国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
金家住宅
ふりがな
:
こんけじゅうたく
棟名
:
洋館
棟名ふりがな
:
ようかん
金家住宅 洋館
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
大正
年代
:
大正14
西暦
:
1925
構造及び形式等
:
木造、建築面積165.93㎡、二階建、東面庇付、銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02532
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2008.12.02(平成20.12.02)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
秋田県
所在地
:
秋田県北秋田市本城字館ノ下192番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
金靖志
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
金家住宅 洋館
解説文:
詳細解説
金家住宅は、昭和3年に竣工した2階建の洋館と和館が並び建ち、その後方に明治35年上棟の文庫蔵と大正2年上棟の米蔵が建つ。
洋館は、大正期の郊外住宅などにみられる瀟洒な洋風住宅の意匠になり、また和館は、大小の接客空間をもち、洗練されたつくりとなっている。
金家住宅は、好対照をなす和洋両館が、良好に保存されており、東北地方で数少ない大型の和洋並立住宅として価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
金家住宅 洋館
写真一覧
金家住宅 洋館
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
金家住宅は、昭和3年に竣工した2階建の洋館と和館が並び建ち、その後方に明治35年上棟の文庫蔵と大正2年上棟の米蔵が建つ。 洋館は、大正期の郊外住宅などにみられる瀟洒な洋風住宅の意匠になり、また和館は、大小の接客空間をもち、洗練されたつくりとなっている。 金家住宅は、好対照をなす和洋両館が、良好に保存されており、東北地方で数少ない大型の和洋並立住宅として価値が高い。
詳細解説▶
詳細解説
金家住宅 四棟 洋館、和館、文庫蔵、米蔵、土地 北秋田市の所在する阿仁川中流域は、山間部で産する秋田杉や阿仁鉱山の鉱産物などの産出および流通の拠点として発展した。金家は阿仁川西岸に所在し、享保年間頃に分家して現在地に居を構えたと伝え、明治期には阿仁地方有数の地主であった。 金家住宅は、敷地の中ほどに洋館を東面して建て、その北西に和館を雁行に配し、和館の西方には文庫蔵を接続する。また洋館西方に米蔵と木小屋が建ち、洋館正面に石積の表門を構える。このうち洋館、和館、文庫蔵、米蔵、表門は、平成一一年六月七日付で登録有形文化財に登録された。また和館は昭和四二年に森吉町(現北秋田市)に寄贈された。 洋館は、大正一四年の上棟で昭和三年に竣工した。設計は秋田県の技手を務めた長岐禎三とされ、工事監督は小寺榮之助、大工棟梁は小寺茂吉である。長岐禎三は、明治四五年に秋田県立秋田工業学校(現秋田県立秋田工業高校)建築科を卒業、仙台逓信局営繕部を経て、大正一一年から同一四年まで秋田県庁に勤務し、同一五年、秋田市内に長岐建築事務所を開所した。工事監督の小寺榮之助も、長岐の翌年に同校を卒業している。 洋館は、木造二階建、桁行一二・七メートル、梁間一四・六メートル、切妻造、銅板葺で、急勾配の大屋根の前後に切妻破風と屋根窓をつけ、小屋組は洋小屋とする。瘤出し仕上の凝灰岩切石積基礎に建ち、外壁は、一階では基部に反りをもたせた下見板張とし、二階をドイツ壁、妻壁をハーフティンバーとする。このような外観構成の住宅は、「平和記念東京博覧会」(大正一一年)の出品作品や、旧徳川邸(軽井沢町)などの「あめりか屋」による住宅などが著名で、当時、郊外住宅や別荘建築として建てられた。 洋館の外壁は、窓枠を白色や水色、軒廻りや破風板を緑色のペンキで塗分け、内部の扉と階段廻りは水色やベージュのペンキ塗、またはワニス塗とする。 一階内部は、玄関から延びる廊下の南側に、手前より応接室、食堂、台所、北側に子供室を配し、突当りを居間として、その西側をサンルームとする。各室とも洋間を基本とするが、居間では通路部分を拭板敷、他を畳敷とし、サンルームの床は人造石研出しとする。天井廻りの漆喰蛇腹は、応接室は幾何学紋、子供室は唐草紋、居間ではデンティル付とするなど、変化をつける。 二階は、中廊下の南北に五室を配し、南室の南側をヴェランダとする。中廊下は、壁、天井とも漆喰塗で、各室内は畳を敷き、壁と天井は漆喰塗、窓は上げ下げ窓を基本とする。 和館は、洋館上棟後に着工し、洋館同様、昭和三年に完成した。木造二階建、桁行一二・六メートル、梁間一一・八メートル、入母屋造、鉄板葺で、上下階とも四周に軒庇を廻らせ、小屋組は洋小屋である。 一階東面に玄関を構え、玄関ホールの西奥に八畳間、北側に一五畳間と八畳間を配し、周囲に縁を廻らす。一五畳間には、花頭窓付の付書院と床を備える。二階は中廊下を挟んで三室を配するが、北側は一五畳と一四畳半の続きの大広間とし、部屋境の筬欄間周囲には「金」を模した透彫を彫り、西奥の座敷飾は、違棚と床、付書院をコの字型に構える。東南面を廻る縁は、内側を畳敷、外側を拭板敷とし、高欄を付け、柱も極力省き、座敷より周囲の田園風景を広く望む。 軸部材は、主として秋田杉の良材を用い、内法壁には蟻壁長押を廻し、天井は棹縁天井である。また和館の南東側には二階建の廊下を附属し、上下階で洋館と繋ぐ。 文庫蔵は、棟札により明治三五年の上棟で、棟梁は櫻田永五郎である。土蔵造二階建、桁行一〇・六メートル、梁間五・五メートル、切妻造、置屋根式の鉄板葺で、東面の蔵前を介して和館と接続する。布石積基礎に建ち、外壁漆喰塗で、腰は石積風に目地を切り、黒漆喰塗の軒蛇腹に渦紋を表す。 米蔵は、棟札により大正二年の上棟になり、棟梁は鈴木禮吉である。土蔵造、桁行八・一メートル、梁間四・九メートル、切妻造、置屋根式の鉄板葺で、東面に蔵前をつける。布石積基礎に建ち、外壁は漆喰塗である。 金家住宅洋館は、大正期の郊外住宅や別荘建築にみられた洋風住宅の瀟洒な意匠を志向しつつ、内部では畳敷を導入して床座の起居様式を積極的に取入れている。また和館は、大小の接客空間をもち、各部のつくりも上質で洗練されている。 金家住宅は、好対照をなす和洋両館が、極めて良好に保存されており、東北地方で数少ない大型の和洋並立住宅として貴重であり、また地方における近代住宅の展開を示す作品のひとつとしても、歴史的価値が高い。近代地主の屋敷構を伝える、文庫蔵、米蔵、表門および宅地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『秋田県近代和風建築総合調査報告書』(秋田県教育委員会 二○○四年)