国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
常願寺川砂防施設
ふりがな
:
じょうがんじがわさぼうしせつ
棟名
:
白岩堰堤
棟名ふりがな
:
しらいわえんてい
常願寺川砂防施設 白岩堰堤
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員数
:
1所
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
昭和
年代
:
昭和14
西暦
:
1939
構造及び形式等
:
本堰堤、副堰堤、床固、方格枠からなる
本堰堤 重力式コンクリート造堰堤、堤長七六・〇メートル、堤高二〇・〇メートル、上流護岸及び導水堤附属
副堰堤 重力式コンクリート造堰堤、堤長三一・五メートル、堤高一〇・〇メートル、石張護岸附属
床固 コンクリート造床固、長さ三七・〇メートル、高さ三三・〇メートル
方格枠 鉄筋コンクリート造方格枠、上端長一六・五メートル、下端長五九・〇メートル、三〇段、土留擁壁附属
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02540
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.06.30(平成21.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(二)技術的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
富山県
所在地
:
富山県富山市有峰字真川谷割18番38・同中新川郡立山町芦峅寺字松尾3番
保管施設の名称
:
所有者名
:
国(国土交通省)
所有者種別
:
国
管理団体・管理責任者名
:
常願寺川砂防施設 白岩堰堤
解説文:
詳細解説
白岩堰堤砂防施設は常願寺川流域における土砂災害を未然に防ぐため,常願寺川水源崩壊地における山腹及び河床の安定化を目的として築かれた砂防施設である。
工事は内務省直轄で行われ,内務技師赤木正雄の計画に基づき建設され,昭和4年10 年に着工,14 年12 月に竣工した。
白岩堰堤砂防施設は,わが国有数の急流荒廃河川である常願寺川の基幹砂防施設の一つとして建設され,今なお富山平野を土砂災害から守り続ける国土保全施設として歴史的に価値が高い。
また,大型機械を駆使した大規模構造物群からなる複合的砂防施設であり,近代砂防施設の一つの技術的到達点を示すものとして重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
常願寺川砂防施設 白岩堰堤
常願寺川砂防施設 白岩堰堤 本堰堤
常願寺川砂防施設 白岩堰堤 副堰堤
常願寺川砂防施設 白岩堰堤 床固
常願寺川砂防施設 白岩堰堤 方格枠
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常願寺川砂防施設 白岩堰堤
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常願寺川砂防施設 白岩堰堤 本堰堤
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常願寺川砂防施設 白岩堰堤 副堰堤
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常願寺川砂防施設 白岩堰堤 床固
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常願寺川砂防施設 白岩堰堤 方格枠
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解説文
白岩堰堤砂防施設は常願寺川流域における土砂災害を未然に防ぐため,常願寺川水源崩壊地における山腹及び河床の安定化を目的として築かれた砂防施設である。 工事は内務省直轄で行われ,内務技師赤木正雄の計画に基づき建設され,昭和4年10 年に着工,14 年12 月に竣工した。 白岩堰堤砂防施設は,わが国有数の急流荒廃河川である常願寺川の基幹砂防施設の一つとして建設され,今なお富山平野を土砂災害から守り続ける国土保全施設として歴史的に価値が高い。 また,大型機械を駆使した大規模構造物群からなる複合的砂防施設であり,近代砂防施設の一つの技術的到達点を示すものとして重要である。
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詳細解説
白岩堰堤砂防施設 四所 本堰堤、副堰堤、床固、方格枠 白岩堰堤砂防施設は、立山連峰西面に広がる立山カルデラ内を東西に流れる常願寺川水系湯川に築かれた砂防施設である。 白岩堰堤砂防施設は、常願寺川流域における土砂災害を未然に防ぐため、常願寺川水源崩壊地の土砂扞止と、山腹及び河床の安定化を目的として、内務技師赤木正雄の計画に基づき建設された。工事は、大型機械を用いて内務省直轄により実施され、昭和四年一〇月に着工、同一四年一二月にほぼ全体が竣工した(着工年月は「昭和四年度常願寺川流域工事工務報告」、竣工年月は「昭和十四年度常願寺川流域工事工務報告」(いずれも国土交通省立山砂防事務所所蔵。)による。以下に掲げる工務報告も同様。)建設後は、堤体の嵩上等が行われているが、全体として旧態を保持しながら、常願寺川上流域の基幹砂防施設としての機能を今も果たしている。 白岩堰堤砂防施設は、湯川において岩盤が露出する白岩付近に建設された複合的な砂防施設で、本堰堤、副堰堤、床固及び方格枠よりなる。 本堰堤は、基礎及び右岸側端部で岩着する、堤長七五・〇メートル、堤高二〇・〇メートルの重力式コンクリート造堰堤である(着工は昭和六年五月(「昭和六年度常願寺川流域工事工務報告」による。)、竣工は同一四年一二月(「昭和十四年度常願寺川流域工事工務報告」による。))。越流部は、土石による堤体の損傷を避けるため、表面安山岩谷積とし下流法勾配を二分の急勾配とする一方、非越流部については基礎部分を含めて全高七〇・〇メートルの高堰堤となるため、物部長穂の耐震理論に拠り上流法勾配一・五分、下流法勾配六・四分とし、互いに異なる断面形状をとる。また、非越流部左端から河床内を東南方向に傾走する露岩に沿って、壁体を四段積み重ねた高さ約四〇メートル、折曲り延長一五四・五メートルの護岸を堤体と連続的に築き、越流部と非越流部の境界部分から西方には延長七〇・〇メートルの導水堤を接続する(護岸は昭和四年一〇月着工(「昭和四年度常願寺川流域工事工務報告」による。)、同一二年竣工(「昭和十二年度常願寺川流域工事工務報告」による。)、導水堤は同九年九月着工(「昭和九年度常願寺川流域工事工務報告」による。)、同一〇年五月竣工(「昭和十年度常願寺川流域工事工務報告」による。))。「立山砂防の歴史を語る」(立山砂防工事事務所 『護天涯』 一九七五年)によると、当初の赤木正雄の案では川全体を直線状に横断する堰堤を築き、さらに上流岩盤沿いに護岸を設けることとなっていたが、内務工手柿徳市は白岩の対岸である湯川左岸が火山堆積物層からなる軟弱地盤で堰堤基礎として不適当であると判断し、堰堤と連続的に護岸を築き、護岸の背面を盛土することで護岸の安定を図るよう計画を変更したという。 副堰堤は、内務省直轄事業に先立ち富山県が建設した湯川第一号堰堤の一部を利用してつくられたもので、基礎及び右岸側端部で岩着し、左岸側で導水堤に取付く。堤長三〇・三メートル、堤高一一・五メートルの重力式コンクリート造堰堤で、上流法勾配五分、下流法勾配一・五分、表面安山岩布積とし、導水堤に沿って石張護岸を設ける。なお、大正五年八月一四日付富山新聞によると、湯川第一号堰堤は同五年一〇月頃の竣工とされ、建設には富山県土木技手間崎則質が関与している。 床固は、副堰堤の根固として副堰堤より約二四メートル下流の断崖に築かれた、長さ三七・〇メートル、高さ三三・〇メートルのコンクリート造構造物で、上流法勾配三分、下流法勾配二分とする(着工は昭和一二年(「昭和十二年度常願寺川流域工事工務報告」による。)、竣工は同一四年(「昭和十四年度常願寺川流域工事工務報告」による。))。 方格枠は、本堰堤護岸裏埋工の法面を保護するために、プレキャストコンクリートの角材を八層積み上げ内部に石を積めた枠組を、階段状に三〇段積み上げたもので、下端には裏埋工の根固として土留擁壁を築く。 白岩堰堤砂防施設は、わが国有数の急流荒廃河川である常願寺川の基幹砂防施設の一つとして建設され、今なお富山平野を土砂災害から守り続ける国土保全施設として、歴史的に価値が高い。また、耐震性を考慮した複断面構造の高堰堤、堰堤と連続的に築いた長大な護岸、プレキャストコンクリートの角材を重畳して築いた大規模な方格枠等、大型機械を駆使した特殊な大規模構造物群の建設により、過酷な自然条件を克服した複合的砂防施設であり、近代砂防施設の一つの技術的到達点を示すものとして重要である。 【参考文献】 『日本砂防史』(社団法人全国治水砂防協会 一九八一年) 『日本の近代土木遺産[改訂版]』(土木学会 二〇〇五年)