国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
高室家住宅(山梨県甲府市高室町)
ふりがな
:
たかむろけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
高室家住宅 主屋
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸後期
年代
:
天明8/明治3改修
西暦
:
1788/1870
構造及び形式等
:
桁行18.4メートル、梁間9.1メートル、入母屋造、茅葺(鉄板仮葺)、北面庇付、西面渡廊下附属、鉄板葺、南面玄関 桁行3.7メートル、梁間2.7メートル、入母屋造、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02564
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2010.12.24(平成22.12.24)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
山梨県甲府市高室町字金山754番1
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
甲府市
高室家住宅 主屋
解説文:
詳細解説
高室家住宅は甲府盆地の中央部に所在する旧家で、代々医薬業を生業とし、江戸時代後期には甲府におかれた幕府の役所の医家を務めた。
主屋は、天明8年(1788)に建てられた入母屋造、茅葺の建物で、薬を調合するための調合所や薬草を乾燥させるための屋根裏部屋を設け、医薬業に由来する特徴をみることができる。
高室家住宅は、江戸時代における医家の施設を現在に伝える希少な遺構であるとともに、屋敷構えは、当地方の伝統的な住宅の構成をよく伝えており、貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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高室家住宅 主屋
高室家住宅 主屋(内部: 調合所)
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高室家住宅 主屋
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高室家住宅 主屋(内部: 調合所)
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解説文
高室家住宅は甲府盆地の中央部に所在する旧家で、代々医薬業を生業とし、江戸時代後期には甲府におかれた幕府の役所の医家を務めた。 主屋は、天明8年(1788)に建てられた入母屋造、茅葺の建物で、薬を調合するための調合所や薬草を乾燥させるための屋根裏部屋を設け、医薬業に由来する特徴をみることができる。 高室家住宅は、江戸時代における医家の施設を現在に伝える希少な遺構であるとともに、屋敷構えは、当地方の伝統的な住宅の構成をよく伝えており、貴重である。
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詳細解説
高室家住宅(山梨県甲府市高室町) 九棟 主屋、離れ、長屋門、文庫蔵、新蔵、前蔵、籾蔵、味噌蔵、弁財天堂、土地 高室家住宅は、甲府盆地の中央低部、甲府市街の南郊に所在する 。 高室家は享禄四年(一五三一)に甲斐国守護の武田氏から当地を与えられたと伝えられる家柄で、江戸時代初期以降は医業および製薬業を家業とし、享保九年(一七二四)に甲府藩が廃藩、天領となったのちに士分格を与えられ、藩に代わって置かれた甲府勤番の医家を務めた。 高室家住宅は、約五、〇〇〇平方メートルにおよぶ広大な屋敷地に、主屋を中心として各建物を配する。敷地の南側に街路から奥まって長屋門を開き、敷地の中央に主屋を南面して建てる。主屋の西側に渡廊下で連絡する離れを建て、また背面西側には下屋を介して文庫蔵と新蔵を建てる。長屋門と主屋の間は前庭として、離れの南面の庭園と塀で画する。前庭の東側には前蔵と糠蔵及び納屋を配し、主屋と糠蔵及び納屋の間に敷地の表裏を画する塀を建て、中門を開く。主屋背面の裏庭には籾蔵と味噌蔵、弁財天堂を配する。 高室家住宅のうち、主屋、離れ、文庫蔵、新蔵、長屋門、前蔵、糠蔵、籾蔵、味噌蔵、弁財天堂は、平成一七年五月に山梨県指定有形文化財(有建第六七号)に指定されている。 主屋は、天明八年(一七八八)の建築で、玄関を明治三年に増築した。桁行一八・四メートル、梁間九・一メートル、入母屋造茅葺(鉄板仮葺)で、棟の中央に煙出を設ける。正面の中央西寄りに突出する玄関は、入母屋造桟瓦葺とする。平面は東半を土間、西半を床上部として、土間から順に正面側に調合所、ゲンカンノマ、ショイン、背面側にオカッテ、イマ、ナンドを並べ、調合所とオカッテの間にジョチュウベヤを配する。調合所には薬箪笥を造付け、薬草を乾燥させるためのつし二階をつくるなど、医家の特徴的な設えを残す。 離れは、建築年代が明らかではないが、安政二年(一八五五)に現状のように改修されたことが知られる。桁行七・八メートル、梁間三・六メートル、入母屋造鉄板葺で、北面を除く三面に濡縁を廻す。庭園に面した南面の妻は、懸魚や狐格子などを用いて、装飾豊かに設える。平面は二間続きの座敷からなり、紙貼の打上天井とし、北の座敷に床や棚、花頭形をあしらった付書院を構えるなど凝った意匠とする。 長屋門は、文久三年(一八六三)の建築で、桁行一九・一メートル、梁間三・六メートル、切妻造桟瓦葺、中央西寄りに通り口を設け、両開の門扉を開く。通り口の東側にオトコベヤとモノオキ、西側にケイコベヤを配し、オトコベヤとモノオキは北面、ケイコベヤは東面に出入口を開く。 文庫蔵は、明治四一年の建築で、桁行六・九メートル、梁間三・八メートル、土蔵造二階建、切妻造桟瓦葺、一階北面に幅半間の下屋を出す。一階を二部屋に区画し、東妻と南面西半にそれぞれの部屋への出入口を設け、両開扉を吊る。また東面と南面の外壁に庇を差し掛けてオダレと称する部屋として、主屋と接続する。 新蔵は、明治一○年建築の蔵座敷で、桁行五・五メートル、梁間四・五メートル、土蔵造二階建、切妻造桟瓦葺で、南妻に蔵前を付し、出入口に両開扉を吊る。内外ともに簡素ながらも丁寧に仕上げる。 前蔵は、明治二○年の建築で、桁行七・三メートル、梁間四・五メートル、土蔵造二階建、切妻造桟瓦葺である。西面に出入口を開いて両開扉を吊り、西面全体に庇を付ける。 味噌蔵は、明治二四年の建築で、桁行六・七メートル、梁間三・六メートル、土蔵造、切妻造桟瓦葺である。南半を味噌蔵とし、北半を炭蔵に当てて、東面にそれぞれの出入口を開く。 籾蔵は、安政四年の建築で、桁行九・一メートル、梁間四・五メートル、土蔵造二階建、切妻造鉄板葺である。東西に二室を配し、南面にそれぞれの出入口を開く。 弁財天堂は、明治四一年の建築で、桁行一・八メートル、梁間二・四メートル、入母屋造桟瓦葺、東妻に扉口を開く。正面の内法貫は虹梁風の彫刻を施して蟇股を備え、両端に木鼻を取り付ける。また妻飾に懸魚と狐格子を用いる。 糠蔵及び納屋は、桁行七・〇メートル、梁間一・九メートル、切妻造桟瓦葺の糠蔵と、その北面に柱筋を揃えて取り付く、桁行九・一メートル、梁間一・九メートル、切妻造桟瓦葺の納屋からなる。糠蔵は、南半を糠蔵、北半を外便所として、西面にそれぞれの出入口を設ける。納屋は、東面を吹き放しとする。 中門は、間口二・一メートル、桟瓦葺の腕木門である。 高室家住宅の主屋は、当地方に一般的な農家の住宅形式の中に医薬業に由来する建築的特徴をよく残しており、近世における医家の施設を現在に伝える希少な例として貴重である。また江戸時代を中心として明治時代までに整えられた屋敷構えには、接客や祭祀など往時の暮らしと密接に関連する建造物が、中世まで遡るとみられる敷地割とともに良好に残されており、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『高室家住宅調査報告書』(甲府市教育委員会 平成二一年)
関連情報
附指定
糠蔵及び納屋
中門
清風館記
家相図
関連情報
附指定
附名称
:
糠蔵及び納屋
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
中門
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
清風館記
附員数
:
1冊
関連情報
附指定
附名称
:
家相図
附員数
:
3枚