国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
有近家住宅
ふりがな
:
ありちかけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
おもや
有近家住宅 主屋 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
明治
年代
:
大正13年曳屋完成
西暦
:
1924曳屋完成
構造及び形式等
:
木造、建築面積460.75㎡、一部二階建、入母屋造及び寄棟造、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02590
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2012.12.28(平成24.12.28)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
山口県
所在地
:
山口県山口市徳地八坂971番地、同972番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
有近家住宅 主屋 外観
解説文:
詳細解説
有近家住宅は、山口市東部の徳地八坂に所在し、防府から津和野にぬける街道に面して敷地を構える。江戸時代から酒造業を営むとともに、明治時代には周辺の農地や山林を所有する当地方有数の地主となった。
主屋は明治25年に街道に面して建てたものを大正13年に曳屋して現在地に移したと考えられ、曳屋にあわせて玄関や応接室、隠居屋などが増築され、現在の屋敷構えが整えられた。さらに昭和8年には防府の毛利本邸にならったとみられる秀麗なつくりの表座敷が増築された。
有近家住宅は、建物の構成や室内の意匠に近代における発展の過程が認められ、当地方における近代の大規模住宅の展開を示すものとして重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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有近家住宅 主屋 外観
有近家住宅 主屋 表座敷
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有近家住宅 主屋 外観
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有近家住宅 主屋 表座敷
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解説文
有近家住宅は、山口市東部の徳地八坂に所在し、防府から津和野にぬける街道に面して敷地を構える。江戸時代から酒造業を営むとともに、明治時代には周辺の農地や山林を所有する当地方有数の地主となった。 主屋は明治25年に街道に面して建てたものを大正13年に曳屋して現在地に移したと考えられ、曳屋にあわせて玄関や応接室、隠居屋などが増築され、現在の屋敷構えが整えられた。さらに昭和8年には防府の毛利本邸にならったとみられる秀麗なつくりの表座敷が増築された。 有近家住宅は、建物の構成や室内の意匠に近代における発展の過程が認められ、当地方における近代の大規模住宅の展開を示すものとして重要である。
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詳細解説
有近家住宅 七棟 主屋、米蔵、長屋、漬物小屋、正門、仕込蔵及び留蔵、瓶洗場、土地 附 戸棚板戸(主屋附) 二枚、棟札(長屋附) 一枚、棟札(仕込蔵及び留蔵附) 二枚、棟札(瓶洗場附) 一枚 有近家住宅は、防府から津和野に抜ける街道沿いに形成された徳地八坂の集落中心部に所在し、街道の西側に間口三三メートル、奥行五〇メートルの宅地を構える。有近家は当地に居を構えて四代目と伝え、古屋の屋号で酒造業を営み、明治時代には周辺の田畑や山林を多く有する当地方有数の地主となった。 宅地の中央に主屋が東面して建ち、南辺に正面から米蔵、漬物小屋、長屋の三棟が並んで建つ。宅地の正面と背面を塀で限り、正面北側に庭園を築き、正面南寄りに正門を開く。このほか、住宅の北隣に構えた醸造場に仕込蔵及び留蔵と瓶洗場の二棟が残る。 主屋は、明治時代中頃に街道沿いに建てたものを大正時代に曳屋して現在地に移したと伝わり、墨書などから明治二十五年の建築、大正十三年の曳屋と考えられる。曳屋に際して玄関及び応接室、隠居屋、風呂場が増築されたほか、昭和八年に表座敷が増築された。 木造、二階建、入母屋造、桟瓦葺の主体部以外は平屋建で、主体部正面の南隅に玄関及び応接室、北隅に表座敷、背面の南隅に風呂場、北隅に隠居屋が接続し、建築面積は四六〇・七五平方メートルに及ぶ。 主体部の平面は、南端に東から内玄関と台所、六畳間の三室を並べ、その北側に居室を三列三室に配し、正面に座敷を配する。江戸時代後期に庄屋層の住宅に普及した六間取型の平面に通じ、曳屋前は南端の一列が土間であったと考えられる。 東北西の三面に廊下をめぐらし周囲の隠居屋や風呂場をつなぐ。二階は北半の正面に六畳の仏間と八畳の神前の二室、背面に居室三室と階段室を配する。南半は床を低くした板間とし、物置とする。 玄関及び応接室は、北半を玄関として正面に入母屋造妻入の屋根を突出し、南半に洋間の応接室を設ける。応接室は、床を寄木張、壁を布張、小壁より上を漆喰塗とし、天井縁にモールディング、天井の照明吊元にメダリオンを造出すなど、簡潔ながら丁寧なつくりになる。 表座敷は、次ノ間と客間の二室からなり、庭園に面した南面から東面にかけて畳縁をまわし、西北隅に茶室と便所を附属する。客間にトコとトコ脇、附書院を構えた本格的な座敷で、畳ドコとし、トコ脇に天袋と違棚を備える。蟻壁長押をまわして小壁や襖に金雲砂子蒔の壁紙を用い、また吹寄格天井に和風シャンデリアを吊るなど、良材をふんだんに用いた上質なつくりになる。 米蔵は、宅地の正面南隅に西面して建つ妻入の土蔵で、明治時代中期の建築とみられる。木造、建築面積三五・六六平方メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺である。 長屋は、宅地の背面南隅に北面して建つ桁行十間の東西棟で、昭和四年の建築である。当初は東半を納屋、西半を牛小屋として使用した。木造、建築面積九四・四二平方メートル、平屋建、切妻造、桟瓦葺で、四周に下屋をまわし、南面と北面を吹放す。このほか、北面西端に平屋建、切妻造、桟瓦葺の犬小屋及び鶏小屋が突出する。 漬物小屋は、長屋の東隣に北面して建ち、長屋と同時期の建築とみられる。木造、建築面積二四・七八平方メートル、平屋建、入母屋造、桟瓦葺で、東側面に便所が附属する。 正門は、門柱のみの簡易な形式で、大正十三年頃の建築とみられる。コンクリート造、門柱間二・九メートルで、擬石塗の仕上げとする。 仕込蔵及び留蔵は、醸造場の敷地最奥に東面して建つ桁行十九間半に及ぶ長大な酒造蔵で、大正十二年の建築である。土蔵造、二階建、寄棟造、桟瓦葺の仕込蔵の正面北側に土蔵造、平屋建、切妻造、桟瓦葺の留蔵が接続する。仕込蔵の正面全面に鉄板葺の下屋をつけて南面に突出部を設け、建築面積は九二三・七七平方メートルに及ぶ。 仕込蔵の平面は、大きく南北の二室に分かれ、南半を仕込、北半を留蔵と一体で貯蔵の場所に使用した。このほか仕込蔵の南端の一画に休憩室、北端に酒母室、留蔵の東端に瓶詰室を設け、下屋に釜場、会所、麹室の各室、突出部に検査室及び分析室を設ける。基本的に伝統的な構法によるが、仕込蔵の小屋組をトラスとし、検査室と分析室を洋風意匠でまとめるなど、近代の手法を取入れる。 瓶洗場は、仕込蔵及び留蔵の前方に北面して建ち、昭和十一年の建築である。木造、建築面積八八・一四平方メートル、平屋建、東面切妻造、西面入母屋造、桟瓦葺で、正面東側に煙出しをもつ釜屋を突出する。 有近家住宅は、伝統的な民家建築の系譜を引きながら、各建物の構成や室内の意匠に近代における発展の過程が認められ、地方における近代の大規模住宅の展開を示すものとして高い価値を有する。また、山口県における近代地主の屋敷構えをよく留めており、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】「山口県の近代和風建築」山口県教育委員会、二〇一一年
関連情報
附指定
戸棚板戸
関連情報
附指定
附名称
:
戸棚板戸
附員数
:
2枚