国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設
ふりがな
:
きゅうさせぼむせんでんしんじょしせつ
棟名
:
無線塔
棟名ふりがな
:
むせんとう
旧佐世保無線電信所施設 全景
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員数
:
3基
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
大正
年代
:
大正11年
西暦
:
1922
構造及び形式等
:
1号無線塔、2号無線塔、3号無線塔の3基よりなる 各鉄筋コンクリート造、建築面積102.56㎡、
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02593
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.03.06(平成25.03.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(二)技術的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
長崎県
所在地
:
長崎県佐世保市針尾中町382番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
国(文部科学省)
所有者種別
:
国
管理団体・管理責任者名
:
佐世保市
旧佐世保無線電信所施設 全景
解説文:
詳細解説
旧佐世保無線電信所は、佐世保市南部の針尾島に所在する海軍が建設した長波無線通信施設で大正11年に竣工した。三基の無線塔を一辺300mの正三角形の頂点に配置し、その中心に通信局舎である電信室を配置する。設計は佐世保鎮守府建築科により、工事監督を吉田直(のぶる)が担当した。
無線塔は、円形平面の鉄筋コンクリート造の塔で、基部の直径12.1m、高さ136mを測る。きわめて精巧な施工のコンクリート打放し仕上げとし、大正期におけるわが国のコンクリート技術の高さを伝える。電信室は半地下式の建物で、正面と背面を石張で仕上げ、内部には通信業務を担う発電機室や送受信機室などが設けられる。
旧佐世保無線電信所施設は、わが国現存唯一の長波無線通信施設として、高い歴史的価値が認められる。また、大正時代におけるわが国最高水準のコンクリート技術を示すものとして、土木技術史上においても重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
旧佐世保無線電信所施設 全景
旧佐世保無線電信所施設 全景
旧佐世保無線電信所施設 三号無線塔 外観
旧佐世保無線電信所施設 三号無線塔 外観見上げ
旧佐世保無線電信所施設 無線塔内部見上げ
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旧佐世保無線電信所施設 全景
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旧佐世保無線電信所施設 全景
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旧佐世保無線電信所施設 三号無線塔 外観
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旧佐世保無線電信所施設 三号無線塔 外観見上げ
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旧佐世保無線電信所施設 無線塔内部見上げ
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解説文
旧佐世保無線電信所は、佐世保市南部の針尾島に所在する海軍が建設した長波無線通信施設で大正11年に竣工した。三基の無線塔を一辺300mの正三角形の頂点に配置し、その中心に通信局舎である電信室を配置する。設計は佐世保鎮守府建築科により、工事監督を吉田直(のぶる)が担当した。 無線塔は、円形平面の鉄筋コンクリート造の塔で、基部の直径12.1m、高さ136mを測る。きわめて精巧な施工のコンクリート打放し仕上げとし、大正期におけるわが国のコンクリート技術の高さを伝える。電信室は半地下式の建物で、正面と背面を石張で仕上げ、内部には通信業務を担う発電機室や送受信機室などが設けられる。 旧佐世保無線電信所施設は、わが国現存唯一の長波無線通信施設として、高い歴史的価値が認められる。また、大正時代におけるわが国最高水準のコンクリート技術を示すものとして、土木技術史上においても重要である。
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詳細解説
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設 三基、二棟 無線塔(三基)、電信室、油庫、土地 旧佐世保無線電信所施設は、佐世保市の南部、佐世保湾と大村湾を隔てる針尾島に所在する。海軍が無線通信の需要の増大に対応するため、日本周辺の通信網の基幹施設として設置した長波無線電信所のひとつであり、大正七年十一月に着工、同十一年十一月に竣工した。設計監督は佐世保海軍経理部建築⑶、担当技師は吉田直(のぶる)であり、基本設計には真島(ましま)健三郎(けんざぶろう)が関与した。 吉田直(一八八四~一九五五)は、明治四十一年東北帝国大学農科大学土木学部卒業。海軍省に任官し、主に佐世保鎮守府に技師として勤務した後、横須賀海軍建築部長、海軍省建築局長を歴任した。真島健三郎(一八七三~一九四一)は、明治二十九年札幌農学校工学科卒業。明治三十一年に海軍省に任官し、佐世保鎮守府の技師として、コンクリート造建造物の実用化に尽力した。海軍建築本部第一部長兼第二部長、海軍省建築局長を歴任した。 敷地は島南部の比較的平坦な高台で、一辺三百メートルの正三角形の頂点に三基の無線塔を配置し、その中心に電信室を南面して建てる。三基の無線塔は同型、同規模で、安定した地盤が得られる丘陵上に建ち、竣工の順に電信室からみて北西の無線塔を一号、北東の無線塔を二号、南の無線塔を三号と称する。一方、電信室は保安上有利な丘陵間の窪地に立地し、自然地形を巧みに利用した配置計画がうかがえる。このほか、電信室の西側にある現在の針尾送信所正門の前に油庫、三号無線塔の西側に見張所が建つ。 無線塔は、それぞれ円形平面の塔で、鉄筋コンクリート造、建築面積一〇二・五六平方メートル、電信室に向かう方向に半円アーチ形の出入口を突出し、両開きの鉄扉を備える。総高一三五・七メートル、基部の直径一一・四メートル、頂部の直径二・八メートルで、壁厚は基部で七六・二センチメートル、頂部で二二・八センチメートルを測る。コンクリート打放し仕上げとして、表面に高さ一三六センチメートルの型枠の痕跡を明瞭に残し、一○○段の型枠をもって塔体を施工したことが知られる。内部には、塔頂間に電線を張るための巻揚機(ウィンチ)や緩衝装置、昇降用の鉄製梯子などが設置される。また、高さ一二メートルから一三メートルの間隔で井桁に組んだ鉄骨梁を架け渡すとともに、梁のやや上に、通気と明かり取りを兼ねた小窓を四方向に穿つ。 電信室は、無線電信所施設の中核をなす通信局舎にあたる建物で、鉄筋コンクリート造、建築面積七七八・八四平方メートルである。地面を掘り下げて三連アーチ構造からなる躯体を建て込んだ半地下式の堅牢なつくりとし、側背面の外壁を乱石積風の石張とする。内部の壁と天井は基本的に白ペンキ塗で仕上げ、屋上の中央には電線の引込み口を設ける。 内部は、三連アーチ構造によって東、中、西の三区画に大きく分かれ、このうち西と中の二区画には中間に床を張り、二層とする。中の区画の一階は、廊下を十字に通して四部屋に区分し、工業室、油倉庫、硫酸倉庫、各科倉庫を設け、硫酸倉庫の壁と天井には煉瓦を張る。二階は二次電池室とし、天井に煉瓦を張る。西の区画は、一階に整流器室、二階に送受信室と送信機室、事務室を設け、一、二階を吹抜けとする東の区画には機械室を設ける。機械室には建設時に据付けられた天井走行クレーン(大正三年 起重機製造株式会社製)が残る。硫酸倉庫を除く一階の各部屋と、二階の二次電池室の正面にそれぞれ出入口を開くほか、機械室の背面に出入口を開き、二階各部屋の正側面に縦長窓を穿つ。 油庫は、燃料を保管するための建物で、建築面積一六・八八平方メートル、鉄筋コンクリート造、平屋建、切妻造、スレート葺である。外壁を乱石積風の石張とし、東面に妻入で出入口を開くほか、両側面にも腰高の出入口を設け、それぞれ両開きの鉄扉を備える。 見張所は、傘形を呈する四阿(あずまや)風の建物で、鉄筋コンクリート造、傘部の直径四メートル、総高三メートルを測る。 旧佐世保無線電信所施設は、わが国で最初期に建設された無線通信施設であるとともに、わが国現存唯一の長波通信施設として、高い歴史的価値を有する。また、大正時代におけるわが国最高水準のコンクリート技術を示すものとして、土木技術史上も意義が認められる。無線塔と電信室を含む無線電信所施設の中核部分は、長波通信施設の姿が良好に維持されており、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『長崎県の近代化遺産』(長崎県教育委員会 一九九八年) 『旧日本海軍針尾送信所学術調査報告書』(佐世保市教育委員会 二〇一一年)
関連情報
附指定
見張所
関連情報
附指定
附名称
:
見張所
附員数
:
1基