は防火性に配慮した二重窓とし、「書庫」には一一台の鋼製書棚が残る。 旧渋沢家飛鳥山邸晩香廬及び青淵文庫は、誠之堂と一連の田辺淳吉設計の渋沢栄一記念建造物三部作になるものである。大正期を代表する建築家のひとりである田辺淳吉の作風がよく示された作品であるとともに、アーツ・アンド・クラフツ運動の精神が具現された数少ない大正期の建築作品として重要である。 【参考文献】 『晩香廬保存修理工事報告書』(財団法人渋沢栄一記念財団・清水建設株式会社 二○○五年) 『青淵文庫保存修理工事報告書』(渋沢青淵記念財団竜門社・清水建設株式会社 二○○三年)
関連情報
附指定
賀詞、献品目録及び献品目録附表
青焼図面
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附指定
附名称
:
賀詞、献品目録及び献品目録附表
附員数
:
3点
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附名称
:
青焼図面
附員数
:
5枚