国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
大谷派本願寺函館別院
ふりがな
:
おおたにはほんがんじはこだてべついん
棟名
:
本堂
棟名ふりがな
:
ほんどう
大谷派本願寺函館別院 本堂
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員数
:
1棟
種別
:
近代/宗教
時代
:
大正
年代
:
大正4
西暦
:
1915
構造及び形式等
:
鉄筋コンクリート造、建築面積1,115.11平方メートル、入母屋造、正面向拝三間、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02511
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2007.12.04(平成19.12.04)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
北海道
所在地
:
北海道函館市元町16番15号
保管施設の名称
:
所有者名
:
真宗大谷派函館別院
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
大谷派本願寺函館別院 本堂
解説文:
詳細解説
大谷派本願寺函館別院は、明治40年の函館大火で堂宇を焼失した後に、当時帝室技芸員であった伊藤平左衛門九世の設計により鉄筋コンクリート造で再建された寺院建築である。本堂は大正4年11月に竣工し、正面が33メートルと大規模で、平面は典型的な真宗本堂形式としている。
大谷派本願寺函館別院は、鉄筋コンクリート造建築の初期の遺構であり、鉄筋コンクリート造で伝統様式を再現した我が国で最初の寺院建築として高い歴史的価値がある。また、耐火建築として、その後の函館市街地への不燃建築普及の契機となったもので、深い意義が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
大谷派本願寺函館別院 本堂
大谷派本願寺函館別院 本堂(内部)
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大谷派本願寺函館別院 本堂
写真一覧
大谷派本願寺函館別院 本堂(内部)
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解説文
大谷派本願寺函館別院は、明治40年の函館大火で堂宇を焼失した後に、当時帝室技芸員であった伊藤平左衛門九世の設計により鉄筋コンクリート造で再建された寺院建築である。本堂は大正4年11月に竣工し、正面が33メートルと大規模で、平面は典型的な真宗本堂形式としている。 大谷派本願寺函館別院は、鉄筋コンクリート造建築の初期の遺構であり、鉄筋コンクリート造で伝統様式を再現した我が国で最初の寺院建築として高い歴史的価値がある。また、耐火建築として、その後の函館市街地への不燃建築普及の契機となったもので、深い意義が認められる。
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詳細解説
大谷派本願寺函館別院 三棟 本堂、鐘楼、正門 大谷派本願寺函館別院は、函館山東麓の二十間坂の北、大三坂との間に敷地を構える。明治四〇年の函館大火で堂宇を焼失し、耐火建築を目標として鉄筋コンクリート造で再建されたのが現在の建物である。設計は伊藤平左衛門九世および一〇世、施工は木田保造が担当した。本堂は明治四五年七月に起工し、大正二年九月の立柱式、同三年一一月一〇日の上棟式を経て、同四年一一月に竣工し、翌年五月に遷仏遷座式を行った。函館別院はその後、大正一〇年の大火、昭和九年の大火を経験するが、耐火建築としての機能を果たしながら現在までその姿を維持している。 設計の伊藤平左衛門九世(一八二九~一九一三)は名古屋生まれ。伊藤家は代々尾張徳川家の工匠。明治二九年、帝室技芸員となる。京都の大谷派本願寺大師堂の明治再建(明治一三~二八年)の棟梁を務めており、明治二一年に明治一二年大火後の函館別院再建を委嘱された。このとき道内に五箇寺を建設している。この縁で明治四〇年大火後の函館別院再建に関わるが、同工事中に死去している。 一〇世(一八七一~一九二〇)は、九世の実子、吉太郎。大正二年に平左衛門一〇世を襲名。明治四五年七月の起工式を九世の代理として主宰、大正三年一一月の上棟式にも来函している。 本堂は、敷地南半の西寄りに東を正面にして建つ。正面三三・〇メートル、側面三三・三メートルの七間堂で、正面に向拝三間が付く。入母屋造桟瓦葺、組物は二手先、中備えは蟇股、二軒の繁垂木と伝統的な仏堂の形式をとる。平面は表側から向拝、縁、入側、外陣、矢来内、内陣、後堂を設けた典型的な真宗本堂形式で、内陣の両側に余間、その北に局之間、南に飛檐之間を設け、廊下が付く。入側の南端に階段、後堂の両脇に階段室が付く。 柱間装置は、正面中央五間は菱欄間付の木製腰付ガラス戸を引違いに建込み、外に両折れの鉄製防火扉が付く。両端間は両開き鉄製防火扉である。側面と背面の窓は木製両開きガラス戸で、外に両開き鉄製防火扉が付く。 鉄筋コンクリート造の躯体は、正面側通り、両側面、背面側通りを箱形に固め、桁行方向に大断面の鉄筋コンクリート桁を、入側通り、内外陣境、背面入側通りの三通りに架ける。向拝柱通りは別に桁を架ける。梁行の大梁は、正面扉口の柱位置で掛け渡し、向拝柱との間、背面側通りとの間は斜め梁で繋ぐ。鉄筋コンクリートの配筋はカーン・システムによる。 カーン・システムは、米国人ジュリアス・カーンJulius Kahnの発明による鉄筋コンクリートの配筋システムで、異形鉄筋のリブ・バーRib-Bar、異形鉄筋の一種であるカーン・トラッスド・バーKahn Trussed Bar、リブ付のエキスパンデッド・メタルであるリブ・メタルRib-metalやハイ・リブHy-rib、床版用のフロアタイルFloretyleを用いる。いずれも米国Truscon Steel社の製品で、明治四二年から横浜の米国貿易商会(代表R・F・モス)が日本での代理店となっていた。 小屋組はI形鋼の鉄骨ラーメンで、鉄筋コンクリート大梁位置に配す。屋根は鉄筋コンクリート・スラブの上に瓦を葺く。 伝統意匠のうち、向拝と内外陣境で虹梁と柱上組物を鉄筋コンクリート造とする。中備や手先の組物はラス・モルタルで塗り出す。入母屋造破風壁は木造の銅板張りとし、妻飾は二重虹梁蟇股形式で、中段の蟇股は撥束の出組に置き換え、鳳凰と雲、蓮花の彫刻で飾る。また、内部の天井、内陣廻りの柱、虹梁等は木造で、内陣と余間の前には折り唐戸を吊り、雲中天女の欄間彫刻を飾る。 鐘楼は、本堂の東側南寄りに位置する。鉄筋コンクリート造、桁行三・七メートル、梁間二・九メートルで、入母屋造桟瓦葺、組物は平三斗、二軒の繁垂木とする。一階は角柱、二階は丸柱で、高欄付の縁を巡らし、腰組は雲斗雲肘木とする。 正門は、敷地の東正面に開く。桁行四・五メートル、梁間三・六メートル、鉄筋コンクリート造の一間四脚門、切妻造で正面と背面の軒いっぱいに唐破風を飾る。組物は出三斗、妻飾は虹梁大瓶束で、二軒の繁垂木とする。屋根はモルタル塗吹付塗装とする。腰長押上には花組子付の菱格子の鋳鉄製欄間を入れ、鉄製門扉を両開きに吊り込む。 大谷派本願寺函館別院は、鉄筋コンクリート造建築の初期の遺構であり、鉄筋コンクリート造で伝統様式を再現した我が国で最初の寺院建築として歴史的価値が高い。また、耐火建築として大正一〇年函館大火で延焼を免れたことは、その後の函館市街地への不燃建築普及の契機として意義深い。 【参考文献】 『函館市史』(函館市 一九九五年) 『北海道近代和風建築総合調査報告書』(北海道教育委員会 二〇〇七年)
関連情報
附指定
南門及び塀
設計図面
関連情報
附指定
附名称
:
南門及び塀
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
設計図面
附員数
:
47枚