国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
岩屋寺大師堂
ふりがな
:
いわやじだいしどう
棟名
:
棟名ふりがな
:
岩屋寺大師堂
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員数
:
1棟
種別
:
近代/宗教
時代
:
大正
年代
:
大正9
西暦
:
1920
構造及び形式等
:
木造、建築面積83.91平方メートル、宝形造、銅板葺、正面向拝付
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02508
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2007.06.18(平成19.06.18)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
愛媛県
所在地
:
愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1467番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
岩屋寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
岩屋寺大師堂
解説文:
詳細解説
岩屋寺は,四国霊場第四十五番の札所として知られ,本堂の南側に建つ大師堂は,大蔵省臨時議院建築局技手であった河口庄一が設計監督し,大工は窪田文治郎らで,大正9年11月に竣工した。
大師堂は,宝形造,銅板葺である。向拝柱は,角柱を二本組とし,柱身にエンタシスを付け,柱頭部にバラと組紐飾り状の装飾を付ける。また,内部の円柱頭部では挿肘木を輪で繋ぐ構成とするなど,独特の意匠で要所を装飾している。
岩屋寺大師堂は,伝統的な寺院建築の構成を基調とするが,軸部の構成や細部意匠に西洋建築の手法を採り入れながら,破綻無くまとめあげており,我が国近代の建築意匠史上,高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
岩屋寺大師堂
岩屋大師堂 細部意匠
岩屋大師堂 細部意匠(内部)
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岩屋寺大師堂
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岩屋大師堂 細部意匠
写真一覧
岩屋大師堂 細部意匠(内部)
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解説文
岩屋寺は,四国霊場第四十五番の札所として知られ,本堂の南側に建つ大師堂は,大蔵省臨時議院建築局技手であった河口庄一が設計監督し,大工は窪田文治郎らで,大正9年11月に竣工した。 大師堂は,宝形造,銅板葺である。向拝柱は,角柱を二本組とし,柱身にエンタシスを付け,柱頭部にバラと組紐飾り状の装飾を付ける。また,内部の円柱頭部では挿肘木を輪で繋ぐ構成とするなど,独特の意匠で要所を装飾している。 岩屋寺大師堂は,伝統的な寺院建築の構成を基調とするが,軸部の構成や細部意匠に西洋建築の手法を採り入れながら,破綻無くまとめあげており,我が国近代の建築意匠史上,高い価値が認められる。
詳細解説▶
詳細解説
岩屋寺大師堂 一棟 四国霊場第四十五番札所である岩屋寺は、愛媛県中央部の高知県県境近く、直瀬川右岸の屹立した隆起礫岩峰群を背負った崖地に南北に細長い平場を造り、境内を構える。大師堂は、本堂の南に位置し、東面して建つ。 岩屋寺は、明治三一年の火災により主要堂宇を失い、現在の大師堂は、大正四年五月に起工、同九年一一月に竣工したものである。設計監督は愛媛県温泉郡余土村出身で大蔵省臨時議院建築局技手の河口庄一、大工は窪田文治郎らである。河口は明治一○年五月に愛媛県余土村(現松山市)に生まれる。同二七年から建築実務に従事している。同三四年に愛媛県雇となり、建築係として県立学校等新築工事を担当する。同三七年に上京し、東京市役所臨時雇、東京市雇を経て、同三九年四月から四一年四月まで東京市技手となる。この間、同四○年二月に工手学校建築科を卒業している。同四三年に大蔵省臨時建築部技手となり、臨時議院建築局技手等を経て、大正一四年五月に営繕管財局の技手となり、議院建築(国会議事堂)の設計に従事する。大正二年実施の「大本山総持寺鐘楼建築略設計懸賞募集」で選外一等となる。昭和五年九月に死去した。 岩屋寺大師堂は、九・二メートル四方規模の宝形造、銅板葺で、四周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻し、正面と北面に木階を配し、正面には向拝を付ける。屋頂には、高欄付き露盤の上に八角形の宝傘を重ねて相輪と宝珠を戴き、宝傘に風鐸を吊す。平面は、各面両端部に双子柱を配した方四間のつくりで、正背面の中央の柱を抜き、正面側一間分を吹き放ちの外陣とし、後三間を内陣とする。 柱は礎石建ちの円柱とし、貫、虹梁等で固め、組物は尾垂木・支輪・軒天井を備えた三手先斗栱、中備は人字形の束と大瓶束とする。軒は、二軒疎垂木で、垂木先を蛇口状に仕上げる。向拝柱は、角柱を二本組で用い、柱身にエンタシスを付け、柱頭部にバラと組紐飾り状の装飾を配し、柱身下部にはフルーティングを施す。 内部は畳敷きとし、内陣後方に須弥壇を置く。身舎の円柱頭部は挿肘木を輪で繋ぐ独特の構成とし、虹梁に載る大瓶束左右の笈形は木質を変え、花と組紐の装飾模様をあしらって際立たせる。天井は、身舎部が格天井、身舎周囲は化粧垂木を見せる。柱間は、正面中央間を双折桟唐戸、その両脇を両開板戸とし、側面前端間と背面中央に両開板戸を配し、側面中央間には火灯窓に連子を建て込み、他は板壁とする。 小屋組は、和小屋で、身舎の柱上に四隅に火打を入れた井桁を据え、各辺五本の束を立てて貫・横木・筋違で固めるとともに、外へ登梁と桔木を扇状に配り、内には隅の束同士と四辺中央の束同士を梁で繋ぎ、登梁と繋梁から束を立てて母屋を受ける。 岩屋寺大師堂は、伝統的な寺院建築の構成と構法を基調とするが、双子柱など西洋古典主義建築の構成モチーフを採り入れるとともに、蟇股、木鼻、笈形、擬宝珠等に西洋建築の装飾細部を溶け込まして破綻無くまとめあげていることで特筆される。明治後期の「我が国将来の建築様式を如何にすべきや」論争を背景として、各方面で試行された建築意匠の取組のうち、新様式「セセッション式」を加味した近代和風建築の数少ない実作のひとつとして、我が国近代の建築意匠史上価値が高い。 【参考文献】 『愛媛県近代化遺産総合調査報告書』愛媛県県民環境部、二○○三年 『愛媛県近代和風建築総合調査報告書』愛媛県教育委員会、二○○六年