国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧開拓使工業局庁舎
ふりがな
:
きゅうかいたくしこうぎょうきょくちょうしゃ
棟名
:
棟名ふりがな
:
旧開拓使工業局庁舎 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近代/官公庁舎
時代
:
明治
年代
:
明治10年
西暦
:
1877
構造及び形式等
:
木造、建築面積178.48㎡、二階建、寄棟造、こけら葺、玄関ポーチ付
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02594
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.08.07(平成25.08.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
北海道
所在地
:
北海道札幌市厚別区厚別町小野幌
保管施設の名称
:
所有者名
:
北海道
所有者種別
:
都道府県
管理団体・管理責任者名
:
旧開拓使工業局庁舎 外観
解説文:
詳細解説
旧開拓使工業局庁舎は、明治初期の北海道開拓を主導した開拓使工業局の庁舎として、明治10年に札幌市街中心部に建設され、昭和54年に北海道開拓の村に創建時の姿で移築された。工業局営繕課は、米国から輸入した建築雛形書を参照しながら、洋風建築を習得していった。この建物では通り抜けの玄関ホール兼階段室をもつ平面構成や、屋根の棟飾り、ポーチの破風飾り、軒下の持送りなどに、米国建築書を参照したことが確認される。旧開拓使工業局庁舎は、明治初期の北海道開拓を支えた同局工作場の現存唯一の遺構であるとともに、工業局営繕課の設計業務の実態を示す建物として歴史的に高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧開拓使工業局庁舎 外観
旧開拓使工業局庁舎 一階左室内
旧開拓使工業局庁舎 二階室内
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旧開拓使工業局庁舎 外観
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旧開拓使工業局庁舎 一階左室内
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旧開拓使工業局庁舎 二階室内
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解説文
旧開拓使工業局庁舎は、明治初期の北海道開拓を主導した開拓使工業局の庁舎として、明治10年に札幌市街中心部に建設され、昭和54年に北海道開拓の村に創建時の姿で移築された。工業局営繕課は、米国から輸入した建築雛形書を参照しながら、洋風建築を習得していった。この建物では通り抜けの玄関ホール兼階段室をもつ平面構成や、屋根の棟飾り、ポーチの破風飾り、軒下の持送りなどに、米国建築書を参照したことが確認される。旧開拓使工業局庁舎は、明治初期の北海道開拓を支えた同局工作場の現存唯一の遺構であるとともに、工業局営繕課の設計業務の実態を示す建物として歴史的に高い価値が認められる。
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詳細解説
旧開拓使工業局庁舎 一棟 旧開拓使工業局庁舎は、札幌市東郊の野幌森林公園内の北海道開拓の村に所在する。もとは札幌市中央区大通東二丁目にあり、昭和四四年に解体格納され、同五四年に移築復原された。 開拓使は、札幌本府の建設資材供給のため、明治四年に創成川東に貯木場を備えた工作場を設置し、札幌開拓使庁営繕掛が所管した。同掛は明治六年に開拓使工業局に改組し、土木、営繕、勧工の三課を置き、道路、鉄道の建設、官庁営繕、工作場の経営など、北海道の開拓と勧業を主導した。明治六年に札幌本庁舎が竣工すると同庁舎で執務したが、同九年七月に工作場内の詰所が焼失、同年一二月に同局庁舎を工作場に新築することを決定した。翌一〇年四月一四日に着工、六月二三日に竣工し、二五日に移転した。設計は工業局営繕課で、御用掛の安達喜幸が主導したと考えられる。施工は二代中川源左衛門ら八名が請負い、工費は一、五〇〇円であった。 明治一五年の開拓使廃使後、工作場は工部省、農商務省を経て北海道庁に引き継がれ、構内施設は順次民間へ払下げられた。庁舎は明治二二年に札幌偕行社に貸付け、大正八年に札幌在郷軍人団に払下げられた。戦後は札幌彰徳会の所有となり、昭和三三年からは北海道高等電波学校が使用した。この間、昭和八年に南東方に曳家して正面を西から南に変えたほか、各所が改造されていたが、開拓の村での再建に際し、解体時の調査や創建時の設計図書、古写真をもとに創建時の姿に復原された。 庁舎は、木造二階建、寄棟造こけら葺で、正面に切妻屋根の玄関ポーチが付く。建築面積一七八・四八平方メートルである。軸部は、通し柱を基本とし、開口部両脇に柱を立て、柱間に厚板状の間柱を入れ、間柱を欠いて筋交いを入れる。小屋組はキングポスト・トラスである。外壁は隅柱付の下見板張で、胴蛇腹を廻らせ、軒下はパネルで飾り、持送りで軒蛇腹を受ける。窓は上下窓で、窓台の下に縦枠を伸ばし、窓上には一階は三角ペディメント、二階は繰形付の水平雨押えがつく。大棟両端と玄関屋根には木製フィニアルを掲げ、玄関ポーチは円弧形の柱上部持送りとレース模様の破風板で飾る。一階は中央を正面玄関から背面まで通り抜けのホール兼階段室とし、その左右を執務室とする。二階は背面側中央を階段室とするほかは一室の執務室である。床組は大引上に厚板状の根太を立てて使い、二階では根太の間に交叉形の転び止めを打つ。床板は一、二階とも二重張で、下板は斜めに張る。内壁は横板張である。 開拓使は、御雇外国人として教師や技術者を多数雇用したが、建築技術者はいなかった。一方、当時、米国で盛んに刊行された建築雛形書を多数所蔵しており、これらを参照しながら米国風の木造建築を習得していった。現存する工業局旧蔵洋書中の建築関係書籍には、工業局庁舎の平面構成や装飾要素の典拠となった挿図を確認することができる。 旧開拓使工業局庁舎は、明治初期の北海道開拓を支えた工業局工作場の現存唯一の遺構であるとともに、米国建築雛形書を利用しながら寒冷地建築を模索した工業局営繕課の設計業務の実態を示す建物として歴史的価値が高い。 【参考文献】 『旧開拓使工業局庁舎復元修理工事報告書』(北海道開拓記念館 一九九二年) 『明治初期日本政府蒐集舶載建築書の研究』(池上重康 二〇一一年)