国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
明治神宮宝物殿
ふりがな
:
めいじじんぐうほうもつでん
棟名
:
中倉
棟名ふりがな
:
ちゅうそう
明治神宮宝物殿 中倉
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員数
:
1棟
種別
:
近代/文化施設
時代
:
大正
年代
:
大正10年
西暦
:
1921
構造及び形式等
:
鉄筋コンクリート造、建築面積423.55平方メートル、切妻造、瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02571
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.06.20(平成23.06.20)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(二)技術的に優秀なもの
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都渋谷区代々木神園町1番1号
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
明治神宮宝物殿 中倉
解説文:
詳細解説
明治神宮宝物殿は境内の北辺に位置し、明治天皇ゆかりの御物を収蔵・展示するための施設として明治神宮造営局の大江新太郎が設計を行い、大正10年に竣工した。
展示施設の中倉を中心として各建物を左右対称に配置した構成で、中心建物を高床とし、校倉(あぜくら)造や寝殿造づくり)などを基調とした独特の和風意匠でまとめている。また耐震・耐火のため建物全体を鉄筋コンクリート造とし、中倉では東西30m、南北15mの大空間をつくり出している。
明治神宮宝物殿は、わが国の伝統的な建築様式を集成し、力強い造形表現を実現しており、高い価値が認められる。また、建物全体を鉄筋コンクリート造とした和風意匠の建築物ではわが国最初期のものであり、建築技術史上においても重要である。
関連情報
(情報の有無)
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添付ファイル
なし
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明治神宮宝物殿 中倉
明治神宮宝物殿 中倉内部
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明治神宮宝物殿 中倉
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明治神宮宝物殿 中倉内部
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解説文
明治神宮宝物殿は境内の北辺に位置し、明治天皇ゆかりの御物を収蔵・展示するための施設として明治神宮造営局の大江新太郎が設計を行い、大正10年に竣工した。 展示施設の中倉を中心として各建物を左右対称に配置した構成で、中心建物を高床とし、校倉(あぜくら)造や寝殿造づくり)などを基調とした独特の和風意匠でまとめている。また耐震・耐火のため建物全体を鉄筋コンクリート造とし、中倉では東西30m、南北15mの大空間をつくり出している。 明治神宮宝物殿は、わが国の伝統的な建築様式を集成し、力強い造形表現を実現しており、高い価値が認められる。また、建物全体を鉄筋コンクリート造とした和風意匠の建築物ではわが国最初期のものであり、建築技術史上においても重要である。
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詳細解説
明治神宮宝物殿 一三棟 中倉、東西倉(二棟)、東西廊(二棟)、東西橋廊(二棟)、東西渡廊(二棟)、北廊、車寄、事務所、正門 明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祭る神社として計画されたもので、内務省に設置された明治神宮造営局により、大正四年から同九年にかけて造営された。明治神宮宝物殿は、明治天皇ゆかりの御物を収蔵し、拝観に供するための施設で、境内の北辺西寄りに位置する。 明治神宮宝物殿の建設は明治神宮の創建と一体的に計画されたもので、設計案は設計競技として公募されたが、実施計画は設計競技の当選案を採用せず、明治神宮造営局によって立案された。担当技師は大江新太郎と志知勇次で、工事は長崎橋本組の施工により大正七年八月に始まり、同一○年一○月末日に竣工した。大江は、明治三七年に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業、内務省に入り日光社寺大修繕工事などを担当した後、明治神宮造営局技師となり、明治神宮宝物殿では、伊東忠太、佐野利器の指導のもと、全体計画と基本設計を手がけた。志知は、大正五年に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、明治神宮造営局技師となり、明治神宮宝物殿では工事の主任・監督を務めた。 明治神宮宝物殿は、約三、〇〇〇坪の敷地の中央に中倉が南面して建ち、その側面から東橋廊・西橋廊、東廊・西廊が鉤の手に連なって前方に延びる。敷地の東西には東倉・西倉が中倉を挟んで建ち、東渡廊・西渡廊を介して東橋廊・西橋廊に接続する。中倉の背面に軸線を合わせて事務所を配し、車寄、北廊を介して中倉に接続する。敷地の境界は土塁を廻して限り、正面中央に正門を開き、東西面にそれぞれ掖門、通用門を開く。北面中央は事務所で限る。 明治神宮宝物殿の建物は、平成一五年度に東京都景観条例の都選定歴史的建造物に選定されている。 中倉は明治神宮宝物殿の中心となる単層高床の展示施設で、鉄筋コンクリート造、建築面積四二三・五五平方メートル、切妻造、瓦葺である。四面の中央に出入口を設け、正面に階(きざはし)を付し、側背面にそれぞれ廊を接続する。正面に六窓、背面に四窓、欄間付きの縦長窓を穿ち、スチールサッシのガラス窓を取付け、内側に鉄製防火戸を付す。出入口は正側面にアルミサッシのガラス戸、背面に腰唐戸を取付け、正面はその内側、両側面はその外側に防火用の鉄製折戸を付す。 外部は、花崗岩(万成石)で化粧した校倉風の意匠とし、床下の束柱上の組物と床梁を色石粉塗で仕上げる。階には高欄を付し、青銅製の架木と擬宝珠を備える。屋根は、束柱と壁体、登梁を一体化した鉄筋コンクリート造の山形ラーメン架構を主体として、これに架け渡した母屋桁と片持梁によって支持される。軒まわりは木造風に造り出す。鉄骨下地の銅板包み仕上げで、二軒半繁垂木とし、破風に飾金具を打つ。 内部は、東西二九・一メートル、南北一四・六メートルの無柱の大空間で、床、壁、天井各面の諸造作を木造で仕上げ、天井はヴォールトの格天井として格間に唐紙を貼る。収蔵品の展示用として木製の陳列箱八基と御馬車(ぎよばしや)専用の金属製の陳列箱一基、覗き型展示ケース一三基を備え、床面には乾燥用電熱器四基を設ける。 東倉・西倉は、各々単層高床の収蔵施設で、鉄筋コンクリート造、建築面積九三・一七平方メートル、切妻造、瓦葺である。東倉は西面、西倉は東面を正面として、それぞれ南寄りに出入口を開き、渡廊に接続する。正面に二窓、背面に四窓の縦長窓を穿ち、スチールサッシのガラス窓を取付け、内側に鉄製防火戸を付す。出入口は板戸を取付け、外側に鉄製防火戸を付す。意匠、構造とも中倉に準じた仕様で、軒は二軒疎(まばら)垂木(だるき)、破風と懸魚は木造の銅板包み仕上げとする。内部は床、壁、天井各面を板張とし、床面には乾燥用電熱器一基を設ける。 東廊・西廊は、各々中倉の玄関を兼ねた歩廊で、鉄筋コンクリート造、建築面積一一四・八四平方メートル、入母屋造、瓦葺である。寝殿造の中門廊を連想させる構成になり、桁行中央を五間等間の吹放ちとし、両端部を袴腰の壁面で閉塞する。このうち南端は携帯品預所として北面中央に桟唐戸の出入口を開き、北端は東橋廊・西橋廊に連なる階段室として、南面に鉄製格子戸の出入口を開く。外部は、柱と壁面を万成石で化粧し、組物と梁桁を色石粉塗で仕上げる。床面は花崗岩(稲田(いなだ)石(いし))を用いた石敷とする。梁上は化粧屋根裏、軒は一軒疎垂木、破風と懸魚は木造銅板包み仕上げとする。 東橋廊・西橋廊は、各々東廊・西廊と中倉を繋ぐ高床の歩廊で、鉄筋コンクリート造、建築面積一三〇・二九平方メートル、切妻造、瓦葺、南面端部に切妻造の角屋を出して東廊・西廊と接続する階段室を設ける。中倉寄りを三間等間の吹放ちとし、角屋を含む東倉・西倉寄りを城郭の櫓風の外観として、床上を大壁、床下を袴腰の壁面で閉塞し、床下に監守人控室を設ける。外部は東廊・西廊に準じた仕様とし、床面はタイル敷、壁面は漆喰塗で仕上げる。また床上の四周には高欄を巡らし、青銅製の架木と擬宝珠を備える。 東渡廊・西渡廊は各々東橋廊・西橋廊と東倉・西倉を結ぶ桁橋で、橋長一〇・三メートル、幅員二・一メートルである。三基の橋脚を万成石による石造、床と高欄を鉄筋コンクリート造とし、高欄を色石粉塗、床をタイル張とする。 北廊は中倉と車寄を繋ぐ高床の歩廊で、鉄筋コンクリート造、建築面積二六・九五平方メートル、切妻造、銅板葺である。北半を中倉より一段低い床高の橋廊、南半を中倉へ上がる階段とし、南端部の平面を丁字形に広げて踊り場を設ける。北面には車寄に設けた階段室が接続し、貴賓用の廊下を構成する。外部は、床上を漆喰塗、中倉との取付部分の外壁と床下の束柱を万成石で化粧し、軒は一軒疎垂木である。内部の天井は化粧屋根裏とし、腰壁と床を板張、壁と天井を漆喰塗で仕上げる。 車寄は事務所の玄関と中倉の貴賓用の玄関を兼ねた建物で、鉄筋コンクリート造、建築面積一○三・四七平方メートルである。屋根は変形の切妻造、銅板葺で、東西中央にそれぞれ軒唐破風を付す。車寄が中央部を東西に貫通し、南北にそれぞれ三部屋を設ける。南面中央を北廊の階段室、北面中央を事務所の玄関とし、階段室の左右に供待、玄関の左右に貴賓便所と守衛室を配する。 外部は、腰壁と車寄の床を稲田石張とし、車寄の壁面に万成石の付柱を配し、柱上を色石粉塗の組物と梁桁で飾る。天井は化粧屋根裏で、壁とともに漆喰塗で仕上げる。軒まわりは北廊に準じた仕様とし、要所に飾金具を打つ。内部は、玄関の床と腰壁を板張、貴賓便所の床と腰壁を石張とする。供待はモルタル叩きの土間で炉を切り、腰壁を板張とする。 事務所は本館と二棟の附属屋、渡廊下の各棟からなり、鉄筋コンクリート造、建築面積三二八・三七平方メートルである。本館は入母屋造、銅板葺、正面中央に車寄を接続して千鳥破風を付し、背面中央に切妻造の棟が突出する。中央正面に広間、突出部に貴賓室を設け、広間の左右に廊下を延ばし、その北側に事務室を配する。本館の左右対称に建つ附属屋は、入母屋造、銅板葺、東の棟に湯沸室、西の棟に修理室を設ける。本館と附属屋を繋ぐ渡廊下は両下造、銅板葺、背面に下屋を出して便所と物置を設ける。 外部は、腰壁稲田石張の漆喰塗で、軒は一軒疎垂木である。内部は、腰壁板張、天井、壁とも漆喰塗で、天井の一部を鋼板ラスコンクリートの化粧屋根裏とする。床はリノリウム張で、湯沸室をモルタル叩きの土間とし、貴賓室には絨毯を敷く。 正門は長屋門風の単層門で、鉄筋コンクリート造、建築面積八七・一四平方メートル、切妻造、瓦葺である。桁行中央三間を吹放ち、中央間に両開の鉄扉、左右にそれぞれ片開の鉄扉を付す。両端部は袴腰の壁面で閉塞し、正面に拝観券交付所、背面に物置の二部屋を設ける。外部は東廊・西廊に準じた仕様とし、正背面の柱上組物を青銅製の彫刻で飾る。内部は、物置の床と腰壁をタイル張、拝観券交付所の床と腰壁を板張とし、壁、天井とも漆喰塗で仕上げる。 土塁は、東西各延長一五〇・三メートル、内側を花崗岩(山梨県塩山産)の石積、外側を盛土とし、正面の東西両端に拝観者用の便所を設け、上部に植樹を施す。東掖門・西掖門と東通用門・西通用門は、いずれも土塁を切り欠いて設けた簡易な門で、稲田石製の門柱に木製の門扉を付す。 明治神宮宝物殿は、我が国の伝統的な建築様式を集成した独特の意匠を、鉄筋コンクリートを中心とした当時最新の建築技術を用いてまとめ上げた力強い造形表現になり、和風意匠の新たな可能性を示した建築として高い価値を有する。また、我が国最初期に属する鉄筋コンクリート造の大規模建築物で、架構を含む構造全体に鉄筋コンクリートを採用した和風意匠の建築物としては我が国最初のものであり、建築技術史上においても重要である。 【参考文献】 『明治神宮宝物殿改修工事報告書』(明治神宮社務所 一九八六年) 『明治聖徳記念学会紀要』「明治神宮の建築(上)(下)」(藤岡洋保 二〇〇一年) 『東京都の近代和風建築』(東京都教育委員会 二〇〇九年)
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土塁
陳列箱
鬼瓦
関連情報
附指定
附名称
:
土塁
附員数
:
2所
関連情報
附指定
附名称
:
陳列箱
附員数
:
8基
関連情報
附指定
附名称
:
鬼瓦
附員数
:
1個