国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
清洲橋
ふりがな
:
きよすばし
棟名
:
棟名ふりがな
:
清洲橋
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員数
:
1基
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
昭和
年代
:
昭和3
西暦
:
1928
構造及び形式等
:
鋼製三径間補剛吊橋、橋長186.2m、幅員25.9m、東南袖高欄附属、鉄筋コンクリート造橋脚2基及び鉄筋コンクリート造橋台2基を含む
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02500
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2007.06.18(平成19.06.18)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(二)技術的に優秀なもの
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都中央区日本橋中洲、江東区清澄
保管施設の名称
:
所有者名
:
東京都
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
清洲橋
解説文:
詳細解説
清洲橋は,隅田川下流に架かる道路橋である。関東大震災後の帝都復興事業の一環として,内務省復興局土木部長太田圓三らの設計により,昭和3年3月に竣工した,橋長186.2m,中央支間長91.4m,幅員25.9mの規模を有する広幅員の三径間自碇式(じていしき)補剛吊橋である。橋脚及び橋台は鉄筋コンクリート造で,上部構造は,塔柱から吊された吊鎖(ちょうさ)を橋端部において主桁と連結し,吊鎖と主桁を吊材(つりざい)で繋いでいる。
清洲橋は,内務省復興局が探求した力学的合理性に基づく近代的橋梁美を実現している。また,材料,構造形式及び工法に当時の最先端技術を駆使しており,昭和初期を代表する吊橋として重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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清洲橋
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清洲橋
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解説文
清洲橋は,隅田川下流に架かる道路橋である。関東大震災後の帝都復興事業の一環として,内務省復興局土木部長太田圓三らの設計により,昭和3年3月に竣工した,橋長186.2m,中央支間長91.4m,幅員25.9mの規模を有する広幅員の三径間自碇式(じていしき)補剛吊橋である。橋脚及び橋台は鉄筋コンクリート造で,上部構造は,塔柱から吊された吊鎖(ちょうさ)を橋端部において主桁と連結し,吊鎖と主桁を吊材(つりざい)で繋いでいる。 清洲橋は,内務省復興局が探求した力学的合理性に基づく近代的橋梁美を実現している。また,材料,構造形式及び工法に当時の最先端技術を駆使しており,昭和初期を代表する吊橋として重要である。
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詳細解説
清洲橋 一基 清洲橋は、清澄と日本橋中洲を結び、隅田川河口より約三・二キロメートル上流に架かる道路橋である。 清洲橋は、関東大震災後に実施された帝都復興事業の一環として、内務省復興局土木部長太田圓三及び同技師田中豊の指導のもと、同技師鈴木清一らの設計に基づき、同技師釘宮磐を中心として建設が進められたもので、大正一四年三月に起工、昭和三年三月に竣工した(起工及び竣工の年代は、『復興事業誌』による)。その後、東京市へ移管され、補修工事等が実施されているが、全体として保存状況は良好である。 清洲橋は、橋長一八六・二メートル、中央支間長九一・四メートル、幅員二五・九メートルの規模を有する広幅員の三径間自碇式連続補剛吊橋である。東南橋詰には、石造袖高欄を一部残す。 下部構造は、固定式空気潜函工法を用いて平均潮位下約二三メートルから約二八メートルまで埋め込まれた潜函を基礎とする橋脚及び橋台各二基よりなる。いずれも鉄筋コンクリート造で、上部を江戸切仕上げ花崗岩の石積とする。 上部構造は、橋端部に水平力の及ばない自碇式とする。塔柱から吊るされた吊鎖を橋端部において主桁と連結して、主桁は橋台に碇着し、全支間にわたり等間隔に配された吊材で吊鎖と主桁を繋ぐ。 塔柱は、平鋼及び山形鋼を鋲結した高さ二〇・三メートルの箱形鋼柱で、各橋脚上に二基ずつ配し、上部をアーチ状の梁で繋ぐ。各塔柱頂部で吊鎖をピン結合し、基部は橋脚に剛結せず、橋長方面の回転に対応可能な半球形支承で受ける。 吊鎖は、高張力マンガン鋼の一種であるデュコール鋼(Ducol Steel)を用い、断面を抑えた鋼板繋鎖よりなり、全体で放物線を描き、サグ比は七分の一とする。吊材は、橋の中央部及び端部を除いて丸鋼とし、各材の中央に長短調節用の締寄ナットを付ける。 主桁は、平鋼及び山形鋼を鋲結し、三箇所にヒンジを入れた箱形鈑桁で、中央径間に放物線を導入した弓状の立面とし、吊鎖からの水平反力を受けるとともに、橋の振動を抑える補剛桁としての役割も果たす。 床構は、平鋼及び山形鋼を鋲結し、主桁に直接取り付く床桁と、バックルプレート床版等よりなる。 清洲橋は、放物線状の吊鎖と主桁等よりなる洗練された造形により、内務省復興局が探求した力学的合理性に基づく近代的橋梁美を実現するとともに、近代東京の震災復興を象徴した土木構造物である。また、厳しい立地条件及び地質条件の克服と躯体の耐震性向上を図るため、材料、構造形式及び工法に最先端の技術を駆使して建設された、大正末期から昭和初期を代表する吊橋として重要である。 【参考文献】 『日本の近代土木遺産〔改訂版〕』土木学会、二〇〇五年 『近代日本の橋梁デザイン思想』中井祐、二〇〇五年