国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧美歎水源地水道施設
ふりがな
:
みたにすいげんちすいどうしせつ
棟名
:
貯水池堰堤
棟名ふりがな
:
ちょすいちえんてい
旧美歎水源地水道施設 貯水池堰堤
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員数
:
1所
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
大正
年代
:
大正11
西暦
:
1922
構造及び形式等
:
重力式コンクリート造堰堤、堤長103.0m、堤高19.5m
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02506
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2007.06.18(平成19.06.18)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
鳥取県
所在地
:
鳥取県鳥取市国府町美歎、上町87番2
保管施設の名称
:
所有者名
:
鳥取県
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧美歎水源地水道施設 貯水池堰堤
解説文:
詳細解説
旧美歎水源地水道施設は,鳥取市民の飲料水の確保と公衆衛生の向上を主な目的として,鳥取市技師長三田善太郎の計画及び設計に基づき,建設され,大正4年9月より給水を開始した上水道施設である。
施設は,貯水池堰堤を中心として,上流の美歎川上流量水堰及び通リ谷量水堰,下流の濾過池,接合井及び量水器室により構成される。貯水池堰堤は,重力式コンクリート造堰堤で,濾過池は,一号から五号までを南北に配し,制水井を附属している。
旧美歎水源地水道施設は,山陰地方で最初に建設された近代水道施設の代表的遺構であり,貯水池のみならず,量水施設や濾過施設なども良好な状態で保存されていることから,近代水道施設の構成を知る上で,高い歴史的価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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旧美歎水源地水道施設 貯水池堰堤
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旧美歎水源地水道施設 貯水池堰堤
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解説文
旧美歎水源地水道施設は,鳥取市民の飲料水の確保と公衆衛生の向上を主な目的として,鳥取市技師長三田善太郎の計画及び設計に基づき,建設され,大正4年9月より給水を開始した上水道施設である。 施設は,貯水池堰堤を中心として,上流の美歎川上流量水堰及び通リ谷量水堰,下流の濾過池,接合井及び量水器室により構成される。貯水池堰堤は,重力式コンクリート造堰堤で,濾過池は,一号から五号までを南北に配し,制水井を附属している。 旧美歎水源地水道施設は,山陰地方で最初に建設された近代水道施設の代表的遺構であり,貯水池のみならず,量水施設や濾過施設なども良好な状態で保存されていることから,近代水道施設の構成を知る上で,高い歴史的価値が認められる。
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詳細解説
旧美歎水源地水道施設 八所、一基、一棟 貯水池堰堤、美歎川上流量水堰、通リ谷量水堰、一号濾過池、二号濾過池、三号濾過池、四号濾過池、五号濾過池、接合井、量水器室、土地 旧美歎水源地水道施設は、鳥取市中心部より約五キロメートル東方、千代川水系美歎川の上流に位置する旧上水道施設である。 旧美歎水源地水道施設は、鳥取市街地へ供給する飲料水の確保と公衆衛生の向上を主な目的として、鳥取市を事業主体とし、同市技師長三田善太郎の計画及び設計に基づき、大正元年六月に起工、同四年九月より給水を開始し、翌月に竣工した(起工及び竣工の年月は『落成式に関する印刷物入』所収の「鳥取市水道工事報告」(三田善太郎 大正四年一〇月)、給水年月は『大正四年工事関係綴』所収の「給水量報告之件」による)。その後、大正七年九月の水害により、貯水池堰堤、濾過池等がき損したことから、佐野藤次郎指導のもと、市技師友永染蔵の設計に基づき同八年七月から一一年六月にかけて復旧工事が行われた(起工及び竣工の年月は『日本水道史』(中島工学博士記念事業会 昭和二年)による)。昭和五三年の新水源地建設に伴い供用を停止し、平成四年から一一年にかけて貯水池堰堤を砂防堰堤へ改修しているものの、全体として保存状況は良好である。 旧美歎水源地水道施設は、貯水池堰堤を中心として、貯水池上流に配された美歎川上流量水堰及び通リ谷量水堰、貯水池より下流に配された濾過池、接合井及び量水器室よりなる。また、復旧工事を含めた建設の経緯、関連技術者等を記した「鳥取水道記功碑」が大正一二年に上町配水池構内に建設されている(附指定)。 貯水池堰堤は、東西に長い貯水池の西端に位置する。岩盤を基礎として築かれた重力式コンクリート造堰堤で、堤長一〇三・〇メートル、堤高一九・五メートル、水通し幅三七・六メートルの越流式とし、表面は玄武岩のくずし谷積とする。堤体法勾配は上流側で二分、下流側で七・二分とし、上流側南寄りに半円形平面の取水塔を設け、塔下部より堤体軸とほぼ直交する送水用隧道を穿つ。 美歎川上流量水堰と通リ谷量水堰は、東方より貯水池に流入する美歎川と北方より貯水池に流入する美歎川右支通リ谷に建設された重力式コンクリート造堰堤で、堤長は七・九メートルと四・五メートル、堤高は一・五メートルと一・一メートル、水通し幅は六・一メートルと二・四メートルとする。いずれも左右対称のつくりで、左右に法勾配約三分の石積護岸を配し、通リ谷量水堰は下流側に石敷の水叩を連続させる。『大正五年度工事関係綴』所収の「貯水池上流字通リ谷量水堰新設工事外一廉延期許可ノ件」及び「検査済報告」によると、量水堰はいずれも大正五年七月一日起工、同年八月二四日竣工で、請負人は西中吉太郎である。 濾過池は、緩速式で、貯水池堰堤より約三〇〇メートル南西に位置する。一号濾過池から五号濾過池までの五所を南北にくの字形に配し、一号濾過池から四号濾過池までは二五・八メートル四方、増設の五号濾過池は二二・四メートル四方とし、いずれも西面中央に制水井を付ける。コンクリート基礎の上に煉瓦を敷詰めた底版の中央東西に導水溝を設け、側壁は法勾配一割のコンクリート面に煉瓦の長手積を施したもので、天端には縁石を廻らす。制水井は長方形平面で、上屋は山形鋼、平鋼及び網状鈑を用いたコンクリート造とし、表面はモルタル塗仕上げとする。『大正四年工事関係綴』所収の「工事着手届」によると、一号濾過池より四号濾過池及び接合井は大正二年一〇月九日に起工し、実施設計は市技手戸澤耿介、工事監督は市技手大沼泰一、請負は深澤順二郎である。復旧工事は『濾過池復旧工事関係書綴』所収の「工事竣工報告」より、工事監督市技手古小路正喜、起工大正八年九月四日、竣工同一〇年三月二七日で、五号濾過池は『鳥取市水道六十年史』(鳥取市水道局 昭和五〇年)によると昭和二年に起工し、「昭和三年一二月一八日付応急送水工事認可稟請ノ件」に濾過池五所の存在が明記されているため昭和三年以前の竣工と考えられる。 接合井は、四号濾過池の西側に位置する。各濾過池からの送水を合流して、下流へ送り出す施設で、直径三・一メートルの円形平面とし、煉瓦造小口積の上屋壁面に、欠円アーチ形の入口と窓三箇所を等間隔に穿ち、頂部にはコンクリート造ドームを載せる。表面はモルタル塗仕上げとする。 量水器室は、接合井より約一一〇メートル西方に位置する。地面から掘下げた方形の敷地の中央に北面して建ち、北法面には階段を付ける。ほぼ正方形平面の鉄筋コンクリート造平屋建で、方形造、建築面積四・一七平方メートルとし、北面を除く三面に矩形の窓を設け、外装は頂部、柱形、窓枠及び腰部等をモルタル洗出仕上げとする他は煉瓦タイル張とする。 旧美歎水源地水道施設は、山陰地方で最初に建設された近代水道施設である鳥取市創設水道施設の代表的遺構として、歴史的に価値が高い。また、貯水池堰堤を有する水源地のうち、緩速濾過池を備えた数少ない水道施設の一つで、貯水池の上下流に残る量水施設を含め、近代水道施設の構成を知る上で貴重であり、水源涵養と治山を目的として植林された貯水池周辺の土地を併せて保存を図る。 【参考文献】 『鳥取県の近代化遺産』鳥取県教育委員会、一九九八年 『日本の近代土木遺産〔改訂版〕』土木学会、二〇〇五年
関連情報
附指定
鳥取水道記功碑
管理橋
関連情報
附指定
附名称
:
鳥取水道記功碑
附員数
:
1基
関連情報
附指定
附名称
:
管理橋
附員数
:
2基