国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
思子淵神社
ふりがな
:
しこぶちじんじゃ
棟名
:
本殿
棟名ふりがな
:
ほんでん
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
室町前期
年代
:
室町前期
西暦
:
構造及び形式等
:
一間社流見世棚造、こけら葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
2630
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2015.07.08(平成27.07.08)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
(四)学術的価値の高いもの
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
滋賀県高島市朽木小川
保管施設の名称
:
所有者名
:
思子淵神社
所有者種別
:
神社
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
思子淵神社は,琵琶湖に注ぐ安曇川の支流,針畑川流域の山間部に所在し,筏流しによる木材搬送の守護神とされる思子淵神を祭神とする。覆屋内に中央が本殿,南に蔵王権現社,北に熊野社の三棟が並んでいる。蔵王権現社は板札より応安4年(1371)の建立で,他の二棟も同時期とみられる。いずれも一間社流見世棚造で,部材の大面取,ヤリガンナ仕上げなどの技法に,中世の特徴がみられる。思子淵神社は,室町前期に遡る三棟の社殿を一体的に残す極めて稀な遺構であり,我が国の中世神社建築において重要である。安曇川流域において,独自の発展を遂げた思子淵信仰の様相を良好に伝える点でも,高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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解説文
思子淵神社は,琵琶湖に注ぐ安曇川の支流,針畑川流域の山間部に所在し,筏流しによる木材搬送の守護神とされる思子淵神を祭神とする。覆屋内に中央が本殿,南に蔵王権現社,北に熊野社の三棟が並んでいる。蔵王権現社は板札より応安4年(1371)の建立で,他の二棟も同時期とみられる。いずれも一間社流見世棚造で,部材の大面取,ヤリガンナ仕上げなどの技法に,中世の特徴がみられる。思子淵神社は,室町前期に遡る三棟の社殿を一体的に残す極めて稀な遺構であり,我が国の中世神社建築において重要である。安曇川流域において,独自の発展を遂げた思子淵信仰の様相を良好に伝える点でも,高い価値が認められる。
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詳細解説
思子淵神社 三棟 本殿、蔵王権現社、熊野社 思子淵神社は、琵琶湖西岸に注ぐ安曇川の支流、針畑川流域の山間部に位置する小川集落に所在し、思子淵神を祭神とする。「シコブチ」の語は河川の屈曲部や急流部を意味し、思子淵神は筏流しによる木材搬出の守護神として崇敬を集めたとされる。 神社の由緒はつまびらかでないが、当社には大般若波羅密多経六百巻(高島市指定文化財)が伝世する。これの文安五年(一四四八)から六年の修理識語には「朽木庄内小河村崇廟之御般若」とあり、創建は中世以前に遡るものと考えられる。 針畑川に東面する境内の入口に鳥居を建て、東西棟のカリヤと手水舎を配し、西奥の石垣上に、本殿などを祀る覆屋を東面して建てる。 覆屋内には、中央に本殿、南端に蔵王権現社、北端に熊野社、それらの間に小社を配する。本殿、蔵王権現社、熊野社とも一間社流見世棚造、こけら葺で、蔵王権現社は板札より応安(おうあん)四年(一三七一)の建立とわかり、残る二殿も形式技法などから同時期の建築とみられる。本殿、蔵王権現社、熊野社は、平成二十二年七月二十五日付で滋賀県指定有形文化財となっている。 本殿は、桁行、梁間とも三棟の中で最も大きい。平面は前後に二等分し、後半を一室の身舎、前半の庇部分を一段低い棚とする。柱間装置は、身舎では正面に方立を立てて板唐戸両開きとし、残る三面を横板壁とする。庇は正面腰下のみ横板を張る。 軸部は、井桁に組む土台に、身舎、庇とも大面取角柱を立て、身舎は地長押と頭長押、庇は腰長押で固め、舟肘木と桁を受ける。身舎前面柱と庇柱の間に繋虹梁を架け、身舎側は繋虹梁下面を頭長押上端に大きく含ませる。けらばでは棟木や桁に緩やかな反りを持たせ、軒は板軒とし、茅負前面は平滑で、破風板に眉幅の大きい眉欠を施す。妻飾は豕叉首形式で、直材の妻梁両端を桁に平枘差として貫通させ、叉首の頂部で棟木下の舟肘木を直接受ける。破風に懸魚は飾らず、屋根に箱棟を載せ、両端に鬼板を置く。破風板の拝み下面に懸魚を吊るための板决りを彫るが、懸魚を取り付けた形跡はない。 蔵王権現社は、本殿同様に後半を一室の身舎、前半の庇を一段低い棚とするが、柱位置は身舎前面柱を梁行中央より柱径半分前寄りに立てる。また棚を側面柱より一尺ずつ左右に持ち出して広げ、三方に廻らせるという特異な形態になる。柱間装置は、身舎では正面に方立を立てて板唐戸両開きとし、残る三面を横板壁とする。庇は正面腰下のみ横板を張る。 軸部は、井桁に組む土台に、身舎は円柱、庇は大面取角柱を立て、身舎は地長押と頭長押、庇は腰長押で固め、舟肘木を介して桁を受ける。庇の繋虹梁の庇側は、虹梁鼻を桁前面より出して垂木を受ける。軒は正面が二軒、背面が一軒の疎垂木で、垂木は緩やかな反りを持ち、茅負、破風板ともに眉欠を施す。妻飾は豕叉首形式で、妻梁を虹梁形とし、叉首上の巻斗で棟木下の舟肘木を受ける。破風の各所に鏑懸魚と桁隠を吊り、屋根の頂部には箱棟を載せ、両端を鬼板で飾る。 熊野社は、棚を通例の形式とするほかは蔵王権現社とほぼ同様で、同社より若干規模が大きく、垂木先端の反り増しが強い点が異なる。庇柱は後世に取り替えられたため、面取りが小さい。 三棟とも、軸部は組物を舟肘木、妻飾を豕叉首とする簡素な構成になる。また角柱や庇の舟肘木、繋虹梁の大きな面取りとともに、身舎の舟肘木を棟木や桁から一材で造り出し、各部材の化粧面を槍鉋仕上げ、野面を蛤刃の釿仕上げやヨキ斫りとする技法などに、中世建築の特徴を良く示している。なお材種は、土台にクリを使うほかは目細のスギを用いている。 思子淵神社本殿ほか二棟は、室町前期に遡る三棟の社殿を一体的に残すという極めて稀な遺構のひとつであり、とりわけ蔵王権現社は建立年代の明らかな見世棚造形式として最古級の社殿であることから、我が国の中世神社建築において重要な位置を占める。また安曇川流域において独自の発展を遂げた思子淵信仰の様相を良好に伝える点においても、高い価値が認められる。 【参考文献】 『朽木村史 資料編』『朽木村史 通史編』(高島市 二〇一〇年)