国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
八ツ沢発電所施設
ふりがな
:
やつさわはつでんしょしせつ
棟名
:
取水堰堤
棟名ふりがな
:
しゅすいえんてい
八ツ沢発電所施設 取水堰堤
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員数
:
1所
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
明治
年代
:
明治45
西暦
:
1912
構造及び形式等
:
石造及びコンクリート造堰堤、堤長101.7m、堤高3.9m、土砂吐門底部及び魚道付
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02475
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2005.12.27(平成17.12.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(二)技術的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
山梨県大月市駒橋、猿橋町、富浜町及び梁川町、上野原市大野、コモアしおつ、四方津、八ツ沢及び松留
保管施設の名称
:
所有者名
:
東京電力株式会社
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
八ツ沢発電所施設 取水堰堤
解説文:
詳細解説
八ツ沢発電所施設は,桂川にほぼ平行して東西に延びる水路式発電所施設である。東京電燈株式会社が第二水力電気事業の一環として建設したもので,明治43年に着工,大正3年の大野調整池の完成をもって全体が竣工した。
建造物は,取水口施設,第一号から第一八号の隧道,第一号開渠,第一号から第四号の水路橋,大野調整池施設,水槽余水路などで,約14kmの範囲に現存する。
取水口の沈砂池や隧道は,土砂流入防止等を意図して長大な規模で築かれる。第一号水路橋は大支間を実現した初期鉄筋コンクリート造橋梁であり,大野調整池堰堤は大正期を代表する大規模土堰堤の一つである。
八ツ沢発電所施設は,大規模調整池を有するわが国最初期の本格的水力発電所施設であるばかりでなく,類型の異なる複数の構造物に高度な建設技術が発揮されており,土木技術史上,高い価値がある。
わが国の重要文化財のなかで、最大規模となる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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八ツ沢発電所施設 取水堰堤
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八ツ沢発電所施設 取水堰堤
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解説文
八ツ沢発電所施設は,桂川にほぼ平行して東西に延びる水路式発電所施設である。東京電燈株式会社が第二水力電気事業の一環として建設したもので,明治43年に着工,大正3年の大野調整池の完成をもって全体が竣工した。 建造物は,取水口施設,第一号から第一八号の隧道,第一号開渠,第一号から第四号の水路橋,大野調整池施設,水槽余水路などで,約14kmの範囲に現存する。 取水口の沈砂池や隧道は,土砂流入防止等を意図して長大な規模で築かれる。第一号水路橋は大支間を実現した初期鉄筋コンクリート造橋梁であり,大野調整池堰堤は大正期を代表する大規模土堰堤の一つである。 八ツ沢発電所施設は,大規模調整池を有するわが国最初期の本格的水力発電所施設であるばかりでなく,類型の異なる複数の構造物に高度な建設技術が発揮されており,土木技術史上,高い価値がある。 わが国の重要文化財のなかで、最大規模となる。
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詳細解説
八ツ沢発電所施設 一四所、六基 取水堰堤、取水口制水門、取水口沈砂池、第一号隧道、第一号開渠、第二号隧道、第一号水路橋、第三号隧道、第二号水路橋、第四号隧道、第三号水路橋、第五号隧道、第四号水路橋、第六・七・八・九・一〇及び一一号隧道、大野調整池堰堤、大野調整池制水門、大野調整池余水路、第一二・一三・一四・一五・一六・一七及び一八号隧道、水槽、水槽余水路、土地 八ツ沢発電所施設は、山梨県東部に位置し、相模川水系桂川にほぼ平行して東西に延びる水路式発電所施設である。 八ツ沢発電所施設は、東京電燈株式会社が実施した第二水力電気事業の一環として、古市公威(こうい)及び中山秀三郎の指導のもと、東京電燈技師長中原岩三郎、同土木課長小林柏次郎及び早田喜成を中心とて建設が進められたもので、明治四三年に着工、同四五年に大野調整池を除き竣工して発電を開始し、大正三年の大野調整池の完成をもって全体が竣工した(着工年は『東京電燈株式会社第五十六回報告』(大正三年)、竣工年は『東京電燈株式会社開業五十年史』(東京電燈株式会社 昭和一一年)による)。建設後、主に災害復旧や漏水防止を目的とした工事が行われているが、全体として構造物の保存状況は良好である。 構造物は、桂川中流域より東に向かい取水口施設、第一号隧道、第一号開渠、第二号隧道、第一号水路橋、第三号隧道、第二号水路橋、第四号隧道、第三号水路橋、第五号隧道、第四号水路橋、第六・七・八・九・一〇及び一一号隧道、大野調整池施設、第一二・一三・一四・一五・一六・一七及び一八号隧道、水槽、水槽余水路の順で、全長約一四キロメートルに及ぶ範囲の中に現存する。 取水口施設は、桂川湾曲部で川を斜めに横断する取水堰堤、流速を生かして水路内への土砂流入をおさえることが意図され、流身に近い川の右岸寄りに設けられた取水口制水門、制水門東方に位置し川に平行して緩やかに湾曲する取水口沈砂池からなる。 取水堰堤は、堤長一〇一・七メートル、堤高三・九メートルの規模を有する固定越流式の重力式練積堰堤で、表面を花崗岩の布積で築き、堰堤の右岸側端部に設けられた土砂吐門との境に階段式魚道を設ける。 取水口制水門は、延長五三・九メートルの規模を有する四門からなる引上戸式及び起伏式水門で、通水部を径間長七・六メートルの煉瓦造欠円アーチとし、門柱を花崗岩切石積で築く。 取水口沈砂池は、練積護岸により桂川と隔てられた延長二八三・七メートルに及ぶ長大な構造物である。東西方向に延びる越流堤及び角落水門により南北に区画され、北側を甲沈砂池、南側を乙沈砂池とする。排砂の形式は、各池東端部に引上戸式排砂門及び馬蹄形断面の排砂路を設ける縦取式とし、乙沈砂池の東側には土砂を排砂路へ導く溺堤(できてい)、第一号隧道へ通じる漏斗形平面の開渠、及び排砂路へ通じる越流式余水吐を設ける。 取水口沈砂池から大野調整池の間に築かれた計六所の隧道は、いずれも高さ三・八メートル、拱起(きょうき)幅三・九メートル、覆工をコンクリート造、表面モルタル塗仕上とした馬蹄形断面の無圧隧道である。 第一号隧道は、延長一〇三四・七メートルのほぼ直線状の構造物で、坑口を煉瓦造とし、壁面を練積で築いた坑門を両端に構える。 第二号隧道は、延長三五八・七メートルのくの字形平面をした構造物で、西端には煉瓦造坑口と練 積壁面からなる坑門、東端には石造坑口と煉瓦造壁面からなる石造壁柱付坑門を構える。 第三号隧道は、延長三五四・九メートルのほぼ直線状の構造物で、西端には石造坑口と煉瓦造壁面からなる石造壁柱付坑門、東端には煉瓦造坑口と練積壁面からなる坑門を構える。 第四号隧道は東側で大きく南に屈曲する延長三三五・三メートルの構造物、第五号隧道はほぼ直線状の延長九一・九メートルの構造物で、いずれも煉瓦造坑口と練積壁面からなる坑門を両端に構える。 第六・七・八・九・一〇及び一一号隧道は、屈曲しながらほぼ東西方向に貫かれた延長五五一二・二メートルに及ぶ長大な構造物で、東から約一九一〇メートルの地点に矩形平面の煉瓦造縦坑を設け、両端とも煉瓦造坑口と練積壁面からなる坑門を構える。 大野調整池から水槽の間に築かれた第一二・一三・一四・一五・一六・一七及び一八号隧道は、東半で盆地周りの山間部をコの字形に、西半では東西方向にほぼ直線状に貫かれた延長五〇七三・一メートルに及ぶ長大な圧力隧道で、直径五・〇メートルの円形断面とする。覆工はコンクリート造、表面モルタル塗仕上とし、西端にはコンクリート造坑口と石造壁面からなる坑門を構える。 第一号開渠は、延長七五・三メートル、天端幅六・六メートルのほぼ台形断面の構造物で、北側壁に沿って越流式余水吐を設け、全体の外周壁面を練積で築く。開渠の東側には五門からなる角落水門を載せた溺堤を設け、溺堤北端には排砂門を設ける。 第一号水路橋は、桂川に架かる橋長四二・七メートルの鉄筋コンクリート造単アーチ橋である。設計は神原信一郎で、着工は明治四四年五月に着工、竣工は翌年六月である(神原信一郎「鉄筋混凝土造猿橋水道橋工事報告書」(『土木学会誌』第一巻第一号 大正四年二月)による)。径間長三二・七メートルのライズを抑えたメラン式の無ヒンジアーチの上に、エネビック式の横桁、扶壁(ふへき)及び連結桁で囲繞されたモニエ式の水路樋(すいろとい)を戴き、さらに欄干柱を立て、全体をモルタル塗で仕上げる。設計にあたり装飾を排した橋のデザインが意図され、水路樋を支えるアーチを扁平につくり、アーチ垂直材、横桁、扶壁、連結桁及び欄干柱の位置を揃えるなどして、水平及び垂直方向における視覚的一体性を高める。 第二号水路橋は橋長二八・二メートルの三連アーチ橋、第三号水路橋は橋長四〇・三メートルの五連アーチ橋、第四号水路橋は橋長二五・五メートルの単アーチ橋である。いずれも径間長六・一メートルの煉瓦造欠円アーチの上部に水路及び高欄を設け、躯体内部をコンクリートで充填し、側面全体を煉瓦積としたもので、アーチ部と水路部の境にはデンティル及び鋸歯飾りをあしらう。 大野調整池施設は、安定的な用水供給を目的として計画されたもので、調整池東端に位置する大野調整池堰堤、調整池北面中央に位置する大野調整池制水門、調整池南面よりほぼ南北に貫かれた大野調整池余水路よりなる。設計は久保茂、施工現場監督は遲塚保三が担当した。 大野調整池堰堤は、堤長三〇九・一メートル、堤高三七・三メートルの規模を有し、天端が北側で池寄りに屈曲する大規模な土堰堤である。建設当時は、土堰堤としてわが国最大規模であった。中心粘土遮水壁の両側に盛土で緩勾配法面を築き、上流法面を石張、下流法面を芝張で仕上げる。 大野調整池制水門は、延長三六・八メートルの規模を有する七門からなる引上戸式水門で、通水部を煉瓦造欠円アーチとし、門柱を切石積で築く。 大野調整池余水路は、山腹に沿って練積で築かれた越流式余水吐から馬蹄形断面のコンクリート造無圧隧道が連続する全長三九四・七メートルの構造物である。 水槽は、五角形平面の煉瓦造構造物で、面積一〇八〇平方メートル、深さ一六・一メートルとし、関東大震災被災後に、ほぼ中央に練積の補強用壁体を築く。 水槽余水路は、水槽南側壁に沿って築かれた漏斗形平面の越流式余水吐に馬蹄形断面の隧道及び開渠が連続する全長一五七・六メートルのコンクリート造構造物である。 八ツ沢発電所施設は、大規模調整池を有する我が国最初期の本格的水力発電所施設であり、広域に建設された多数の構造物が、旧態を良好に保持しながらまとめて残る、貴重な社会基盤施設である。また、土砂流入防止等を意図して築かれた長大な沈砂池及び隧道、部位の特質に適った構法を駆使することにより洗練された造形と大支間が実現された第一号水路橋、大正期を代表する大規模土堰堤の一つである大野調整池堰堤など類型の異なる複数の構造物に、高度な建設技術が発揮されており、土木技術史上、重要である。 【参考文献】 『水力技術百年史』(水力技術百年史編纂委員会 一九九二年) 『山梨県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(山梨県教育委員会 一九九七年) 『日本の近代土木遺産』(土木学会 二〇〇一年)